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必要なものは?そう聞かれたときに、ありすぎるくらいで、何から答えればいいのか分からなかった。基礎化粧品はもちろん、メイク道具だって欲しい。着替えがないのも困りものだし、学生たちが当たり前にスマホを持っていたことを考えると、スマホも必要かもしれなかった。現代人のスマホ依存は恐ろしくてよ。まあ、当然のように一番は現金なんだけど。

「現金ですかね・・・?」
「・・そうだろうな。」

すこし前を歩くクルーウェルへ素直に答えを返したら、小さくため息をつかれた挙句に、呆れ顔を返された。
わたしも彼も、互いにいい大人。生活を維持し続けるために、学生を卒業してから働き続けてきている。現金がない状態に陥るなんて、普通に社会人をしていれば、大人になってから、一度もないだろう。自分が普通かと言われれば、そうではないかもしれないけれど、流石に現金がなくなるなんて、前代未聞。生まれて初めてだとすらいえる。
学生をし直すことには納得しても、お金がない状況ってのは、どうしたらいいのか分からない。教えて頂けますか、センセイ。

「流石に、俺から現金を渡すことは、出来ないな。」
「それは、わたしもそう思いますよ。」

頂けるなら、喜んで頂戴しますけれど。
世の中に、そんな甘いことは起きちゃくれない。”労働”という対価として、”お金”が与えられる。あるいは、”サービス”という価値を提供して、”報酬”が与えられる。これは、幼い頃から誰もが叩き込まれる当たり前だった。
もちろん、女性としては身体がサービスになることも大いにあることは知っているが、その類のサービスを仕事にはしようと思ったこともなければ、緊急事態とはいえ、目の前にいる男性は教師であり、明日から自分の担任となる人物だ。好き好んでそんな相手に、色目を使うなんて、まあまあ常識に欠ける。
常識が欠けていないと大きく胸を張れるような素晴らしい人間ではないものの、今後のことを考えると、流石にそんな提案が出来る程、肝は据わっちゃいない。もちろん、こんなイイ男性に、特定の女性あるいは不特定多数の女性(ようは女性の影)がないとは全く思えないので、需要と供給のバランスすら崩壊している。
つまり、何が言いたいかというと、目の前の男性に金銭を要求するというのは、わたしの中で、全くの”ナシ”だ。

「まあ、流石に困っている仔犬を放っておくほど、非情じゃない。」
「仔犬ってわたしですよね。」
「ああ。」
「なんで仔犬なの。」
「この俺からすれば、貴様らは仔犬と、さして変わらない。」

それはそれで失礼じゃないですか。なんて返すわたしの言葉は、無視だった。非情じゃない教師だと自分で言っておきながら、無視だなんて、どういう神経してるのよ。
彼にとって、仔犬というのは、子供と同義なのだろうか。さして年齢の変わらない、むしろ学生たちよりも彼のほうがわたしにしてみれば、同世代だろうに。それでも、彼はわたしを仔犬と呼ぶ。納得するのは、彼にとっては無知だという理由だけかもしれない。

「ここが、購買部だ。何かあればここに来るといい。」

廃墟のような建物から、長い道のりを歩いてやってきた建物の前で、クルーウェルはやっと歩みを止める。彼の説明を聞いて、現金があればね。と言いたい気持ちに苛まれた。なぜなら、わたしは無一文だから。この世界での稼ぎ方は、わたしの世界と代わり映えしないといいけれど。魔法がある世界は、一体どんなスキルが求められるのか、いまだ検討もつかない。
わかりました、と生返事のわたしに、クルーウェルはぴくりと眉をひそめ、また呆れたような顔をした。そして、まるで本当の仔犬にするように、Come、と真っ赤な革の手袋で扉を引いたと思えば、今度はレディーファーストと言わんばかりの彼に促され、店内へとわたしが先に足を踏み入れる。落差のある扱い方に、こちらの情緒が追い付かないと思った。どんな気持ちになるのが正解なのかしら。

「ようこそ、Mr.Sのミステリーショップへ。」

Hey,と軽快に声を掛けてきたのは、店内にいた男性。クルーウェルのことを考えていたわたしは、その声の大きさと、そして、彼の容姿にも驚いた。黒色の肌に真っ白なタトゥーとメイクが印象的で、大きなシルクハットにドレッドヘア。購買という割に、なかなかに派手な見た目をしている。クルーウェル自身も教師とは思えぬ格好をしているし、学生たちも自由だったことを考えると、これはこの国の当たり前なのかもしれない。
にこにこと人当たりのいい笑顔を浮かべられれば、こんばんは、とありきたりな挨拶と笑顔を返すほか、社会人としてはなかった。

「待ってたよ、小鬼ちゃん。」
「監視するなよ。」
「市場調査さ。」
「まったく、物は言いようだな。」

陽気な男性とクルーウェルは、まるで正反対だった。きょろきょろ、店の中を視線だけで追いかけていると、クルーウェルが、何が欲しいんだ。とだけわたしに告げる。ここで現金だと答えるほど、わたしも察しが悪いわけではない。現金は渡せない代わりだろう。何を選ぶのかは、苦渋の決断に近い。

「さあ、何をお求め?」
「お泊りセット・・・的な?」
「それだけか?」
「ほかにもいっぱいありますけど・・・。」
「そうだろうな。あまり遠慮はするなよ、今後はしてやれるか分からない。」
「小鬼ちゃん、おねだりしておいた方がいいんじゃない?」

くすくすと笑う彼に、クルーウェルの顔は渋くなったけれど、本人が遠慮するな、というのなら、遠慮はやめることにした。買い込んだお会計は、聞かないことにする。とはいえ、わたし、きっと明日からこのヒトに頭があがんないんだわ。




(これは、おなじ”大人”として出来る最大限だ。)







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