定時である19:00を迎えた。それと同時に帰宅していく人達を送って、わたしはまだデスクにいる。社長が帰宅しない限り、秘書は社内に残らなければならないのだ。
昼間、トイレで女子トークに華を咲かせた彼女は、デートだと早々に帰っていった。いいなあ、という気持ちが無いわけじゃない。素敵な出会いがあれば、それこそ、自分の特別な人と出会えたら、きっとわたしだってそうしている。
まだ出会えていないだけよ。いつかやってくる王子様をこの歳になっても夢見させて欲しい。いつか出会えるはずだと、まだ自分自身を高められる気持ちにもなるし。それが、アラサー独身女として、痛いと言われても、正直自分の意見を曲げられる程、自分というものが無いわけじゃない。妥協して、恋をできる器用さは、生憎持ち合わせてないて居なかった。

「おーい、なまえくん。」
「はい、なんでしょう。」
「今から、食事に行きたいんですが、誰か誘ってくれません?あと、お店も。」
「承知致しました、確認致しますが、どなたかご希望はあります?」
「んー、クルーウェルくんとかどうでしょうかね?」

社長は、たまに、有り得ないオーダーをしてくる。そのひとつがコレ。誰かを食事に誘って欲しい、そしてその店を用意して欲しい。この相手が、社内の人間だったらまだしも、今回の彼のご指名は、社外取締役のデイヴィス・クルーウェル。
そんなに突然、社外取締役を呼び出してもいいと思わないで欲しい。連絡をするわたしの身にもなってよ、と心底思うが、一応顔には出さない。少々お待ちくださいね、と穏便に済ませて、直ぐにクルーウェルさんへ電話をかけながら、どのお店にするかを考える。お店の希望も聞いておけばよかったけれど、相手がクルーウェルさんなら単価3万マドル以上のフレンチやイタリアンがお好みだろう。当日に個室のいいお店が取れると思うなよ、というのが正直な感想だが、それも頭の隅っこに今は追いやった。

「クルーウェルだが。」
「お世話になっております、みょうじです。」
「ああ、どうした?」
「突然で大変恐縮なのですが、社長が本日、クルーウェルさんをお食事にお誘い出来ないか、とのことでして・・・。」
「貴様のボスは、いつもそうだな。」
「大変申し訳ありません・・・。」

本当、今のわたしには申し訳ない気持ちしかない。突然、社外の人を呼びつけるだなんて、失礼極まりないこと、承知の上でこちらは電話をしているのだから。
こんな社長に慣れているクルーウェルさんは、仕方ない、予定を調整しよう。と電話越しで対応して下さる。何度目か分からない謝罪の言葉に、彼が、お前のせいじゃないさ。そう優しく口にしてくれるものだから、少し泣きそうにもなった。いい人すぎませんか?同じく社外取締役が他にも3名いるけれど、この対応は、正直クルーウェルさんだけだった。

「ありがとうございます。お店は、追ってご案内致しますね。」
「ああ。20時までには到着するようにすると伝えてくれ。」
「ありがとうございます。よろしくお願い致します。」

電話なのに、デスクのところでら深々とお辞儀を返して、相手の終話を待ってから電話を切る。一旦社長に報告し、あとは食事の場所だけ。ワインが美味しいお店よね、きっと。そう、思い出せるお店をいくつか考えて、また電話をかけていく作業が始まった。


「はあ、つっかれた〜!」

社長が出ていってから、思わず背もたれによし掛る。20時少し前、残っている人は僅かだった。
役員は大体が会食だとかで19時には出発してしまうし、秘書で残っているのは業務量が鬼のような人達くらい。

「社長は相変わらずっスね〜。」
「ラギーくん・・・お疲れ様。」
「お疲れっス。」

空いた隣席に腰を下ろしたのは、取締役レオナ・キングスカラーの秘書を務めるラギー・ブッチ。社内では気の置ける関係で、仕事で関わる時以外は、互いにファーストネームで呼びあっていた。
キングスカラーさんは優秀な方でありながら、ちょっと手を抜く癖があるらしく、その秘書をする彼は、いつもかなりの仕事を抱えている。わたし以上に、お疲れ様、だ。

「で、今日のその紙袋の中身はなーにかな。」
「えっ、なんで知って、」
「今日の昼、タクシーで移動してたの見てたんっスよ〜。カリムくんに昼飯誘われて、そのまま貰った、に1票。」
「こっわ・・・。」
「シシシ、褒め言葉として受け取っとくっス。」

見事言い当てた彼は、ちょーだいと言わんばかりに両手を広げる。中身がお高いチョコだってのは、鼻が利く彼にはお見通しなのかもしれない。流石に抗えず、二重になった紙袋から、ブランドの名前が刻まれた箱を取り出した。

