『おくりもの』(3年目)

主の部屋にあるものには一切手を触れてはいけなくて、見てはいけなくて。
例え、触れてしまったとしてもそれは触れてはいなくて、見たとしても見てはいないのだ。

「…広い。もうやだ」

アスヒはクロコダイルの部屋を掃除しながら、誰もいないことをいいことに溜息と共に愚痴を零した。

この屋敷の中に仕えるメイドは相も変わらず少ないままだ。
他人を信頼出来ないクロコダイルは、屋敷の中に極力人を入れない。それはアスヒが入った当初から変わっていなかった。

許されている数少ない使用人達で屋敷内の職務をこなしているが、なにせ広い屋敷の中である。
少ないメンバーで仕事を分担してると、ひとりひとりに任される範囲は酷く広い。

その中でもメイド長となったアスヒに与えられている仕事は、他のメイドよりも多かった。
今やっているクロコダイルの私室を掃除することも、メイド長のアスヒしか許されていなかった。

大きな水槽のガラスを拭きながら、アスヒはうんと背伸びをする。

「能力使えば1発なんだけれどなぁ…」

そんなことをすれば彼女の首も『1発』だ。
王下七武海クロコダイルに対して絶対に見つからないという自信はない。ならば下手なことはするべきではないだろう。

アスヒは溜息を零してから、作業を再開させる。
考えていても仕事は減らない。水槽のガラスをようやっと拭き終わった彼女は、次にクロコダイルの執務机の近くに寄った。

彼に届いた大量の手紙を、大まかな分類に仕分けする。

海軍から届いたもの、アラバスタ王国側から届いたもの、カジノの取引先から届いたもの、一般国民から届いた手紙…は、クロコダイルの目に入ることすらなく焼却炉行き。

手紙の束を仕分けしている最中、アスヒは不意に記憶の端に引っかかる単語が見えた気がして、丸められていた羊皮紙に手を伸ばした。

本来であればクロコダイルの執務机にあった羊皮紙に触れてはいけない。
だが、なんとなくそれが気になったアスヒはその羊皮紙を少しだけ広げてみた。

そこにクロコダイルの字体で書かれた文字に、アスヒはやはり見覚えがあった。

「……『プルトン』…」

それはこのアラバスタに眠っているとされる古代兵器の名前だった。
一発打つだけで国ひとつを消し去ることができる威力を持つという、最悪の兵器。
長年、クロコダイルが追い求めているものだ。

「『ポーネグリフ』、『アラバスタ』、『B.W』…、『ユート…、『ユートピア作戦』」

羊皮紙に並ぶ単語達は、アスヒの記憶を刺激するには十分な単語ばかりだった。
これらは彼が計画している作戦のこと。そしてアスヒはその全貌を『知って』いた。

だが、彼女は何かをしようとは考えていなかった。
彼女にとってはこの国の行方がどうなろうと興味がないことなのだから。

「………勤勉な人」

纏められた資料を見つめながら、アスヒは羊皮紙に書かれた自分の名前をなぞる。
ミズミズの実と繋げられて書かれている名前は、アスヒ自身を表す言葉ではなく、「備品1」と書かれていることと同意なのだろう。

ミズミズの実の所有者であるアスヒもまた、彼の計画の一部。ただそれだけ。

「…怒られる前に」

静かに息をついて、羊皮紙を元あった場所に、元あったように戻す。
手紙の仕分けを再開するアスヒだったが、彼女は羊皮紙に書かれていた1つの単語が脳裏に刻みついていた。

「………」

それは、彼には似合わないもので、だが、彼は、それを、…?

細めた目で考えるのは、ここに来たばかりの時では絶対にありえないこと。


†††


「おかえりなさいませ」

アスヒはぺこりとクロコダイルに向かって頭を下げ、クロコダイルに近づいて彼のコートに手をかける。

外から帰ってきたクロコダイルは、砂の香りと、そして仄かに血の匂いがした。
きっと、また懲りもせずに暴れていた海賊達を仕留めて、そして英雄だと崇められて来たのだろう。

コートを脱いだクロコダイルはいつものように執務机に向かう。
そしてクロコダイルの視線が机の上に乗っている物に移った。

それは彼が出かける前はなかったものだ。

この部屋に入室する権利を与えているのはアスヒだけ。ならばこれを置いたのは彼女なのだろう。

葉巻を咥えたまま執務椅子に座り、見慣れないものを手に取ると、コートを掛けていたアスヒが微笑みを浮かべた。

「作ってみたんです」

答えは求めてもいないのに彼女から与えられた。
彼女に背を向けたまま、クロコダイルはそれを手で弄ぶ。

クロコダイルの手に乗っていたのは、中に小さな貝殻や可愛らしい鰐の置物が入れられた、どこか海を連想させるスノードームだった。

無表情のクロコダイルはそれをじとりと見つめ続ける。
アスヒはそんな彼と机を挟んで対面に向かい、そして優しげな微笑みを浮かべた。

「海を1つ、貴方様へ」

零された彼女の言葉を、彼はただ見つめていた。

数瞬詰まった息を悟られないうちに、クロコダイルはいつものように短く鼻で笑った。

「俺の趣味じゃねぇなぁ」
「えぇ。これは私の趣味ですもの」

軽く返したアスヒはすぐにクロコダイルに背を向けて、部屋の隅に備えられている珈琲セットに向かった。

珈琲を淹れるアスヒの背中に、クロコダイルは視線を向けないまま、スノードームを片手で弄ぶ。
彼の手には緑色の指輪がはめられている。それが同時に目に入ったクロコダイルは全てを鼻で笑って、スノードームを机に置いた。

「邪魔臭ぇ」
「ふふ」

文句を言いつつも、机に飾られたスノードームに背を向けたままのアスヒに笑みが零れる。

なんだかんだ言いながらも、彼は大人しくアスヒの贈り物を受け取ってくれるらしい。
他人からの贈り物を片っ端から捨てていく彼にしては、それはとても珍しいことだった。

「どうぞ」

クロコダイルの前に珈琲をおいて、アスヒは楽しげに微笑む。クロコダイルが顔をしかめて、忌々しそうに言葉を返した。

「にやにやしてんじゃねぇよ」


(おくりもの)

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