※アカデミー時代の話

 アオキが同級生のオモダカからの連絡を受けたのは、辺りが暗くなり出したばかりの夕刻だった。しるしの木立で探索をしていた彼女は、どうやら野生のワナイダーからの攻撃をかわしたところで近くにあった岩に躓き足首を挫いてしまったらしい。あの場所は陽がまだ出ている時間帯でも、夜のように薄暗く、そこで暮らしているポケモンたちは得体の知れない者を見るかのようにして招かれざるトレーナーたちを物陰から覗いている。あのオモダカでさえも、薄気味の悪い場所に置かれるという状況はあまり好まないだろうと、いついかなる時も悠然とした態度のすまし顔が一体どんな顔で自分を待っているのか興味が湧いた。一応、オモダカを助けにいくという名目のもと、アオキは相棒のムクバードを連れてしるしの木立へと急ぐ。
 しかし、東3番エリアを抜けた先の、低木が生い茂る出入り口付近で、二本足でしっかりと立つオモダカの姿が確認でき、アオキは残念がると同時にその異質が紛れ込んだ彼女の様子に違和感を抱く。その答えは、どうやら彼女の傍らに同じようにして立つ、見知らぬ女の子のせいなのだと気が付いた。その子がどういった人物であるのか、歩みを進めるたびにその姿形や雰囲気が鮮明になるにつれて、彼女に目を奪われていく自分がいる。
(なんだ…?)
 その疑問は今抱えている感情についての違和感、そして彼女自身にも向けられていた。自分よりも下に見える齢、白い柔肌が薄闇の中で重たさを纏い、小さな身体を包むその羽織はそんな彼女の顔を艶やかに映えさせる赤い色だった。煩わしい。その感情を引き連れた要因として、彼女が自分を見つけた時の態度が気になる。オモダカに向けるそれとは程遠い、あまりにも薄い興味関心。ポケモンバトルにおいて、オモダカと並ぶ程の強さを誇るアオキにとって、そのような態度を取られるのは初めてだった。アカデミーでこそ、良いものから悪いものまで余すことなく関心を寄せられ、最早、雑音にしか聞こえないその中で、たった一つだけ与えられた静かな世界。それは、普段のアオキからしたら物足りない世界といっても過言ではない。
「ありがとうございます、アオキ」
 自らを迎えに来た同級生にオモダカは礼を尽くすが、今はその声すらアオキの耳には届かず、自分よりもずっと背の低い、そこに身を潜める彼女にだけ視線が向けられていた。そんな二人の様子を不思議に思いながらも、オモダカは自分がアオキに抱きかかえられずとも二本の足でここまで歩けた理由を話す。
「この子が、足の手当てをしてくれて、ここまで案内をしてくれたのです」
 その事実を知り、やっとオモダカに目を向けたアオキは、どこかうわ言のように「はぁ、そうですか」と呟くだけだった。視線を下に移すと、その足にはそこら辺で調達してきたような木の棒が充てられて、布の切れ端でしっかりと固定されている。オモダカの影に隠れる彼女の手にはそんな布袋の名残のようなものがあるのが見て取れた。
「こんなところで木の実の採集ですか。しかも一人で」
 その地を這うような低い声が初めて話しかけたことで、彼女の瞳がアオキに向けられた。まるで聞いてはいけないことかのような雰囲気を醸し出し、何も声を響かせることのないその沈黙は、最早壁を作るための防御にしか見えない。彼女が少し後ずさるようにして片足を動かした。
「…大丈夫ですよ。これは一見、無愛想な男ですが、」
 2人の間を取り持とうとオモダカが声を掛けるが、彼女は踵を返し森の中に帰ってしまった。これから暗闇に包まれていくというのに、小さな女の子の背中はその赤色を黒に溶かすようして森の中へ消えていく。あんな場所の何処に帰る家などあるというのか。アオキは自分のことを心にも留めない彼女のことが気に入らず、皮肉めいた表現で彼女の正体を指摘した。
「まるで幽霊にしか見えませんが」
「明日、始業前にお礼をしに行くと約束を取り付けました。幽霊が約束など交わすものですか」
 彼女を庇うようにして自らの発言を咎めたのを聞き、あの幽霊がちゃんと意思疎通の出来る生き物であることを知った。それを聞いても尚、アオキの彼女に対する心情はますます不服を増すばかりで、その視線は木が幾重にも生い茂る先を見つめ続けている。だとしたら尚更、なぜ自分にだけ口を開いてはくれないのかと、アオキの眉間は皺を増すばかりだった。そんな彼をオモダカは、自らのライバルとして称賛しつつ批難するような言葉で表現する。
「鋭意ことに当たるのは良いのですが、無愛想なのが仇ですね」
 何に対して、熱心なのか。アオキはそれがポケモンバトルに使う言葉として認識していたのと同時に、どうして今その言葉を使われたのかが分からない。既に陽は沈み切り、空にはポツンと月が鎮座している。その下でオモダカの表情に目を凝らしたアオキは、光に照らされる柔らかい笑みに気が付き、無意識に目を逸らしたのだった。

