Odi lunam propter vos(T)

 天文台の屋上で酒瓶に直接口をつけ、そのままあおった。行儀が悪いと咎める人もいないから。
 豪華なラベルをつけられた瓶の中身は重めの赤ワインだ。先日カジノで打ち負かした男が「王室御用達の逸品だ」と言って口惜しそうに渡してきたのだった。確かに、悪くない出来だ。しかし、今、私の虚しさを紛らわすにはいくばくか及ばなかった。この落胆を慰めるには半端な上等品よりも、手っ取り早く酩酊できる安酒の方が適任だったかも。
「ああ、嫌になっちゃうな。」
 やけっぱちにひとりごち、うなじが背もたれにつくほど深く座り込む。ついでに丸いカフェテーブルに足を投げ出した。不貞腐れて、どれほどだらしない格好をしてもかまわない。向かい合う椅子も、テーブルの隅に寄せたグラスもずっと空のままだから。
 そもそも、天文台にまで出向いたのはムルが発端だったというのに。
「別荘一つに値する美酒を手に入れたとか。良かったら相伴にあずかりたい。愛しの厄災がよく見える場所ならなお良し。」
 先日のカジノでの騒動と顛末をどこから聞きつけてきたのか、そんなことを言い出したのだ。それなのに、半月が白く薄らとあがっていた夕暮れから沈みかけの真夜中のいままで、ずうっと待っているというのに。あいつがやってくる様子はない。
 破ってもいい約束ができないのは、たまに不便だ。こうして期待外れに待ちぼうけになったとしても、私にはあの人をなじる権利がない。私たちはなんの約束も交わしてはいないのだから。
 月は水平線の中に沈んで、晴れた夜空には瞬く星だけが残された。建物の少ないここでは、いつもより多くの星あかりがこの目に届く。冬のよく冷えた空気で冴え冴えと光っている。
「散開星団の6つ目までが見えるなんて。」
 普段は気付きにくい四等星まで確認できることに感嘆する。
 かつて、同じようにあの星団の星がいくつ見えるのかムルと競った時があった。そうしたら、二人とも肉眼で見えるはずない数を言い合ったもので互いの正気を疑ったんだ。でも結局二人ともただ酩酊していたのだったか。
「懐かしいな。」
 ため息をついて私は夜天から目を逸らした。星の名前、仕組み、寿命、動き、その読み解き方……月だけいなくなったって夜空には星の数だけムルがもたらした知識がある。それに釣られて否応なしに思い出が浮かぶ。
 こんな、しけったマッチを何本も擦ってダメにするようないじましい感傷の浸り方は今夜の夢見にも影響しそうだ。このまま帰って眠ったら目を瞑ってるうち瞼にじめじめとカビでも生えてきそうだ。
 無理やり自分を奮い立たせるために手を叩き、立ち上がる。
 『セペリコ・ルメウム! 』
 乱暴な勢いで呪文を唱えたせいか、テーブルも椅子もグラスも、尻を叩かれた馬のようにピョンと跳ねてバタバタと元の居場所へ駆け出した。耳を澄ませても破砕音もなかったし無事に片付いたのであろうことを確認した。ワインのボトルにはギュッとコルクを捩じ込む。小脇にボトルをそのまま抱えて箒に跨り、地面を蹴った。
 一人ぼっちは持て余すけれど喧騒は煩わしく、せっかくならいい酒を飲みたい。そんな贅沢な手前勝手な要望を満たすのは、ベネットの酒場でしかありえない。あそこも、ムルと数えきれないほど通ったし、店主は数少ないムルとの長年の友人である。しかし、私はそれ以上に彼の卓越した接客手腕を信頼していた。

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