19:00の定時ギリギリ。とある社外取締役の方から連絡があったのは、そんな時間だった。

「Hey, 小鬼ちゃん!」
「サムさん、お世話になっております。」
「社長とのアポイント、19:30からオーケー貰ったんだけど、お店って頼める?」
「このあと19:30ですね・・・承知致しました。確認してみます。」
「Thank you!」

突然だ。突然がすぎる。ただ、電話越しの彼は、確かにそういうタイプだった。
会食であっても、打ち合わせであっても、通常は少なくとも前日までに、スケジュールを調整するもの。いやそれでも、かなり遅いくらい。1週間前までが望ましいのが、秘書としての感覚だ。
ただ、それをぶち破るのが、我らがボスの社長でもあるし、このサムさんでもある。社外取締役を務める彼からのこんな突然な依頼は、もう何度目か。1度あったことは2度あったし、3度目もあった。
彼が社長に直接連絡をしてくれてOKを貰えているのは、かなり助かるものの、あと30分で、どうやって個室の席を見つけようか。今週2度目の無茶ぶりだ。電話を切り終わって、小さくため息をつく暇すら惜しい。早速、デスクの上の電話に手を伸ばした。

19:30の会食を前にして、19:15に約15分間で店を見繕って予約を勝ち取ったわたしを褒めてあげたい。よくやった、よくやったわよ。
社長とサムさんそれぞれの連絡と、社長のハイヤードライバーの方への連絡を終えて、やっと一息をつける。自分のデスクのキャビネットから、お気に入りのティーバッグを取り出し、自らを労るかのように、マグカップへお湯を注いだ。
慢性的な忙しさはないものの、瞬間的な忙しさがわたしのポジションの特徴かもしれない。これがこのポジションを他の人から嫌がられるひとつ。慣れてしまえばいいけど、確かに最初はつらかった気がする。もうあの頃を思い出せないくらい、今まで色んなことがあったなあ・・・・。
わたしがこの会社にきて落ち着くまで、ローズハートさんに慣れることもふくめて、約半年、だろうか。冷静に考えると、よく耐えたなあ、なんて思う。

「いい匂いだね。どこの紅茶だい?」
「!ローズハートさん、お疲れ様です!」

まさか。頭の中に浮かんだ彼に話しかけられるだなんて、思ってもいなかった。斜め後ろにいた彼に驚き立ち上がれば、ローズハートさんにも驚かれる。お行儀が悪いよ、そう言う彼に、失礼致しました、と謝罪をするのは、もう慣れたものだった。

「そういえば、今日は社長が不在だったようだけれど。」
「はい。急遽お休みを頂戴しておりまして・・・。」
「いくら社長であっても、規律を乱すことはよくない。キミもあの人を管理できて、一人前の秘書だとお思い。」
「はい、ローズハートさん。」

彼の前だと、酷く背が伸びる。素直に怒られないかと緊張するのもあるし、正しくいなければならないというプレッシャーもあった。管理部門の鬼という異名を持つのは、伊達じゃない。
俗に言う、法務、労務、経理、人事、総務、これらの部門を全て管理するのが彼の担当。社内で稟議を通したければ、必ずローズハートさんのチェックが必要だ。しかも、そのチェックがしこたま厳しい。
わたしは、自分のポジションも相まって、どうしても彼への確認が多かった。社長が使った費用に対して、何度雷を食らったかは覚えてもいないレベルだ。今では、相当、柔らかくなったように感じるのだから、初期はかなりのものだったと言わせて欲しい。

「それで、それはどこの紅茶だい?」

ようやく、話しかけられた時の本題に戻る。それまでのいくつかの注意は、彼が気になった事だったのだろう。
デスクの中からティーバッグの入っていた缶を取り出してお見せすれば、興味深そうにそれを見つめた。今の彼は、年相応というか、いつもの鬼のローズハートなんていう表情と真逆かもしれない。ランチの時に、ダイヤモンドさんが、リドルくんって結構カワイイんだよ、と言っていたのが少しわかる。

「召し上がりますか?」
「いいのかい?」
「勿論です。クローバーさんみたいに上手には淹れられないですけど・・・。」
「構わないよ。」

自分で言い出しておきながら、まさかOKを出されるとは思わなかった。
ここで大問題は、いつも適当に紅茶を作るので、正しい淹れ方を知らないということだ。いや、そもそも、お湯もウォーターサーバーの赤いレバーからの直注ぎだし、ティーカップも自分用以外は持っていない。ウォーターサーバーについている紙コップにティーバッグをいれて、これ大丈夫?と心配になったけれど、改善する方法もなかった。一つ一つ不安しかないものの、やると言ったことはやるしかない。ああ、心臓が痛い・・・。

「お待たせしました!2分ほどお待ちいただいてから、お召し上がりください。」
「ありがとう。」

わたしの隣の空席に腰を下ろしていたローズハートさんに、カップを手渡す。紙コップが熱くならないよう、念の為、紙コップは3重にした。これで勿体ないと怒られたら謝ろうとは思っていたが、そこには特に何も言われない。
デスクの上に紙コップを置いた彼は、自分の懐から出した懐中時計できっかり2分はかり、そして口付けた。

「初心者にしては、悪くはないよ。」
「あ、ありがとうございます。」
「ただ、折角の茶葉を無駄にするような淹れ方は勿体ない。
トレイやケイトにお茶の淹れ方を教えてもらうといい。君のことだ、すぐに上達出来る。」

小さな紙コップの中身を空にした彼は、スマートに立ち上がって、ご馳走様、と去っていく。自分で飲むだけだと思っていた紅茶が、こんなことになるとは。心臓に悪すぎたわね・・・。
もう今後、ローズハートさんの紅茶を淹れる機会には、可能な限り恵まれたくない。とはいえ、ゼロとも言い難いので、今度機会があれば、ローズハート管轄の皆さんに、お茶の淹れ方を教わって損は無さそうだ。



Thursday evening







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