 翌日、昨日の夜のはじめ頃に起きた出来事の時から、彼女のことが気になっていたアオキは、まだ陽が昇り切らない夜明けに目が覚めた。いつもなら起きた瞬間にキッチンに立ち朝食を用意するところだが、その足はまだ静かな寮内の廊下を歩いている。念のため、朝の点呼に間に合わなかった場合を想定して、制服に着替えたアオキはアカデミーを出発した。
(幽霊かどうか確認するだけだ)
 そう思考では述べているが、その内情は彼女が幽霊ではないことなどよくよく理解している。ポケモンバトルにおいてオモダカよりも上を行きたいという欲望が反映されているのか、約束をしているという始業前よりも先に彼女を見つけたいと考えていた。しかし、しるしの木立の入り口に立つ彼女を想像した時、それを見つけた自分が何をすればいいのかも分からなかった。ただ抑えきれないこの衝動は、彼女に声を掛けられて、笑顔を向けられることで収まるのだと気が付いている。昨日はオモダカが居たから、たまたま興味が自分に向かなかっただけ。薄暗がりの中で、自分が大きくて怖い者に見えていただけ。彼女が自分の事を知らなかったから良い反応を示さなかっただけ。東3番エリアの中間地点にたどり着くまで、様々な理由を並べ立て育てていたアオキの楽観的な思考は、しるしの木立の入り口付近に疼くまる赤いものを目にした時、打ち止められる。昨日のままの姿でそこに居る女の子。いつからそこに居たのかは分からないが、オモダカの約束を律儀に守り、待っている間暇を持て余していたのか、地面にその目を伏し土埃の上に絵を描くことに熱心になっていた。砂粒を走る木の棒の乾いた音が、静けさの中で反響し、確かに彼女がそこに居るのだと、改めて存在を認識する。それと同時に、アオキの片足が躓き砂利を蹴った音を耳にしたのか、顔を上げた彼女は遠くにいるアオキに目を凝らした。手にしていた木の棒を捨て立ち上がったが、その明るくなった表情から一変、それがオモダカでは無くアオキだと分かると表情が滑り落ちるようにして消えていく。それを目にした瞬間、彼女のことを咎めるように歩みを早めたアオキが、止まることなど知らずに彼女の元へと向かう。両手を胸の前に寄せ、身を引き締める彼女を目の前に、アオキの期待は屈折した感情になって彼女に降り注がれた。
「始業前というのは、こんな夜明けのことではないです」
「分かりませんか。やっぱり、貴女は学校に行っていないのですね」
「両親は貴女に関心がないのですか? どこにいて何をしているのですか」
「自然環境保全地域に家があるなんて、いけないんですよ」
「そもそも、子供が森に一人で帰ること自体おかしいと…」
「…待って、待ってください」
 気がつけば彼女のことを否定するような言葉ばかり掛けていたアオキは、顔を青くして森へ逃げ出した彼女を目にし、自分が如何に愚かなことをしてしまったのだと頭が冷えた。違う、自分は貴女と仲良くしたかっただけなのだと、今更本心を伝えるために伸ばした手は数本の大木によって遮られてしまう。気がつけば彼女の背中を追いかけ、しるしの木立に足を踏み入れていたアオキは、木々が幾重にも生い茂るその空間に違和感を感じていた。
「おかしい…」
 そこまで森へ入り込んではいないはずなのに、進めば進むほどに入り組んでいく木々に背筋が凍る。それでも、いつかは彼女の元へと辿り着くだろうとその鬱蒼に僅かな希望の赤を求めて目を彷徨わせていたが、それも木の幹に描かれたタギングルのカラフルな毒絵によって惑わされてしまう。そうして、自分が進めば進むほど、彼女の赤を探せば探すほど、この森に迷い込んでいるのだと気がついた。それでも彼女の誤解を解かなければと、諦めることを知らない執念深さはアオキの目の前に現れたピカチュウを模したゴーストポケモンによって危険な行為なのだと知った。自分のことを目にしても逃げ惑うことをしない、むしろこちらにトボトボと向かってくるミミッキュに恐怖を感じて固唾を飲んだ。好戦的なミミッキュがもしそのボロ布を自ら捲れば、ポケモン図鑑で読んだままの不幸が起きるかもしれない。それに、モンスタボールを探すため内ポケットに手を入れたが、それがないことに気が付いた。結局、アオキは彼女を探すことを諦めて来た道を戻る。そのことが森に知られたのかは分からないが、その帰り道は単純な道筋でしるしの木立の出入り口にあっという間にたどり着いた。あんなに迷っていたのに、それが嘘のようにして、あっさりと陽の下に帰れたアオキは、そこに居たオモダカの姿を見て大人しく戻ってきたことを後悔した。生い茂る木立に歓迎を受けたかのようにして、頭に葉っぱを乗せ、手足に擦り傷をつけた同級生を目にしたオモダカは目を丸くして口を開く。
「何故、アオキが出てくるのですか」
「…分かりません」
 後悔だけが残り、オモダカの視線から逃れるようにして俯いたその先には、土の上に描かれた彼女の絵がある。しかし、絵だと思っていたものはよく見ると文字にも見える。その一つ一つを目で追っていくと、どうやら人の名前のようにも見えた。

