職も無ければ、居場所を得るために用意した嘘偽りの自分も居ない。それが今の私だった。久しぶりに帰郷した此処—しるしの木立に身体を休ませる場所があって良かったと、何もない日々に心の安寧を感じている。それまで、何とも情緒が乱される毎日を送っていたのだろうと思考を巡らせて、目まぐるしく変わる世の中と共に、自分の人生がやっと"普通"に追いついたのだと理解した。それと同時に、依然として変わることのない窓から見える森の景色に、不思議な違和感を抱いている。幼い頃から共に歩んできた、森という居場所への絶対的な信頼は、彼と出会うことで心を貪るような孤独感に塗り替えられていった。しかしそれは、再びやってきた隣人との邂逅により、何も無い、ただの森だったのだと気付かされる。私を優しく包み込むことも、暗闇に突き落とす事も無く、そこに静かに佇むだけだけの森がある。ふと、自分の中で「私の森は何処へ行ってしまったのだろう」という疑問が浮かび上がり、それほどまでにこの場所は、私の中で消えて無くなるはずのない、しがらみだったのだと気付かされる。その見晴らしの悪い場所から脱した今、この森も、私も、ただ自然の理に沿って動き出すだけだった。だからなのか、私は彼、ハッサク先生の行動が間違いだらけだったのだと、今更になって答え合わせができている。
さして時間はかからないと豪語するアオキからの連絡が来るまで、テーブルシティにある貸家に残ることも考えていた。いつ貯金が尽きるか分からない現状なんてものも、あの彼が愛してやまないアカデミー生から向けられる視線なんてものも、怖くは無い。それよりも、裸のままでいる私が、彼からの温情に受け流されてしまう、そんな恐怖に苛まれていた。出会った時と同じように、訳も分からない感情に支配されてしまう、あの感覚が私を上手く操り行われる儀式が私を封じ込める。彼が与える中途半端な愛に怒りを感じる。彼の底知れぬ正体不明の愛が、素性を抉り出された私に向けられることなど容易く想像できてしまう。雨雲の無い天候、乾いた風を吹かせながらも、私に水を与えようとしてくれる。その唇で私を閉じ込めて、微笑みながら私の束縛をいなした彼のことだ。今度は、私が溺れて、もう二度と這い上がってこれないような大海で包み込んでくれるに違いない。彼は、そういう男なのだ。
ガタン——
ふと、食卓の役割など、忘れてしまったように埃を被るテーブルの上、考え込む私の耳に物音が入り込んだ。その方向に目をやれば、木カゴの中でベッドに寝かしつけられるようにして布に包まれたアルクジラのモンスタボールが揺れていた。それが置かれているスツールの脚を馴染みのミミッキュが悪戯に揺らしている。
「…なんだ」
その安堵は、静かな森の中へと消えていく。私以外の人間が、此処に来れるはずがないのに、そんなことを理解していながらも、この場所に誰かがいるのかと勘違いをした。今は、ハッサク先生にも、誰にも会いたくない。今の私は、ただの可哀想な人なのだ。決してあの頃と同じではないのに、全てを知ってしまったからこそ、失ったものが大きい。社会の中で存在を証明できる、その容れ物に収まるまで、今はどうか一人にしてほしかった。
ザアア、ザアア—
この鬱蒼を晴らしていく風が、しるしの木立という存在を轟かせて私を紛れ込ませる。葉擦れの音が細かく隆起して、ポケモンたちの鳴き声が止んだ。誰も彼もが、この騒がしさの結末を耳をそば立てて待っていた。この森が普段を装いだしいつも通りに戻るのを待っていたが、ふと昔のことを思い出す。そういえば、一度だけ、一度だけあった。ざわつく草木と共に異質さを孕む出来事がこの森と、そこに暮らす私を襲った。誰にも見つからないこの家に、私以外の人間が入り込んだ。幸いなことに、向こうも道に迷っていただけの、ただの人だったけれど、幼い頃の私はそれだけでも衝撃的で、その後の生活が、より人間の目に触れぬように生きなくてはならなくなった。昔の体験として完結しているその出来事だが、今の私にとって、あれは必要なアクションだったのかもしれない。