「うっわー、流石カリムくん。普通、ブルガリのチョコとか選ばないっス。」

2列に飾られたチョコ達は、宝石のように美しく、そして、食べるのを躊躇うくらいに高級なことが伝わってくる。これいくらっスか?と、下世話なことを聞いてくる人が隣にいるから、尚更。1万は超えてるでしょうね。そんなことを、自分で口にしながら、1粒指先に摘むのも、悩ましい。
食べないんすか。いや、食べたいけど。まあ、分かるんすけどねその気持ち。そんな押し問答が続き。

「あ、チョコじゃん。1個、ちょーだい。」

オレ、疲れてたんだよねぇ。そう伸びてきた腕が、そのチョコレートを1粒攫っていく。え、とか、あ、とか言葉が出ないまま、それは後ろにいた男の口に入っていった。

「う、うそ?!」
「え、何?いつも菓子くれんじゃん!?」
「ちが、そ、それ!」
「あーあ、フロイドくん。それ、お高いチョコっスよ。」
「は??知らねーし!」

困惑したわたしに、アーシェングロット管轄のフロイド・リーチがあからさまに不機嫌そうな顔をする。いや、わかる。彼の言い分は最もだ。いつも、お菓子を分け与えているわたしも悪い。そりゃあ、デスクの上にお菓子がおいてあれば、普段通り貰えると思うだろう。彼は、何も知らなかったのだから。
だけど、今日のは、少しだけ、ショックだった。せっかく自分に頂いたもの、流石に自分でまずは味わいたかった。あとは、みんなでわけてもいいけど・・・!

「そんなショック受けなくてもいいじゃん。そんなに欲しいなら、買ってあげっから。」
「フロイドくん・・・それ、貰い物っス。」
「大丈夫!2つ目食べたらいいもんね!全部食べられた訳じゃないし!」

もうないものはない。仕方ない、と切り返すのに時間はかからなかった。一瞬のショックで振り切って、チョコレートを口に頬張る。
その裏切ることのない美味しさに、さっきの気分はどこかへ追いやられた。情緒不安定な女か、と思うくらい。それ程、このチョコレートは美味しかったのだ。

「うっま!流石カリムくんセレクト。」
「ハア?ラッコちゃん?どういうこと。」
「アジームさんに貰ったんです。」

これみよがしにアジームさんから貰った箱の蓋を自慢げに持ってみれば、フロイドさんの手にそれを握りつぶされた。え?嘘でしょ?とついていけないわたしをよそ目に、その他のチョコレートが彼の逆の腕で、彼の口に運ばれていく。

「なにするんです?!」
「んなの、代わりにオレがあげっから。」
「は??ヤダ、やめてくださいよ!」

なんとか手元に残ったのは、2粒。それも酷い有様だ。高級チョコをなんだと思っているの。突然機嫌が良くなったり悪くなったり、確かに元々フロイドさんは気分屋な人だが、今日は普段よりもわけが悪い。

「流石にわたしも、今のは不愉快です。」

仕事の場なら多少の理不尽は許せる。それでも、今はもう終業後だし、ハッキリ言ってやらないと、気が済まなかった。目の前の男性が、どれだけ威圧的なことをしようが、人からの貰い物をこんな風に扱われて、ヘラヘラ笑ったり、萎縮して何も言えないなんてのは、おかしい。
女性だからって、なめないで。言わなきゃいけないことは、きちんと伝える。

「言い分があるならどうぞ。」
「んだよ、その言い方。」
「人の貰い物に対して、失礼な態度を取ったのは貴方でしょう?」

いつもじゃ有り得ないわたしの態度に、フロイドさんは、ウゼェと一言だけ返して、その場を去っていった。いや?は、こっちのセリフだわ。なんなのよ。

「なまえクンが、職場でキレんの珍しいっスね。」
「だって、失礼なことされたんだもん。わたしだって、怒るわよ。」
「はー、まあ、あれはフロイドくんの自業自得。」
「自業自得どころか、意味わからないでしょ。」
「そりゃあ、アンタはそうでしょうね。」

そうラギーくんは2度目のため息をついた。余計なことに巻き込まれた彼にとって、この後の残業は気が重いだろう。申し訳ない気持ちはあるけれど、わたしもイラついたのは確かで、そして、それをラギーくんに取り繕う余裕がないのも確か。上辺だけでも、ごめんね、を伝えておかないと、流石に後味が悪い。

「へーきへーき。アンタこそ、変に気負いしない方がいいっすよ。」
「わたしは、別に。」
「ま、今日のはどー考えてもフロイドくんが悪いんで。なまえクンのせいじゃねぇから。」

ぽんぽん、と頭の上に彼の手のひらが乗せられる。わたしが落ち込むのではないかと気にしてくれたらしい。そんなこときっとないのに。確かに、会社の人に対して感情的になったのはよくないけれど。あれは、ラギーくんがいうように、フロイドさんに非があるもの。
すこし、モヤモヤした気持ちを抱えながら、会社を出る頃には、それも少しは収まっていた。まだ、今週は始まったばかりだ。




Monday evening







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