真夏日だった。太陽に照らされ、焼け付いたアスファルト。耳にうずまく蝉の鳴き声。濃厚なソフトクリームみたいな雲。
 どこを切り取っても、今日は真夏日だった。焼けつくような暑さの中――――。
 僕は今日、好きな子を監禁した。


「かわっ、かわいい……」

 うわああああ、お口ちいさい。
 すぅー、すぅー、と、小さな吐息がその唇からもれ聞こえている。額やこめかみには、ぴたりと張りついた髪が散らばっている。首筋にはうっすらと汗がにじんできらめていた。穴が開くほど見つめて、ごくりと、イデアはその姿に息をのんだ。

 部屋における僕の城塞。万年床になっている、よれた布団の上に君は横たわっている。 ちぐはぐなその光景に、腹の底からぞわぞわとした感覚が湧き上がってきた。


 彼女はこの近所に住んでいる。ずっと窓からみていた。
 初めて君をみたのは、帰宅帰りだった。部活なのか、習い事なのか、君も帰宅帰りで、家に面する道でばったり対面した。ただお互いニコリと、薄っぺらい挨拶を交わしただけなのに。僕は君に恋をしたんだ。
 夕日を連れて、扉に吸い込まれていく君を、僕はずっと見ていた。

 その日から、君のことを調べ上げたし。家の前の道を通るか通らないか、窓から覗いて待ちわびる日々を過ごした。


 数年後。うすい夕焼け色が窓と部屋を染める時間帯。子どもの頃からの癖みたいに窓の外を気にしつつ、研究会に提出する論文の作成に勤しんでいたイデア。縦長な筒を手にして帰ってきた待ち人の姿。イデアは論文を放り出して、カーテン越しにその姿を覗き見た。いつもの制服に身を包んだまま、夕焼けに彼女の影が伸びていた。

――――ああ、卒業したんだ。
 そう理解した瞬間、イデアはぐらぐらと腹の奥があつくなるのを感じた。切れ長の瞳を見開いて、焼き付けるように。彼女が扉に吸い込まれて消えるまで、その後ろ姿をイデアは見つめた。

「っ、んっ……は、ァッ、あふ……!」

 イデアは、窓に背を預けて、目を閉じた。薄く広がる夕焼けとスカートを翻す君の姿。それをまぶたの裏に留める。せめて、今だけは、消えてしまわないでくれと、祈りながら。ぞくぞくと背徳感が背中を駆け上がっていく。ごめんね、ごめんねっ。部屋にこぼれていく自分の声を堰き止めるように、薄い唇をかむ。
 こうでもしないと眠らせていた、数年分の想いがドロドロになって溢れてしまいそうだから。

「ァ、ふっぅん!! ……はぁ……はっ、ぁ」

 見るだけ、見ているだけなら。とおまじないのように唱えた言葉を口内で転がす。
 本当に、見るだけでいいのか? それは本心か? 時折、悪魔がささやく。たのむから悪霊退散してくれ。ずるずると壁に沿って腰をおろして、荒くなった息を整える。両手を見て、イデアは渋い顔で机に置いたティッシュ箱に手を伸ばした。
 彼女は18歳になったんだ――――。



 真夏日だった。太陽に照らされ、焼け付いたアスファルト。耳にうずまく蝉の鳴き声。濃厚なソフトクリームみたいな雲。どこを切り取っても、今日は真夏日だった。焼けつくような暑さの中で、イデアは絶望に打ちひしがれていた。
 卒業してしまったということは、学校に行く姿を見れないということだ。それはつまり、朝と夕方に毎日覗き見ていたあの姿を。もう二度と目にすることができなくなったという事なのだと。その事実をこの一週と数日間突きつけられたが、受け入れられないでいた。
 こびり付いた汚れみたいなその癖。窓から覗く行為、君がいない事実が虚しくて。布団という城塞の中で、イデアはうずくまって、絶望していた。

 フられたわけでもないのに……。勝手にフられたとかキモすぎでは? ワロスワロス。いや、確かにね。拙者わるいこといっぱいしたけど。こんなのってあんまりだと思いますしですし……。じめじめとイデアは大きな体を丸めて、このまま霞んでしまいそうなあの姿を瞼の奥に思い出そうとしていた。

ピンポーン

「ちっ、だれだよ……。もう少しで、二人ランデブーするところだったのに……」

 城塞を出て、イデアは玄関へとのそりのそりと向かう。突然の訪問者に悪態をつきながら、どうせ通販で買った物でも来たのだろう。と想定していた。

「はぁー、い"ッ!!?」
「あ! あ、の。こんにちは。えっと、これ、お兄さんのですよね? うちのポストに間違って入っていたので……」

 嘘だろ。イデアは絶句した。目の前に焦がれてこがれて、どうにかなりそうな熱情をぶつけていた相手がいる。はい、と鈴のなるような声で差し出されたその封筒。たしかに、自分宛の研究会からの情報誌だった。やわらかい、しろい手からそれを受け取る。あっ、あっ。どうしよう。こういうときは、えと。えっと。

「……っぁ、あっ、ありが、がッ」
「いえいえ」

 ふわりとほほ笑む。そのつるりと甘そうな、まあろい頬。下げられた目じり。上がる口角。薫るような、その表情に。

僕は思わずーーーー

「あ……、あっ、あの? んッ!!?」

 腕をつかんで、部屋に引き込んでしまった。
 初めて話したのに。僕は。ダメだって、頭で理解していたけど。そんなこと。
 でも。

 悪魔と取り引きしてでも、ただ彼女がほしいと、そう思ったんだ。
 閉じた扉の向こう。熱されたアスファルトの陽炎の中。悪魔がニタリと、大きな口を開けていた。


蝉の慟はもう聞こえない



すてきなタイトルは相互フォロワさんより
thank u for 宵


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