初恋の呪い



「好きだ、苗字」


高校3年の冬。轟も名前もお互いにプロヒーロー事務所の相棒として就職が決まり、残すのは卒業式となった時期だった。つい先日終わった期末テストの実技試験でペアになった轟と、反省会を行った帰りの事だった。轟に告白されたのは。


「・・・・・・轟くん。相手、私で合ってる?」

「合ってる。」


たっぷり10秒程、轟の言葉を反芻して出たのは、疑いの言葉だった。だが、轟は名前とは対照的に、間髪入れずに名前の疑惑を断ち切った。その真っ直ぐな瞳と心根は、轟の良いところでもあるが、今回に限っては少々厄介だった。名前は轟の言葉を聞いても尚、信じられないという気持ちが強かった。だって、彼は、誰よりも理解している筈なのだ。名前が誰のことを想っているのかを。


「俺じゃ駄目だって分かってる。俺が苗字を想ってるのと同じように、苗字も緑谷を想ってるのが、嫌ってほどわかるから。」


名前と緑谷は幼馴染だ。さらに言えば爆豪もだ。3人とも幼稚園からの付き合いで、昔はよく家族ぐるみで遊んだものだ。名前が緑谷への恋心を自覚したのは中学の時だった。幼い頃から爆豪に容赦なく打ちのめされる緑谷を、何度となく庇って来た。名前の"個性"は、爆豪のそれと相性が悪く、爆豪は名前にはその暴君ぷりを発揮する事が出来なかったのだ。どうしてこんなにも緑谷の事が気になるのかと考えた時に、緑谷の事が好きなんだと自覚した。


「でも、自分を顧みずに人の為に尽くす苗字を、見ていられなかった。だから、言うつもり無かったけど、言っちまった。」


いつだったか、寮のリビングで轟に何の前触れも無く「苗字って、緑谷の事好きなのか」と聞かれた事があった。その時は周りに誰もいなかったのだが、思わず名前は周りをキョロキョロと見渡して、「・・・誰から聞いたの」と地を這うような低い声で聞き返した。轟はそんな名前を特に気にする事もなく、「誰からも聞いてねえ。なんとなく思っただけだ。」と悪びれる様子もなく淡々と告げた。後から考えてみたら、恋愛ごとにあまり興味が無さそうな轟が勘付いた時に、こうなる可能性を示唆しても良かったかもしれない。だが、まさかクラスのトップイケメンが自分に気があるなど予想だにしなかった。


「告白しねえのか」「・・・しないよ。出久はお茶子の事が好きだもん。」「・・・そうか」そこで満足したのか、轟は来た時と同じように、それ以上何も言わずにリビングを出ていってしまった。何だったのか分からなかったが、轟は無闇に言いふらすような事はしないだろうし、ただ気をつけようと思っただけだった。


緑谷は、名前の事をただの幼馴染としか思っていなかった。麗日の事を相談された時、名前は失恋したのだ。照れ臭そうに「名前ちゃん、」と話し掛けられた時はまさかと思ってドキドキしたが、次の瞬間どん底に突き落とされた。だが、幼い頃から緑谷を守って来た名前は、そんな時も緑谷に弱い所を見せる事は出来なかった。ただただ話を聞いて、アドバイスをして、緑谷の背中を押すような事をたくさん言った。本当に言いたかったのは、そんな事じゃなかったのに。




「私はね、轟くん。出久に幸せになって欲しいだけなんだよ。」


そう言って名前は轟から視線を外し、ぽつりぽつりと話し始めた。轟はそれを静かに聞いていた。


「無個性で、誰より弱いくせにヒーローになるのを諦めないで、人を救ける為に自然と体が動いてしまう出久を、危なっかしいと思って目で追って、勝己から守ってたら、いつのまにか好きになってた。

そうやって思うのは私だけだとタカをくくってたんだ。」


名前は心の何処かで緑谷も自分をそういう風に見てくれているんじゃないかと、期待していたのだ。だから、自分からはその想いを告げようとは思っていなかった。そうして手をこまねいていたら、もはや手遅れだった。こうなったのは名前の責任でもあったのだ。緑谷を対等に見ていなかったのは、自分の方だったのだ。


「お茶子と出久が、お互いに惹かれてる事はすぐに気付いたよ。どっちも解りやすいからね。」


名前の気持ちなんて少しも気付かずに、麗日に笑いかける緑谷を、誰よりも近くで見ていたのは、名前だった。


「私にとってはお茶子も出久も大切な人。2人なら幸せになれると思う。」


これは、名前の本心だった。入試の際に緑谷の為に自分の点数を差し出そうとした麗日のような事は名前には出来ないし、自分では敵わないと思ってしまった。2人とも、自分から見てもお似合いだと思ったのだ。お互いに相手の事をきちんと尊重できる関係だ。名前には、到底入り込む隙間など、無かった。そう言って何処か諦めたような目をして笑う名前を、轟は見ていられなかった。


「じゃあ!苗字の幸せはどうなるんだよ!!」


名前の言葉に、轟の方が傷付いたような顔をしていた。その内に秘めた炎のように苛烈な熱のこもった瞳が、揺らめきながら名前を捉えた。


「そうやって他人の事ばっかり気にして!自分の幸せはどうだっていいって言うのかよ!」

「じゃあどうしたらいいのさ!」


今度は名前が声を荒げた。名前がこんな風に声を荒げるのを聞いたのは、初めてだったので、轟は面食らった。敵と対峙した時だって、冷静さを欠くことのなかった名前が、感情を露わにしている。いつも落ち着いていて、何処か一歩引いたような姿勢で話していた名前が。今まで誰にも吐露出来なかった言葉たちが、堰を切ったようにぽろぽろと名前の口から溢れ出していた。


「轟くんも言ったよね。自分じゃ駄目だって分かってるって。・・・私もそうだよ。出久には、私じゃ駄目なんだよ。」


轟と名前の想いは、どこまで行っても平行線でしかない。交わる事のないそれは、どこまでも不毛だった。いっそ自分の事を好きと言ってくれる轟の事を好きになっていれば良かった、という考えが名前の頭を過るが、それが出来ればこれ程までに苦しんではいなかった。


「こんなに好きになる前に、止められたら良かったって、思ったよ。思ったけど!



でも、無理なんだよ・・・」


もはや、これは呪いだった。それ程までに名前を蝕み、雁字搦めにしていた。緑谷の事も麗日の事も嫌いになれない。2人とも名前の大切な友達だ。そんな関係の中で、誰かに吐き出す事も、緑谷に想いを伝えて玉砕する事も出来なかった。そうして膨れ上がった想いは、もう名前にもどうする事も出来ずに己を苦しめていたのだ。


「私だって、本当はずっと・・・泣きたかったよ・・・」


悲痛な叫びを押し殺しながら、胸の内を明かした名前は、それでも尚泣く事はしなかった。そんな名前を前に、轟はどうする事も出来ずにただ立ち尽くすしか無かった。