パステルカラーが似合う未来は



小学校の時はいつも掲示係だった。なぜなら名前の"個性"は「接着」だからだ。意識して指先で触れると生物以外の物体と物体をくっつける事が出来る。その接着の具合は変化させる事が可能だが、小学生の時は長くても2週間くらいで、それも強く引っ張れば取れてしまうような強度だった。その上名前は手先が器用な方では無いので、よく掲示物を傾いて接着してしまい、先生に怒られていた。だから掲示係はいつも憂鬱だった。ーー彼と同じクラスになるまでは。


瀬呂も小学校の時はいつも掲示係だった。なぜなら瀬呂の"個性"は「テープ」だからだ。両肘からテープ状のものを射出する事が出来る。幼い頃は周りからセロテープとして扱われていたが、別に悪い気はしていなかった。もともと手先は器用な方で、それは人間関係においても発揮されており、なんでも割と卒なくこなしていたからだ。ーーだから、小学5年生で苗字名前と同じクラスになって、こうも不器用な人間がいるのかと驚いたものだ。







「先生!また時間割曲がってるー!」


男子生徒のその元気な声に、名前はビクリと肩を震わせた。また、先生に怒られてしまう。それはもはや条件反射のようなものだった。小学1年生からの5年間で嫌という程言われ慣れた言葉だった。


「あら、ほんとだわ。掲示係は・・・苗字さんと瀬呂君ね。あとで直しといてね。」


今回の先生は初老の女の先生なのであまり怒る事は無かったが、名前と同じクラスになった事がある生徒の中には、自分が掲示物をまっすぐ貼るのが苦手な事を知っている者も多い。なのでこうしてわざわざ皆の前で先生に告げ口して、縮こまる自分を見てにやにやしているのだ。


「・・・はい」


そんな気持ち良いものでは無い視線を感じながら、名前は弱々しく返事をする事しか出来なかった。







「苗字さん、手伝うよ」

「瀬呂君!?」


その日の放課後。HRも終わり、生徒のほとんどがランドセルを背負い教室を飛び出していく中、瀬呂は名前に話し掛けた。声を掛けただけで酷く驚かれ、逆に瀬呂の方がそのリアクションに面食らってしまう。


「なんでそんな驚くの?」

「だって、今まで手伝ってくれる男の子なんて居なかったから・・・」


名前達の学年は男女比がほぼ同じな事もあって、係や委員会は男女ペアになる事が多い。必然的に今までも掲示係の相方は男子だった。だが、タダでさえ地味で人気の無い掲示係を、率先してこなす男子はいなかった。

名前は長い前髪にその瞳を隠して、消え入るような声で瀬呂の問いかけに答える。もともとの内気な性格に、掲示係の事もあって、名前はすっかり人と話すのが苦手になっていた。ましてや男子生徒に話し掛けられるなんて、もはや名前にとっては恐怖でしかない。キョロキョロと忙しなく視線を彷徨わせるが、瀬呂からは見えないようで、気にすることなく続けた。


「掲示係、俺と苗字さん2人じゃん。」

「・・・ありがとう。」


そう言って、前の席から椅子を引いてきて時間割をペリペリと剥がし始めた。瀬呂はこの頃から正義感が強い子供だった。本当は自分もすぐに下校して友達と遊びたかったが、理不尽に男子に絡まれる女の子を放っておけなかった。また、子供ながらに観察眼も優れていて、名前がどうして男子生徒に絡まれるかなんとなく分かっていた。そのビクビクとした反応が、余計に相手をつけ上がらせるのだ。でもそれを伝えても、名前にはどうしようもないという事も分かっていた。







「ごめんね、これ枚数多いのだけれど、貼っといて貰える?」

「・・・分かりました。」


昼休みに担任から、掲示係の仕事を頼みたいから放課後職員室に来て欲しい、と言われた時点で、嫌な予感はしていた。なんなら書道の時間に来年の目標というお題で書き初めをした時点から、嫌な予感はしていた。まさにその予感は的中し、添削が済んだそれを教室の掲示板に全員分貼らなくてはならなくなった。
放課後までに瀬呂に先生に呼び出された事を伝えようと思ったが、どうしても声をかける事が出来なかった。仕方なく一人で下校時間ギリギリまで粘ってみたが、瀬呂がしてくれたように真っ直ぐには貼れなかった。明日の朝、またあの男子に言われるのだろうな、と考えると胃が痛くなった。







「せんせー!掲示物ガタガター!」


そしてその日の朝。何か言われるのが嫌でHRギリギリに登校してきた名前だったが、その努力も虚しくやはり言われた。登校してきた時チラリと瀬呂と目が合ったような気がしたが、分厚い前髪に覆われて瀬呂からは見えていないだろう。自分の席で小さく縮こまり、先生に何を言われるのかと俯いてビクビクしていた。


「あらら・・・ほんとね。」

「先生」


いつもならここで、先生に怒られるなり呆れられるなりするのだが、今日は違った。その特徴的な肘が目立つ手を真っ直ぐ天井に向けて、瀬呂が挙手をしていた。思わず名前も顔を上げて瀬呂の方を見る。