 それから、事の顛末を知ったオモダカに呆れられ、共にしるしの木立にいるはずの彼女を探し回ったが同じようにして森に迷うだけで見つからない。月日が流れて、あれはやはり幽霊の子供だったのだという結論をオモダカが言い出したのと同時に、アカデミーではしるしの木立に関する噂が回り始めた。森の中にある幽霊屋敷に"たどり着いた"トレーナーの話。そこには確かに人間が住んでいる形跡があるのに誰もいない。代わりに、勝手に椅子が動いたり、物が落ちたりするというポルターガイストの現象が起きたのだと言う。しかし、その噂を聞きつけた廃墟好きなオカルトマニアや、肝試しに向かったアカデミーの生徒たちによると、そこにはただ"深い"森があるだけで珍しいものは何も無かったらしい。
 あの森は幽霊が住んでいる。そんな噂も、時が経てば誰もが忘れていく中で、アオキだけは何か確信めいたものを感じていた。それは、彼女が土の上に書いた下手な文字。子供の拙い字で書かれた「ナマエ」という文字は、彼女の名前だったのだと気が付いた。そして、そのことが、彼女が実在する人間なのだと信じて疑わない要因の一つだった。
「オモダカ、ナマエって知っていますか」
「知りませんが、何ですか?」
 教室の片隅でノートに向かうアオキに質問されたオモダカは「ナマエ」という文字で埋め尽くされた一面を見て眉間に皺を寄せた。
「…知らないのですか」
 その言葉をライバルに放たれて、少しむくれた表情を表したオモダカを見て嬉しくなる。オモダカは知らなかった。この文字はきっと、あの女の子がオモダカのために用意した文字だというのに。そしてきっと、初対面で名前を教えなかったのは、おそらく誰にも自分の名前を呼ばれた事など無かったから。もしくは久しく呼ばれていないから発音を忘れていたかのどちらかか…。それでも、名前を覚えてもらおうとオモダカに会う直前まで懸命に練習をしていたに違いない。それなのに、自分は…。
 アオキは自分のした行いに後悔を感じていたが、これ以上考えるのを止めることにした。ナマエのことを想ったところで、彼女を見失ってしまったことには変わりない。ただ幽霊ではないということを、自分だけが知っていれば良かった。この世界のどこにも彼女が人間だと知る者はいない。あのオモダカでさえ、今は諦めてナマエのことを幽霊だと考えている。ナマエを生かすも殺すも、この「愛」なのだと、アオキは彼女のことを人間だと証明できる、もう一つの確信を心に秘めて、今度は必ず自分がナマエを見つけ出すのだと心に誓った。

 その時には、ナマエのことを怖がらせないようにしよう。今のままではきっとダメだ。どうにか他人のフリをして、優しい俺を植え付ける。傷付けないように、ナマエのことを手に入れたい。
 それは、最早歪んだ愛なのではないかと思う。彼女の何がそんなに自分を惹きつけるのか。それを知るためには、もう一度確認しなければならないと、アオキは遠い未来彼女があの森から出てくることを願って、このパルデアの地を見た。

「何かの呪文にしか見えません」
 オモダカは、ぽっかりと空いたノートの空白を埋めるように書かれた「ナマエ」の羅列に、何か呪術的な意味合いを考えた。そして、窓の外に目をやる同級生に答えを求めたのだった。
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