そんなことに思いを馳せていると、空虚を仰ぐ視線の片隅で慌ただしく動き回るミミッキュの存在に気が付くのが遅くなる。円を描いて鈍く走り回るそれを見て、その一度しか無かった出来事の、忘れかけていた記憶が引き摺り出されていく。危機を煽った静かな促しが、あの頃と同じようにして、私のパンツの裾を引っ張った。それと同時に聞こえた扉の叩く音が、私の一息を冷たく張り詰めた空気の中へ落としていく。森を揺らす音はもう、止んでいた。
—コンコン
即座に身を屈めたテーブルの下、滑り込ませた後追いの風で埃が宙を舞う。その、ゆっくりと降りていく光の中で突如現れた黒い影に覆い被されて塵の行方を見失う。窓から見えない位置に身を隠すことができたのが、正解だったのか、その影の下、壁を隔てた向こう側で誰かが家の中を覗いているのが嫌でも分かってしまった。
「(だ、誰…!?)」
足音が一人、外にいる。跳ねる心音の中、生きた心地などするはずもなく、その人物が諦めてこの場所から立ち去るのを待つしかなかった。しかし、その人はあろうことか、また扉の前に戻るとガチャガチャとドアノブを回転させる。テーブルシティでの生活が功を奏したのか、その扉は開かれることは無く、私は扉一枚に守られた。普段ならミミッキュの出入りのために鍵を開けておくのだが、今回ばかりは鍵をかけておいて良かったと胸を撫で下ろす。同じテーブルの下に身を隠したミミッキュが小さく鳴いたのを聞き、その不安が嫌でも私の感情を揺さぶった。側で小さく縮こまるその彼が、何故だか申し訳なさそうにして私のことを見上げていたからだった。
「(シッ! 大丈夫だから)」
そんなやり取りをしていると、外を無遠慮に歩き回る足音が遠くの方へ小さくなって消えていったのが分かった。その音が戻ってこないことを確認すれば、同時に、何かの合図らしいミミッキュの細い声が部屋の中の静寂を突き破る。
「…もう、行ったのかな?」
念のため、窓枠の縁から顔を少しだけ出して森の中の風景を見渡した。そこには、ただの森があるだけで、なんら変わりはない。しかし、一体、誰だったのだろうという、疑問を抱く。ただ、こんな場所を訪ねるにしても、人が住んでいると理解をして扉を叩いた人が、無断で中へ入ろうとしていたのには違和感がある。幼少の頃に訪れた一人目の訪問者ですら、声を掛けてくれたというのに。無言で現れて去っていった客の正体を考えて、頭に不安が駆け巡った。
「…もう、此処には居れないのかもしれない」
そう思ったのは、この森に対する考えが改められたからなのであろう。私を守ってくれたこの森は、良く言えば殻で、悪く言えば壁だった。母と共に暮らしてきた僅かな記憶の中で、何かに怯えこの場所に篭りきりになった母が嘆くのを見ていた。やがてヒビ割れてしまったようにして、崩れ去ったその暮らしは私を置いてけぼりにし、緑園をさらに深い色にしていった。おそらく、私だけは守るために、だ。スピリチュアル的思想は持ち合わせてはいないが、何かしらの力が働いているのは確かだった。でなければ、母が命を捨てた意味が無くなってしまう。でも、今は、その意味も弱まりつつあると思ったのは、私が自らこの森という殻を突き破って、壁の意味を無くしたからかもしれない。真相は分からないが、もう此処は私が居ていい場所ではなくなってしまった。
「やっぱり、テーブルシティに戻ろう…」
