0と1の哲学



「ちわ、例の件どうですか?」


薄暗い事務所の窓をコツコツと叩いて、遠慮なんて全く無く部屋に侵入してきたのは、速すぎる男という異名を持つ、ホークスだった。依頼を受けた際に、次に訪問してくる日時は聞いていたので、その時間に合わせて窓の鍵は開けている。彼はいつも玄関ではなく窓から入ってくるのだ。忙しい身とは言えどうなのかと以前物申した事があるが、その方が尾けられたりする心配がないからだそうだ。そう言われるとこちらとしては何も言えなくなってしまう。

苗字名前は情報屋をしている。主に敵の情報だったり、敵予備軍のチンピラの情報を取り扱っている。それこそ国に届出を出していない、所謂"裏の人間"の情報も。今回のホークスの依頼もその方面に関するものだった。警察からの情報提供の結果が芳しくない時や、警察の捜査を待っていられない時に名前の元を訪れる。


「あの敵グループ、やっぱり君が逮捕した奴らはただの末端だったよ。末端が捕まってしばらくは地下に潜むつもりみたい。」


いくつもモニターが配置された大きなデスクには、ホークスが見ても分からないような文字の羅列や株の変動らしきリアルタイムで動き続けるグラフ、どこかの防犯カメラの映像らしきものも映っていた。キーボードもいくつかあり、名前はホークスの質問に答えながらも、キーボードを叩く手は休めなかった。その首元には細い首には似合わないゴツいヘッドフォンが掛けられており、今は片耳だけが外されている。どうやら聴覚も働かせているらしい。一度にいくつもの情報を高速で処理する名前のその様子は、どこか自分と近しいものがあるとホークスは密かに感じていた。


「やっぱそうか。アジトの目星とか付いてます?」


ホークスの声に耳を傾けるだけで、名前は未だに目を合わせずにモニターを見続けている。そんな名前の顔の近くに、わざとホークスは自分の顔を寄せて問い掛けた。だが名前はそんなホークスをチラリと横目で捉えた後、すぐに目を逸らしてキーボードを叩き、ホークスの顔に一番近いモニターにマップとストリートビューを映し出した。


「多分この倉庫。届出が出されてる会社ダミーだし、ニュースがあってからここ最近人と車の出入りが激しくなった。防犯カメラの映像見る?」


名前の細い指がモニターを指差す。ホークスは思わずそれに少し気を取られるが、名前から問い掛けられたので我に返りパッと笑顔を取り繕って名前に目を合わせる。


「さすが。有り難いです。」

「君はお得意様だからね。No.3ヒーロー。」


そう言って名前は今まで大きなチェアに体育座りしていた足を伸ばし、背もたれにもたれかかり長時間同じ体勢でいた体を伸ばし、ホークスと距離を取った。その代わりに目の前に惜しげも無く晒された生足に、ホークスは避けられているのか焦らされているのかいつも分からなくなる。

名前は伸びをした後椅子から立ち上がり、「座って」とホークスに席を譲った。ホークスは軽く礼を言ってその立派な椅子に座る。するとホークスのすぐ後ろから名前が軽く身を乗り出し、片手でキーボードを操作する。その拍子に、名前の髪の毛が一房ホークスの肩にかかる。その距離の近さに、思わずホークスは息を呑む。先程は自分から同じように距離を詰めたのに、逆に向こうから来られると柄にも無く心臓が早鐘を鳴らしてしまう。操作を終わらせるとすぐに名前は離れ、キッチンの方へと向かっていった。残されたホークスはなんだか溜息を吐きたくなった。だが目の前のモニターにはすでに防犯カメラの荒い映像が映し出されている為、仕方なくそれに意識を集中させた。



元々名前が人の出入りの場面だけ編集していた為か、映像自体はすぐに終わった。ホークスがふぅと一息ついたと同時に、キッチンからコーヒーの匂いが漂ってきた。そちらに視線を向けると名前がマグカップを二つ持ってこちらに歩いてきていた。ホークスは椅子から立ち上がり、「ありがとうございます」と言って慣れた様子でそのうちの一つを受け取った。

今度は名前が椅子に座り、コーヒーを啜りながら足を組んでモニターに向き直る。防犯カメラの映像をUSBに移してホークスへ手渡し、マグカップをサイドテーブルに置いた。モニターから視線を外して、本日初めてホークスと面と向かって名前は口を開いた。


