生温い、液体が広がっていた。
 その様子を少女は、表情を変えずにただ、見つめていた。




 いきているってなんだろう。
 少女のなかで疑問が生まれていた。これまで会ったことのある大人に聞いたら分かるのだろうかと、聞いておけばよかっただろうか、と悔やんだ。顔に靄がかかって誰一人とて思い出すことができなかったが、その面々に同じ質問を投げかけることで、後悔を払拭する。答えがほしいのではないと、理解していた。現実逃避だとしても、問いかけておきたかった。

 逃げるもの、泣くもの、さまざまの反応と感情が入り混じった部屋で彼女たちは育った。大人のだれかが箱庭と呼んでいたのを聞いたことがある。仲間内で、秘密の暗号みたいだとハコニワという言葉を気に入って使っていた時期もある。日に日に部屋の空白が目立つようになっていくことに、いつからか興味を持たなくなった。

 来る日も、来る日も。命令をこなした。だが、ある日身体が動かなくなっていた。ひとりでに壊れてしまったのだ。少女は育った部屋の片隅に積まれたおもちゃを思い出す。部屋からだれかが帰ってこなくなるたびに積まれていたなあ。と今更ながら気づく。きっとわたしも、そうなる。少女は自分の腕を見つめた。これでは、おもちゃすらつかめないだろう。

 箱庭の中で、まだ話したことのある顔を思い出す。少女はこのままこの場に置き去りにされたら、彼らが悲しむだろうか、とは思わなかった。ただ部屋の片隅にまたおもちゃが積まれるのを、かつての自分と同じきもちで彼らは眺めるだけだ。そう確信した。そう確信しているのに、じくりと痛んだ。身体のパーツはどこもぼろぼろで、自分の身体は全身熱を帯びている。いまさらどこかが痛いと叫んでも手遅れだ、とその気持ちに蓋をした。

 熱に浮かされた意識は揺れるゆりかごのようだが、彼女を静かに眠らせてはくれない。さっさと眠らせてくれと、からからになった喉で叫び散らしたい衝動にかられていた。意識が痛みを伴って浮上してくる。そのまま沈めてくれ、と何度も叫んだ。彼女の願いがようやく聞き届けられたのか。だんだん寄せては引いていく意識の波が、間遠になる。ーーーーやっと、ねむれ、る




「なんじゃ、まだ子どもではないか」

 瓦礫をかき分けた赤い瞳の男は言った。視線だけは少女から逸らさず、それに敵意がないと見ると、武器を下げた。

「ぅ……っ」

「まったく、酷いことを」

 少女は腕も、足も、なにも動かない。まだかろうじて動く瞳は、虚空に向けて瞳孔が揺れている。この土地で、戦争はまだ始まったばかりだった。新しい王は、元から愚かではなかったが、この現状を見るに、結果として愚かな王となった。そしてこれが敵国の秘蔵兵器たちか、と男は静かに怒りを覚えた。目の前のこの子どもは、きっとそれなのだろうと、周りに散らばった武器や残骸をみて心をひやりとさせた。五体満足の少女と対じしたなら、戦闘は避けれなかっただろうと。

 彼女が育った箱庭は、少年傭兵育成施設だった。国の中で身元不明の子どもを集めては、戦場へ放り込まれるまでの待機場所。生まれも故郷も知らない。彼らはただ戦いのためだけに集められ、時が来るまでは戦闘を仕込まれた。平均年齢は10前後。入れ替わりが激しいなかで、少女は長く留まっていたほうだった。箱庭から出される時が楽しかった。大人たちはその理由を勘違いしていたようだったが、彼女はただ広い空を見たい一心だった。空は毎回違っていた。赤く焦げつくような夕焼けも、澄み渡るような青と地平線を。もう一度見たいから、彼女は生き残っていた。大人はよろこんで、何度も箱庭と空を行き来させてくれた。それが少女の世界すべてだった。

 少女は弱り切っていた。目の前に来た誰かの輪郭でさえも形を捉えることができず、音を言葉としてもう認識できない。男は少女の揺れる瞳孔をはっきりと視界に捉える。そこから、諦めと悔しさが読み取れる。

「生きたいのであればワシの手を取るがよい」

 唯一視界に入った色、赤い光に動かない腕を伸ばした。

「そうか、それがお主の答えじゃな。よかろう」

 光は一等妖しげに強く光ったきり、じぐじぐと痛む感覚を残して、少女の世界は黒で塗りつぶされる。
 男は眠る少女の上体を起こし、力を入れれば簡単に折れてしまいそうな首のやわらかい肉に、牙をおろした。





る少女の話





「リリア様」

「なんじゃ、ミリア。おお、マレウスがまた火でも吹きよったか」


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