そう独り言を呟いた頃には、太陽は沈み、辺りは暗くなっていた。こうなってしまったら、しるしの木立の夜はあっという間だ。此処に暮らすポケモン達が闇に包まれていく中、草木を掻き分けて走り出したのを耳にする。時には喉を鳴らし、隣り合う者同士でお互いの場所を確認する。決心を抱いたように、アルクジラのモンスターボールを手に取って腰を上げた私は、今はもう、明かりの灯らない電灯の下でこちらを見上げるミミッキュに声を掛けた。
「もう大丈夫だよ」
ピクリ。私の言葉に、その彼の小さな体が身構えた気がする。
「私が物心ついた時から、此処に執着するアナタのことをずーっと考えていたんだけど…」
「お母さんの魂が宿ってる、とかある?」
「この家をずっと守ってくれていたんじゃないのかなって、時たま思うんだ」
そう聞いたのは、手持ちでも無いミミッキュの先程の行動に、人間に対する情を感じたからだ。それだけじゃない、ずっとずっと、ミミッキュは私に対して何かしらの情を向けている。それはおそらく、私が此処に居なくても、だ。まるで、私の居場所を守るようにして、彼はずっと此処に居るのではないかと思う。そんな彼に私は、自由に生きてほしいと、何も言わずに側に居てくれた彼の未来を祈る。
「もう、縛り付けるものは無いのよ」
「私も、貴方も」
薄暗闇の中で、どこを見ているのか分からないミミッキュの本体がブルリと小さく揺れた。何かを伝えようとしているが、何も言わず。夜になれば収まるはずの風が、今日は珍しく強く吹き荒れていた。大きく揺れ動く森が彼の心情を表しているように見えて、思わず彼の名前を呼んでしまう。その呼びかけに、母が愛していたポケモンが遠い記憶の片隅で吠えたその光景を思い出し、懐かしく感じた。
「…ゾロア」
不意に口を衝いて出たその名前にミミッキュは驚きを示したかのようにして、激しく動き回った。まるで、何かが解かれたように、慌ただしくなる。
「えっ!? どうしたの!?」
私、何かまずいことを言ってしまったのだろうか。それとも、今は居ない母の相棒のことを知っていて、何かを思い出したのだろうか。そうであれば、やはりこのミミッキュは母を知っていて、ゴーストポケモンとして魂を喰らっていて…!
そう共に混乱する私の視界から消えて、いつの間にかドアの方に走り出したミミッキュが大きな音を出す。
「わっ!?」
ガコンッ!と金属音を立てたのを聞き、ミミッキュがドアを壊したのだと分かった。情けなく軋んだ音を鳴らして開いた、その僅かなドアの隙間から小さな体を押し込める。
「ちょ、ちょっと!! 大丈夫…」
そう手をかけるよりも先に、不自然に開いたドアが彼の体を解放した。こちらを振り返ることもせず、外へ逃げ出していった彼と入れ替わるように、大きな影が月明かりの中に差し込んでくる。酷く見覚えのある、赤いダイヤ型が施された革靴のタンを見て息が止まった。
「ひっ」
視線を上げてその姿を確認するよりも先に、何か異質な物を見てしまったかのような声が出る。反対方向へと自然と捩り動く私の身体を制するように、長い腕が即座に伸びて、大きな掌が私の腰辺りを手荒く掴んだ。何か声を出す為に息を吸った肺の空気は、傍にあるソファに思い切り叩きつけられたことにより声に成らず、代わりに激しく脈打つ心臓と連動して弱く絞り出される。耳を塞ぎたくなるようなスプリングの音が、その異様さを物語っていた。立ち上がった埃が外から差し込まれる月の光の中で、ゆっくりと下りていくのが見えた。なんだこれは、デジャブ?そう頭の中で冗談を呟けるほど、現実で起こっていることに思考が追いつかない。戸惑いつつも視点を上げれば、その全ての元凶がこちらを見下ろし、二つの目をギラリと光らせていた。その身体と、その気迫を上から掛けられて深く深くソファに沈み込んだ私の身体は、今一番会いたくない渦中の人物によって、強制的に引き寄せられてしまった。視線も、思考も、この身体から出る声までもが、全ては彼の思い通りになる。
「…ハッサク、せんせっ」