「昨日俺、早く帰らなきゃいけない用事があって、苗字さんだけに任せちゃったんです。だから、苗字さんじゃなくて、俺のせいです。すいません。」


名前は瀬呂に声を掛けていないのに、瀬呂はあたかも名前からの要求を断ったかのように先生に伝えた。まるで名前を庇うような言い方だった。一瞬シンと静まった教室に、女性教師の落ち着いた声が響き渡った。


「・・・そう。じゃあ、放課後で良いから二人で直しといてもらえるかしら?」

「分かりました。」


瀬呂はそう言って手を下ろした。先生が名前の方も見たので、名前はブンブンと勢い良く首を縦に振った。







「どうして言ってくれなかったの?」

「・・・だって、邪魔したら怒られるから」


放課後、歪に貼られた書き初めの半紙を剥がしながら、瀬呂は名前に問い掛けた。問い詰めているつもりは無かったが、名前はビクビクと瀬呂の顔色を伺うように答えた。その言葉から、以前他の生徒に頼んで断られたのだろう。それも身勝手な理由で。瀬呂は名前の懇願を断った生徒にも、名前が自分もその生徒と同じだと思っている事にも腹が立ったが、それを押さえ込んで名前に向き合う。


「あのさ、前も言ったけど掲示係は俺と苗字さん2人だからさ。これからもなんか頼まれたらすぐ俺に言って。」


努めて優しく、だが言葉はしっかりと相手に伝わるように意識して名前と目を合わせた。名前の分厚い前髪の隙間から、驚いたような瞳が見えた。もう少しだ、と瀬呂は名前の手を握って「ね?」とダメ押しで返事を促した。


「う、うん。分かったよ。」


最後のダメ押しが効いたのか、名前は戸惑いながらも頷いてくれた。瀬呂は満足して手を離し、剥がした半紙を貼る作業に取り掛かった。身長もある自分と比べて、隣で作業をする名前の手はおぼつかない。身長が低いのもそうだが、何よりその視界の狭さが原因なのではないかと瀬呂は読んでいた。


「前髪上げたら?見えにくいから曲がっちゃうんだよきっと。」

「あ、そっかぁ」


ずっと感じていた事を名前に告げると、意外とすんなり納得してくれた。そしてその長い前髪を耳にかけ、作業を再開する。拓けた視界によって、先程よりもスムーズに作業を進める名前は、「ほんとだぁ」と機嫌良くにこにこと手を進めて行く。だが、名前はふと瀬呂の手が止まっている事に気がついた。隣で作業をする瀬呂を、身長差からか下から覗き込むように様子を伺う。すると何故か頬をほんのり染めた瀬呂と目があった。


「瀬呂君?」

「な、なんでもないっ」








「あ、範太くん!」

「名前」


初めて同じクラスになってから数年の間に、2人は恋人同士になっていた。お互い意識している部分はあったので、その関係に落ち着くのは早かった。小中と同じ学校だったが、高校は別れてしまい、名前は雄英の近くの女子校に通っていた。この日は一緒に帰る約束をしていて、早く終わる名前が雄英の校門の前で瀬呂を待っていたのだ。


「え、瀬呂の彼女!??」

「は、初めまして。苗字名前です。」


瀬呂の予想通り、上鳴が凄い勢いで喰いついた。今まで接した事の無いタイプの男子に、名前は少し戸惑いながらも自己紹介をした。今ではあの分厚い前髪は短く切り揃えられており、ふさふさの睫毛に縁取られた大きな瞳が惜しげもなく晒されている。ビビりながらも答えてくれた名前に、上鳴はデレデレしながら自分の自己紹介を終わらせ、勢い良く瀬呂に食って掛かった。その様子に瀬呂は忙しい奴だな、と心の中で突っ込んだ。


「・・・ッお前!こんな可愛い彼女いるなんて聞いてねーぞ!!」

「聞かれなかったからな」


しれっと悪びれる様子もなく答える瀬呂に、「そういうとこだぞ!」とよく分からない負け惜しみをした上鳴は、一応空気は読んでいるのかすぐに2人と別れて駅の方へと走って行った。去り際に名前に、「今度友達紹介して下さい!!」と告げるのを忘れずに。

上鳴が去って行った方とは逆の方へ名前と瀬呂は手を繋いで歩き出す。いつもは照れながら手を繋ぐのに、今日はクスクスと笑いながら歩き出す名前に、瀬呂は不思議そうに聞いた。


「どした?」

「上鳴くん、面白い人だね」


可愛いだなんて、と笑う名前は自分が男からどういう風に見えているのか全く理解していないのだ。名前の高校は女子校だから余計な心配はしなくて良いのだが、こうも無自覚だと流石にちょっと彼氏としては複雑だ。


「・・・名前は、可愛いよ」


そう言った瀬呂は、驚いた顔をしてこっちを向いた名前に、不意打ちでキスをする。顔を離すと真っ赤な顔で自分を見上げてくる名前に再度、可愛いなと心の中で思いながら、握った小さな手をぎゅっと握りしめた。