遠くの鳥には美しい羽がある
して、お嬢どんの卒業はいつやったか。
そう言いながら、父は口元に手をやると指先で鬚を弄ぶ。
私はその横で、向かい正面に座る女をじっと見ていた。
見るからに物静かそうな女だ。隣に座る如何にも薩摩おんじといった風情の父親とは似ても似つかない。
見合いの席だと言うのにずっと伏し目で時折そろりと視線を寄越すが、
私と目が合うと逃げるように視線をまた机の上に戻す。そんな鬼ごとを既に三度は繰り返していた。
机の上で女の視線を一身に浴びる白玉団子は大層居心地が悪いであろう、手を付けられた様子もない。
結婚なぞ、できることならしたくはない。私にはそんなことより大切なことがある。
だが子孫を残し家を守るためだと言われて尚、父の言葉を突っぱねるほど親不孝者でもない。
父の言葉に従って決められた相手と結婚すれば、これ以上とやかく言われることもなくなるだろうと、今回の見合いの話を受けたのだ。
こんな面倒くさいことを何度もやるのも馬鹿らしい。最初から、一人目の女と結婚する気でいた。
商家の娘だと言うからどんなのが来るかと少しばかり気掛かりではあったが、この分なら口煩く何かを言ってくるような女でもあるまい。
一つ思うところがあるとすれば、見合いの席に似つかわしくない憂い顔くらいなものだ。
家柄も将来性も申し分ない、そんな私の妻になるというのだからもっと嬉しそうにしろ、などと己の仏頂面を棚に上げて独りごちる。
「せっかっじゃっで、少し二人で話すと良か」
そんな決まり文句を残されても、こんな暗い女と何を話せと言うのか。
二人きりになった途端、先程まで賑やかだった部屋はシンと静まり返る。
この女、名はなんと言っただろう。名を呼ぼうにも思い出せない。
確か、有馬屋とか言う問屋の娘だと言っていたような……。
有馬、有馬……。
何度か頭の中で唱えてみても、続けて女の薄い唇から紡がれた音は出てくる気配もない。
「団子は好かんやったか」
名前を思い出すことは諦め、沈黙を埋めることに専念する。
女は久方振りにこちらを見たかと思うと困惑したように眉を寄せた。
「団子は、お嫌いでしたか」
もしや薩摩弁が通じなかっただろうかと思い、言い直してみる。
女の父親は薩摩の出のようで、その辺りの縁もあって今回の縁談の話が持ち上がったらしいことは、先程までの父親同士の話から察した。
父親が薩摩の出であれば娘にも薩摩弁が通じると思ったのは誤算だったか。
女は、いや、とか、あの、とか答えにならない音を発するばかりでどうにも煮え切らない。
話すのが苦手なのか何なのか知らないが先が思いやられる。
しばらく待っていれば、最後には観念したように「緊張で」と消え入りそうな声が返ってきた。
先刻からの伏し目は緊張のせいだと言うのか。
それにしてはいやに物憂げな、どことなく悲しげな顔に見えたのだが。
女はそっと楊枝を手に取るとそっと一口団子を食んだ。
随分と小さなひとくちだ。
大切に育てられてきたのだろう、品の良さが伝わるような仕草だった。
「……美味しいです」
笑えない、というわけではないらしい。
「そげんして笑っとる方が可愛らしか」
嘘をついたわけではない。確かにそう思った。
仕方なしの縁談とは言え、これから先長く人生を共にするのだからお互い良い関係を築けた方が良いに決まっている、そんな邪な気持ちも少しばかり含んでいたが。
「恐れ多いお言葉です」
そう言った女の表情は今日見た中で一等悲しげだった。
「物静かだが聡明そうで可愛らしかお嬢どんやったな」と言われ、答えに詰まる。
「笑顔が、花ん咲いたみたいなおなごでありもした」
やっとのことで絞り出した言葉に父は機嫌を良くしたらしい。
女学校ん帰り迎えに行ってあげやんせ、と言われてしまえば従うしかない。
あの後、今にも泣き出しそうな女に、私はなんと声を掛けたら良いものか散々迷った挙げ句、結局何も言えずただただ無言で茶を飲んで時が経つのを待った。
何か大きな失敗をしてしまったようで気が気でなく、茶の味は全くわからなかった。
礼装代わりの制服のまま椅子に腰掛ける。
自分で思っている以上に疲れが溜まっている気がした。もちろん肉体的にではなく、精神的な疲労だ。
仮眠でもとろうと机に突っ伏して目を閉じれば、鮮明に女の顔が浮かんだ。
どうしたら見合いの席であれ程までに悲しい顔が出来るのか。
考えを巡らせて辿り着いたのは一つの仮説。
他に想い人がいるに違いない。
そう考えればあの浮かない表情にも納得がいく。
今回の縁談も、親に命じられた不本意なものだとすれば。
人のものと思うと欲しくなる。
途端にあの物静かな女が特別な気がしてきた。
想い人に対してどのような表情で、声音で話しかけるのだろう。
あの蕾が開くような笑顔を、自分だけに向けさせてみたい。
生憎私は自他ともに認める負けず嫌いだ。見ず知らずの男に対し闘志を燃やす。
さてどうやってあの女を振り向かせようか。
早速明日にでも、学校帰りを迎えに行ってみよう。
甘味が苦手というわけではなさそうだ、先日出来た甘味処へ寄るのも悪くない。
私は着々と戦略を練り始める。
見合い相手に「戦略」とは些か間違いのような気もするが、まあそれは良いだろう。
「首を洗って待っていろよ、有馬の娘……」
そういえば結局、名前は思い出せないままだった。