※ポケモンの食肉描写があるので注意、あくまで創作です
※フォロワーさんの夢小説企画
「…実は、旅館を取ってありまして」
市場では食用として出されることのないケンタロスの美味しい部位だけを寄せたフルコース、それを慣れた手つきでトングに挟み込み鉄板の上に乗せた。ジュウゥと音を弾かせて油と煙が立ち上がるその靄の向こう側で彼は目も合わせずに、当たり前のように心臓を跳ねさせるようなことを言う。こういう、何も考えていなさそうな男の、唐突に出てくる誘いにドギマギすると同時に不安になる。少し、女慣れしすぎて怖い。それに対抗しようと駆け引きを目論んだけれども、こういったことに経験の無い私は全て知らないふりをして単語を繰り返すしかなかった。
「……旅館」
「はい、旅館……」
丁度良い具合に焼き目の付いたお肉を手元の小皿の上に乗せてくれた。「キョジオーンの岩塩がよく合う」そう、独り言のように呟いた彼がカッターシャツのカフスボタンを外し袖をまくり上げた後ミルを回す。ゴリゴリゴリとその塊が削られて降り注がれる塩を見ているとき、まるで他人事のように考えていた。目の前の、手の甲に浮き上がった血管も、熱気を浴びて額に滲む汗も、今日唐突に連れてこられた高級料理店も、何もかもが夢のようで胸焼けがする。挙げ句、摂取したこともない栄養素に本当の胃もたれを起こすかもしれないと心配になったが、鼻を掠める肉の焼けた匂いが思っていたよりも良い匂いで食欲を刺激し、気がつけば白く艶やかで温かい米を贅沢にその肉で包んで口に運んでいた。
「おいひいです、アオキはん」
お淑やかなどという所作もなく、口いっぱいに含んだまま感動を伝える。それくらい美味しかったのだからしょうがない。
「……、良かったです……」
疲労で表情が落ち切ったその顔がフッと緩んだのを見たとき、彼は私のことを落とそうとしているのだと確信した。ここ最近の急接近から始まり、本日のお誘いに至るまでを走馬灯のように思い出し統合する。そして私は、そんな彼を恐ろしいと感じて、甘く煮詰めたような感情と共に咀嚼を繰り返して飲み込んだ。危なかった。気が緩んでいた。そのくらい私は彼のことが好きなのだ。目の前にいるこの人と、感動を分かち合いたくて我を忘れるくらいに、好きなのだ。でも、男と女の感情は似ても似つかないもの。それが合わさったとき、どちらに向かうのかが、私には怖くていけなかった。彼のことは好きだけど、遊ばれたくない、壊れたくない。営業成績が悪く影も薄いような彼に、強い男の魅力を感じて密かに思いを寄せている女性が沢山いることを、誰もがこの与えられたチャンスを逃さないということを、言葉にされずとも知っている。
「(此処は何回目? 私で何人目……?)」
目を閉じながら肉と白飯を掻き込んで咀嚼する、彼の意外にも柔らかそうな膨らんだ頬を見てぐるぐると考えた。そういえば、"返事"がまだだった。そう気が付いたとき、彼の熱を込めたような視線が鉄板を挟んだ向こう側から突き刺さる。柔らかい肉を口内で噛みちぎる音の後、喉仏が上下した。軽い女だと思われたくなくて、だけども彼を逃したくはなくて、「こういうお店は初めてです」と生娘のフリをして嬉しがる私を、彼は一体どういう気持ちで見たのかだけは知る術がない。
腹を満たした私たちは空飛ぶタクシーの中で、愛の逃避行を感じさせるナンバーがラジオから流れるのを静かに聴いていた。夜風に囁かれながらお互いの小さな声だけを拾って空の揺籠に揺られている。生温かい風が頬を撫でて、気持ちがいい。
「アオキさんって、蕎麦とか魚とかが好きなイメージでした」
「蕎麦とか魚をよく食います。自分はあんな高価なものを毎回のように食してる訳ではないので……」
意図しない問いかけが意外にも真実に迫ったようで、胸が高鳴る。それって、つまり、そういうことだろう。いやでもまだ、そうと決まったわけでは無い。彼の言葉の続きを探るような、女の卑しい気持ちがバレてしまうのでは無いかと、急いで話を逸らした。
「あっ、街の灯りがあんなに遠い……」
ね、アオキさん。そう、タクシーの窓から顔を出した後、彼が居る方向を振り返れば、情熱を傾けるような顔がすぐ近くにまで迫っていた。驚いて身を強張らせる私を他所に、彼はこの顔の隅々までを眺めてからゆっくりと口を開く。
「嬉しいです……」
「ナマエさんが、此処に居る」
「……嬉しい」
そして、大きくて熱い、意外にも滑らかな手に握られる。親指で人差し指の付け根を撫でられて、カウンターを食らったようにぐらついてしまった。
「あの、アオキさん……酔っているみたいですね」
「……そうですか?」
「……少し、嫌です」
別にこれは嘘では無い。正直な気持ちを彼に打ち明けたのは、彼があまりにも積極的に男女の仲を深めようとする行動に出たからであろうか。頭の中に居る消極的で平凡な彼が打ち消されて、ありもしない下衆な想像が先行していった。しかし、このままフワフワとした感情に流されてしまうのは、さぞかし気持ちが良いのだろう。嫌だ、私はそんな女にはなりたくない。私は彼の全てになりたいのだ。その場所でなきゃ意味がない。しかし、いざという時に売り出す魅力が無いのも確かだった。そんな私は後のことを考えて、傷が深くならないように判断を見極めるしか無い。そっちもそのつもりならばと、遊び慣れている女の真似事をする。