その震えた名前の中で、自分が恐怖を抱いているのだと理解する。何故、此処に。そんな疑問よりも、彼の底知れない怒りの矛先が自分に向けられていることに疑問を抱く。私の息遣いしか聞こえないこの静寂の中を、抑揚の無い無機物めいた低い声が貫いた。
「…小生は子供の頃から、一族の長となるべく様々な教育を受けてきましたですよ」
突然始まった身の上話に呆気に取られたのは、今まで目を逸らすように避けられてきた彼についての話を、いとも簡単に紡がれたからであった。困惑を示す私の上で、それでも言葉を流し続ける彼の言葉を、ただ黙って聞き入れるしかなかった。
「長としての振る舞い、竜を従うべき必要な志、そして、一族の歴史を理解する上で知っておかなければいけない禍事も…、全て知らなければいけないのです」
禍事。その言葉の後に何処か遠い場所を見ていた彼の目が、僅かだが私を捉える。
「しかし、一つだけ分からなかったことがあるのです」
「一族を震わせた首謀者の、動機ですよ」
「あれほど、書物に記された惨事ですよ」
「原因だけが、どこにも記されていない…、父に聞いても、そんなことは気にするなど突っぱねられてしまいまして…」
憂を抱えるような顔をして首を振った。
「…少し、話は変わりますが」
かと思えば、ケロリと表情を変えて雰囲気を一変させる。まるで他人事のように、彼が抱える故郷の歪さを吐露した。
「一族の血をより濃く引き継ぐ為に、同じ土地で育った者同士でないと婚姻は許されないという約束事がありまして」
「何でも、違う血が混ざり合うのは竜を従わせる力が弱くなってしまうのだとか…」
「そのせいで、いくら愛し合っていたとしても、一族の人間でなければ結ばれないのです」
「いくら、その人を愛していようが、いくら、その人との未来を思い描こうが、決して許されないのです」
「名前を呼んでもらいたいと思っていても、将来そこには居ない、小生の耳には届かない…」
彼の顔に闇が翳りだす。それはひどく悲しみを抱えていて、私はやっと声をひり出すことができた。少しでも、彼の力になればいいと。
「…ハッサクさん」
「…すいません、話が大分逸れてしまいましたね。しかし、中々に、本質を突いているとは思いませんか?」
しかし、その彼の心にはうまく届かずに、終わりに近づくために先を急かされる。
「動機、ですよ」
「長となるべく全てのことを知らなければならないのに、不透明な部分だけが違和感を主張しているのです」
「でも、それが何なのか、今でははっきりと分かる」
私の二の腕を掴む大きな掌がギュッと力を込めた気がした。
「小生のような立場の者は、恋を知ることすら禁句だったのだと…」
「くくっ、恋だなんて」
「今更、年甲斐も、無いでしょう…」
卑屈を込めて笑う彼は、どうにも心の底から笑っているようには見えない。
「無意識に刻み込まれた、目に見えない物に対する恐怖が、今になって現れるなんて…」
「思いも寄らない…」
静かに紡ぎ出される言葉の後に、身を屈めて私に近付く。唇に当てられたソレは恐ろしいほどに冷たく、その大きな身体が小さく見えるほどに弱々しかった。口を少し開けた彼が名残惜しそうにして私の唇を啄む。チュッと、この不穏な空気に似つかわしくない音がどうにも情けなくて、不思議な感情を抱える。
彼は突然、私の前に現れたにも関わらず、また、軽々しく唇を奪った。しかし、あの頃とは違い、私は何も感じることなどできない。数分前の、ミミッキュは一体何をしたかったのか、どこへ行ってしまったのか、それと同列にある彼への軽い疑問に、逆に悲しみを覚えてしまった。最早、この感情は一体何なのか。私が理解するのに、容れ物が小さすぎて抱え込めそうにない。それが腕からこぼれ落ちて、何かの終わりを告げていく。
「どう、思いますか?」
