『砂を待ち続けたあとで』(2年目)
レインベースに海賊が来た。
それ自体は珍しいことではないのだけれど。
「船長、あの女です!! クロコダイルが庇った女は…!」
「人、違いです!」
現れた海賊がこの国の英雄ではなく、ただのメイドを追いかけているのは珍しいことだった。
雰囲気から察するに、以前来た海賊達のようで、執拗にアスヒを追ってくる。
逃がした海賊はいないと思っていたが、アスヒ達の見ていないところで逃げた海賊がいたらしい。
しかも、アスヒとクロコダイルが言葉を交わした所も見られていたようで、変な誤解を招いてしまったようだ。
今日、買い出しに出たことを心底後悔するアスヒ。市場を駆け巡りながら、かつてないほどにクロコダイルが現れるのを今か今かと待ち望んでいた。
だが、こんな時に限ってどこにも砂が巻き上がってこない。アスヒは内心毒づきながら、すぐ後ろに迫る海賊達から逃げる。
そして市場の角を曲がった瞬間に、目の前に現れた別の海賊にアスヒの表情は青ざめた。
(あぁ、もうなんてベタな)
振り上げられた拳を避けることが出来ず、地面に投げ出されるように倒れるアスヒ。
顔をしかめ、痛みに打ち震えていると船長らしき人物がアスヒの腕を掴みあげて、彼女の顔をまじまじと見つめた。アスヒは海賊を恐れることもなく睨み返す。
「あの英雄様のことだ。必ず助けに来るだろう」
(さぁて。それはどうかな)
クロコダイルに夢見ているのはどうやら海賊も同じようだ。アスヒは絶対に助けには来ないであろうクロコダイルを思って、自分の運の悪さを呪う。
目の前の海賊が容赦なく腹を殴ってきたことによって、アスヒの意識が簡単に暗転した。
やがて聞こえてきた声に、アスヒはゆっくりと目を開いた。
「お前の家のメイドを預かった。返して欲しければ、」
どうやらクロコダイルに連絡をとっているらしい。無駄なことをしているものだと、笑みすら零したくなってくるアスヒ。
彼女は地面に座らされ、両手を何か柱のようなものの後ろで縛られていた。口内に広がる鉄のような味を思うに、殴られた時に口の中を切ったらしい。
身動き一つ出来ないアスヒは電伝虫に向かって話している船長らしき人物を見た。
海賊の船長はアスヒが目を覚ましたことに気がついたようだ。アスヒはその下品な笑みを睨む。
心底楽しそうな笑みを浮かべるとともに、アスヒの目の前へと電伝虫が差し出しだされた。
「声を聞かせてやろう」
言葉と共に他の海賊達がアスヒの後ろに控えた。急に動き出した海賊をアスヒは訝しげに見上げる。
1人がアスヒの足に触れたところで、彼女は嫌悪感に顔を歪ませる。
「なんですか。触らないでいただけま、す」
アスヒの声が途中で止まる。伸ばされて固定されている足に、冷たい感覚を覚えたからだ。
一瞬刃物を当てられたのかと思ったが、アスヒの視界に入ってきたのは工具用の金槌だった。
(嘘でしょ、このキチガイ…!!)
笑みを浮かべる海賊に、アスヒは内心酷く汚い言葉で罵った。
振り上げられた金槌。そして響き渡る悲鳴。金槌で片足を折られたアスヒは耐え切れず悲鳴をあげる。痛みに意識が飛びそうだ。
すぐ前の前にある電伝虫が無情にアスヒのことを見つめていた。声は確実にクロコダイルに届いたであろう。
電伝虫からクロコダイルの返事が聞こえた気がしたが、アスヒはそれどころではなく、痛みと悲鳴を押し殺すために全身に力を入れる。
再び振り上げられた金槌に、アスヒの意識がいとも簡単に吹き飛んだ。
次に聞こえたのは悲鳴だった。
それはアスヒ自身の悲鳴などではなく、野太い、男の、悲壮感漂う悲鳴だった。
身体を縛られている縄に体重を預け、俯いていたアスヒは顔を上げ、何が起こっているのかを確認する。
目の前には1人の女性が何十人もの海賊を相手に戦っている様子が見えた。花のように咲き誇るのは無数の腕達。
「Ms.オールサンデー様…」
アスヒは目の前にいるロビンを霞む視界に捉え、そして姿の見えない砂の英雄を思う。
やっぱり来るわけがないのだ。とアスヒは苦笑を零す。そして、心のどこかでは彼を望んでいた自分を罵る。
あの冷酷な砂鰐が、ただのメイドを助けになど来るはずがないというのに。
アスヒがそう思っていた矢先、突如として現れた砂嵐に、彼女の目は大きく開かれることとなった。
「クロコ、ダイル様…?」
現れたクロコダイルは名前を呼んだアスヒを一瞬だけ見下ろしたあと、何事もなかったかのように辺り一面を砂に変えていった。
アスヒは思わず乾いた笑いを零す。急に笑いだしたアスヒを訝しんだのか、クロコダイルは彼女を捉えている縄を砂に変えながら言葉をかけた。
「なに笑ってやがる」
「お、そいですって、ば」
減らず口を叩くと、クロコダイルは少しだけ驚きに目を開いたあと、すぐに鼻で笑ってアスヒに背を向けた。
やがて痛みに目を閉じたアスヒ。彼女の意識は深く深く闇に落ちていった。
意識を失った彼女の周りで砂が舞い上がる。
(砂を待ち続けたあとで)