「……そういうのは、着いてからです」
周囲に少し霧が立ち込めてきて、慣れもしない前振りに湿気を思い切り吸い込んで咽せた。山岳の手前側、竹林に囲まれた風情がある旅館にたどり着く。タクシーから降りる間も彼には手を繋がれていて、私がよろけない様に支えてくれていた。やはり、チャラい。そんな彼に不満を思いながら周囲を見渡す。確かこの先にはちょっとした温泉街があったはずだ。彼が誰かとも訪れたことがあるかもしれないこの場所で、彼の手に引っ張られて身を任せることに、少しも抵抗するつもりなどは無かった。彼の本性が現れるのはまだ此処では無い。その時に、私ははっきりとした関係性を提示させる。浮き彫りにさせる。その時に彼がどういうつもりでいるのかも、分かるはずだ。
彼の頼りなく丸まった背中を見ながら、予約してあったという一室に入る。
天然性を感じさせる清潔な匂いと、男の人の匂いが混じり合って妙な気分にさせる。
私たちは深夜帯の清掃時間に入る前に大浴場で湯浴みを済まさなければならなかった。パルデアの石タイルの浴室とは違う、独特な木の香りが漂う空間に日々の疲れが癒され、風流を感じさせる雅やかな光景にテンションが上がっていた。それは、どうやら彼も同じだったらしい。もっとも、彼は私よりも多忙で睡眠が不足しており、どうやら疲れが取れただけで満足してしまったようだったが…。先に女湯から上がったのは私の方だった。今時らしい、和洋折衷なお洒落な部屋に戻り、置いてあった浴衣に身体を通して、畳の一段上がったところにあるローベッドの中で寝たふりをする。その数十分後、扉を開く音の後、薄闇の中でこちらに向かうおぼつかない足音を聞いて固唾を飲んだが、サイドランプのオレンジ色に照らされて出てきた彼の顔はもう夢の中だった。そのまま、どかっと私の上に倒れ込み寝息を立て出す。
「ア、アオキさん……?」
「……ぐー、ぐー、」
声をかけて軽く肩を押してもびくともしない。乾かし切れていない、その湿った髪の向こう側で彼は硬く目を閉じたままだった。布団に入って5分以内に寝るのは、気絶に近い状態だと言われているが、そういうことだろう。相当、疲れが溜まっていたのだろうか。私は彼が安眠できるように寝床を整えてシーツを被せてあげた。仰向けに直したその横に私も滑り込んで太い腕に縋りつく。寝ているのだから好きにしても良いよね。そんな独り言を口の中で呟いて私から手を繋いだ。それは確かに、ケアの行き届いていない皮がカサついている男の手だった。暗闇の中でだらしなく口を開けた横顔が優しい灯りに照らされているのを見る。たまにイビキが止まる時があるが大丈夫だろうか。心配になって顎を横や上にずらして気道を弄ればイビキが始まる。それがおかしくって愛おしくて、そのうちに私も、彼の湯上がりで火照った身体に温められて夢の中へ誘われた。
目覚めは爽快。よく眠っていたのか、部屋の窓から見える外の太陽はすでに天辺から光を差していた。
「おはようございます」
先に起床していて何故かベッドの淵で背中を向けて座る彼に声を掛けると、その大きな身体がピクリと揺れた。
「おはよう、ございます……」
元々丸い背中がどんどん縮こまっていくように見える。寝癖の酷い後ろ髪を触ってみれば、彼は意を決したように口を開いた。
「自分、寝てしまったようです」
「そうですね、お疲れだったみたいです」
「……ここまで来ておいて、情けないところを見せてしまった」
その言葉は彼自身を戒めているようで、いつもの口調とは違う。そんな彼を見て、私は一抹の不安など完全に拭い去っていた。だって、あんな彼を前にして嫌うような女の子ならば、こちらとしては嬉しいし、それに、
「あの、私を何の型にはめて見ているのかはだいたい想像は付きますが、全員が全員、そんなに浅はかでは無いですよ」
「アオキさんが、そんなことで情けないと思わない女の子も居るということに気が付くの、私が最初で良かったです」
そのポカンとしている唇にキスを落とせば、彼のいつもの冷静沈着な態度が崩れて、動揺を示しておかしかった。
「むしろ、安心しちゃいました」
「もっと見せてください、ああいうの」
あぁおかしい、それすらも愛おしいと思える。その感情を手に入れることができた私は、今度こそ流されても良いと、何をされてもいいと、なんでもしてあげたいと、耳まで赤く染めたその顔が頷くのを、目に焼き付ける。彼にとって、情けなさの追い打ちをかけるようにお腹の鳴る音が部屋中に響いた。
「ふふっ、お腹空いちゃいましたね、温泉街で食べ歩きしましょうよ」
その言葉に目を輝かせた彼が「何があるのか楽しみです」と、一度も、誰とも来たことがない人の台詞を言った。
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