そんな私の様子を見た彼が、まるで無から始まる赤子に教え込むようにして、勝手にこの感情の正体を刷り込んだ。
「分からないのでしょう? 教えて差し上げます」
「貴女は、小生が、憎くて堪らない」
「小生は、貴女が、怖くて仕方がない」
ゆっくりと紡がれる言葉の羅列に支配されそうになる。
「出会った時から、そうだったのです」
違う。そう彼に伝えられなかったのは、その彼が悲しそうに頭を項垂れたからであった。此処には無い。無理矢理現れた彼の心は、もう此処には無かった。いくら声を掛けて、視線を逸らさずにいても、彼の心はもう…。
その金色に隠れた向こう側、息を吐いたのを聞いた後、ふっと身体が軽くなった。ソファのスプリングの音が鳴り、彼の手によって身を起こされる。それから与えられる言葉というものは、私が最も危惧していた、彼の底のない無機物な愛だった。
「此処に小生の里の者が来ましたでしょう」
「何かされませんでしたか?」
「どこも、怪我はありませんね」
「良かったですよ」
「貴女があの家に居なくて、驚きました」
「所在不明になるのは、止めなさい」
「でも、此処にだけは居ない方がいいでしょう」
「叫んでも、誰の耳にも届かない」
「人の中に紛れ込んで、生きなさい」
「小生とはもう、関わりはない。そんな顔をして暮らしなさい」
矢継ぎ早に言葉を投げられて頭がカッと熱くなる。私が何も言わないのを良いことに、投げるだけ投げた言葉を最後は愛で包めるなんて横暴すぎる。彼はいつもそうだ。私はもう前に進んでいるというのに、彼はいつも後退していて、その後ろの方で他人事のように私を眺めている。もう、我慢がならない。私は、パルデアで最高機関を名乗り、彼の強さを証明する場所の名を口走る。確証など無い、正当法では無い、それでも、私は其処へ行きたい。
「私、ポケモンリーグに行きます」
「…やめておきなさい、と言いたいところですが、貴女の人生に口を出す権利すら小生にはありませんから、何も言いませんよ」
売り言葉に買い言葉で返される。その中にはただひたすらに醜さを孕んでいた。もう、貴女とは無関係と言われているのに、私を押さえ込もうとするその醜さが。
「…そうしたら、何も言わない方が良いですよ」
怒りに震える声で言い返す。ギシッと音を鳴らして立ち上がった彼の動きが途中で止まる。彼の重さから解放されたソファは、私の身体を持ち上げるようにバネが戻っていった。取り残されていく私と、彼の体温に気分が悪くなる。
「…恐ろしい」
「まるであの頃とは違う、貴女の成長が垣間見えて、小生は嬉しいですよ」
「…ですがもう、時間切れです」
「好きになさい。貴女の人生…」
「この世の誰よりも、幸福を願っていますですよ」
本当に、最悪な気分だ。彼の行動や言葉は全てが正しいように取り繕っているだけで、間違いだらけだ。「出会った時から、そうだったのです」だなんて嘘だ。彼の言葉の全てに、私と初めて出会った頃の記憶は消されているのに気が付けた。
乾いた風が吹いている。砂埃が舞う中を遠くからでも分かるほどの煌めきが酷く私を打ち付けて、何かに捉われたように足を動かした。人の中に紛れ込んで生きていた私を見つけて、笑ってくれたあの人は、今はもう、背中を向けて暗闇を抱え込むその先へと消えていく。まるで私から逃げるように、小さく小さくなって消えていく。
「ハッサクさん」
彼が教えてくれた、彼の名前を呟いた。葉擦れの音の中、彼の耳には届かない。でも何故、教えてくれたのか、名前を呼んでもらいたいと願ったのか。私だけは彼の、何のしがらみも無かった頃の、その感情の正体を、知っている。底知れない愛のその下に隠された、その正体を、知っている。
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