「そういえば、敵連合の件なんだけど。」


ホークスのヒーロー活動とは本来関係のない、"別件の依頼"だった。ブルーライト遮断用の眼鏡を外して頭にかけ、足を組み直してホークスを見上げた名前は、化粧っ気は皆無で着飾ってもいない、だるだるの部屋着にも関わらず、ホークスにはその笑みがどこか妖艶に思えた。


「公安に動きがあった。裏で捜索チームを組むみたい。主導はグラントリノ。先の黒霧捕獲の時に警官が負傷してるから、もしかしたら今度はヒーローだけで固めるかも知れない。」


この件は公安の機密情報ーーすなわち国家機密。なので先程のように安易にデータを渡したりモニターに映し出したりはしない。足がつくと一歩間違えれば国家反逆罪になるからだ。なので口頭での報告に留めている。それをホークスは分かっている為、メモを取ったりすることはない。一つの情報として自分の頭にインプットさせるだけに留めておく。それが自分と名前の両方を守る事になるからだ。つらつらと報告をする名前を、ホークスは黙って聞いていた。


「でもあくまで少数精鋭だろうね。どこに内通者がいるか分からないから。」


『内通者』。それはホークスも疑っていた。雄英でのUSJ 襲撃事件や林間合宿での拉致事件は、内通者の存在が無ければ成功し得ないものだった。ホークスは思案しながら名前に続きを促すようにひとつ頷いた。


「あと、改人脳無の事だけど、君が言うように全国で噂はあるけど、目撃情報はどれも信憑性に欠けるね。あくまで只の噂って感じ。
平和の象徴の不在が、こういう形で表面化して来てるのかも。」


脳無に関してはホークス自身も自ら各地で調査をした上で、名前にも調査してもらっていた。実地調査と情報調査では見えてくるものが違うからだ。だが名前の見解はホークスと同じものだった。名前は一息ついてからコーヒーを一口口に含んだ。ホークスのマグカップはほとんど空になっていた。最後の一口を飲み干し、ホークスは名前に口を開く。


「ありがとうございます。一応確認なんですけど、確かな情報ですよね?」


これまでの名前との取引の経験上、疑っているわけでは無かったが、今回の依頼は今までのそれよりかなりデリケートなものだ。名前はそれにピクリと眉を動かしてホークスを見た。


「馬鹿にしないでくれるかな。クライアントに依頼されたものはちゃんと"自分の目で"確認してる。」


そう言って名前はホークスの瞳をじっと見つめる。みるみる名前の瞳の色が変化していく。まるで獲物を見つけた猛禽類のような目だった。名前の個性を詳しくは知らないが、瞳を使う個性だと聞いていた。これでもし洗脳系の個性なら死ぬかな、なんてホークスは悠長に考えていた。だがそんな事にはならず、名前はすぐに目を逸らして眼鏡をかけ直す。モニターへと再び向き直って静かに口を開いた。


「情報は裏切らない。電子の世界は0か1かの2択だ。人間なんかよりよっぽど信頼できる。」


名前の過去をホークスは知らない。また、ホークスとて名前に自分の過去を話した事はない。ビジネスパートナーとして必要がないからだ。だがホークスはいつからか、この強かで弱い女の事を知りたくなっていた。だがまだ早い。もっと自分の事を信用してもらえるようになるまで、もう少し時間をかけなければ。名前が本気で行方をくらませたら、いくらホークスと言えど骨が折れる。地上から見える場所なら問題ない。だが名前は表と裏ギリギリのところにいる。地下に潜ってしまわれては、見つけるのは至難の技だ。ーーそれでも、見つけ出す自信はあるのだが。欲しいと思ったら我慢できない性分なのだ、ホークスという男は。


「ーー話が逸れたね。君は地上の空を最速で飛ぶけれど、私は電子の海を最速で泳ぐ事が出来るよ。・・・これからもよろしくね、ホークス。」

「了解です。名前さん。」


名前は眼鏡の奥にその獰猛な瞳を隠し、ホークスはゴーグルの奥で人知れず捕食者の瞳をギラつかせた。


折角の獲物。さて、囚われたのは、どちらかーー。