『Don't search for me.』(4年目)

「出かける」

いつものように葉巻をくわえたクロコダイルが、アスヒにそう言ったのは突然のことだった。
彼の気まぐれな外出は、今に始まったことではない。アスヒは恭しく頭を下げながら、彼へと問いかけた。

「かしこまりました。…ちなみにどちらまで?」
「マリンフォードだ」

言葉を聞いてアスヒの動きが止まる。マリンフォールドといえば、海軍本部がある箇所ではなかっただろうか。
そしてアラバスタから気軽に行けるような場所でもない。数日間は屋敷には戻ってこないだろう。

「………。それはまた随分と遠いところへ…」

まさか海を越える外出をしてくるとは思わなかったアスヒは、頭の中で数日間の予定を書き換える。
主であるクロコダイルが外出するというのならば、部下であるアスヒ達の予定もある程度変わってくるのだから。

思考をフル回転させて2日程の日程を考えている最中、不意にクロコダイルがアスヒに振り返った。

「てめぇも行くんだよ」
「え?」

彼の気まぐれは今に始まったことではない。それでも、もっと早く言うタイミングはあっただろうに。

頬を膨らませたアスヒの中で予定がまた書き変わる。


†††


ナノハナの港につくとそこには海軍と書かれた軍艦が一隻停泊していた。

Fワニでここまで移動してきたクロコダイル達が到着すると、その場にいた海軍達が数瞬の狂いもなく一斉に敬礼をした。

クロコダイルはこの光景を見慣れているかもしれないが、アスヒは狂いなく揃った彼らが物珍しい。
彼女がぱちくりと目を瞬かせていると、クロコダイルの元に正義のコートを羽織った海軍が歩み寄ってきた。大佐クラスの人間だった。

まさに好々爺といった感じで、気の良い笑みを零す大佐。朗らかに挨拶をする彼だったが、クロコダイルはそれを一瞥したあと、さっさと船に乗り込んでいった。
アスヒはそこまで図太くは出来なくて、先に行ったクロコダイルの背中を不服げにちらりと見ながら、大佐に深々と頭を下げた。

「よろしくお願いします」
「さっさと来い」

だかその遅れさえもクロコダイルは気に食わない。じとりと主君の背中を見つめていると、大佐は豪快に笑った。

「いいんですよ。あの七武海を送迎出来るなんて、私達にとっては名誉あることなんです」
「…本当にお世話になります」

再び頭を下げてから、アスヒはクロコダイルの背中を追いかける。彼の隣に並ぶとクロコダイルは不満げな声を零した。

「なにしてやがる」
「少し世間話をしてきただけです」

軽く言葉を返してクロコダイルについていく。クロコダイルは舌打ちを零して慣れたようにどんどん船の中に入っていく。
海軍の1人に案内された部屋に入る。流石七武海を乗せる船だけあって中は豪華な作りになっていた。

「で?」

ソファに座ったクロコダイルが新しい葉巻に火をつけながら、一文字だけを口にする。
軽く目を閉じたアスヒは少しだけ意識を集中させたあと、すぐに言葉を零した。

「特段注意するべき点はありませんよ」

アスヒは自分の見解を口にする。クロコダイルが数日この船で航海をするのに、危険だと思われる人も物も彼女が感じ取れる範囲にはない。
七武海であるクロコダイルに畏怖の念を抱いている海軍はいるが、こちらに直接牙を剥いてきたりはしないだろうし、もし襲ってきたとしても決して敵ではない。

「悪魔の実の能力者も船員の中に1人いる程度です。
 …ですが、航海中の危険までは私にはわかりかねます」
「いざとなりゃどうにかなる」

そうは言いながらも一切警戒を解いた様子のないクロコダイル。
屋敷に居る時とは比べ物にならないくらいに不機嫌な彼は、色々なものに警戒して気を張っているからなのだろう。

備え付けられた紅茶の香りを嗅いで確認しながら、紅茶のカップを温めるアスヒ。
ちらりと主を振り返って、彼女は思わず心配そうな声を出していた。

「いつもこのような警戒を?」

問いかけても答えは返ってこない。苦味の強い表情を浮かべたアスヒは、クロコダイルから視線を逸らしながら小さな声で独り言を呟いた。

「……今回は少しくらい休めたらいいんですけれども」

カップに紅茶を注いでクロコダイルの前に出すと、無表情のままのクロコダイルが黙ってアスヒを見ていた。
ちらりとクロコダイルを見たアスヒが、不満げにふいと顔を横に背けると、クロコダイルが呆れたように一瞬だけ笑った。

 
†††


マリンフォードでは既に大勢の海軍がクロコダイルの到着を待っているようだった。

船室からでも見えるほど大勢の海軍達に、アスヒの眉間に皺が寄った。

「私も貴方様の後ろを歩いてあの中に?」
「何か問題あんのか?」
「とっても緊張してしまいますわ」

ほぼ棒読みで言い返したアスヒは長く息を吐いて凛と背筋を伸ばす。嫌だとは思っても覚悟を決めなくてはいけない。

ちょうどその時、部屋をノックする音が聞こえ、迎えの海軍が現れた。

アスヒは主の肩にコートをかけて、後ろに控えてついていく。

本当であれば中々来れる場所ではない海軍本部を色々と見て回りたいアスヒだったが、クロコダイルがそれを許してくれるような性格だとは思ってない。
好奇心を押さえつけて、クロコダイルの数歩後ろに控えるアスヒは、誰が見ても一流のメイドにしか見えないような動きをしていた。アスヒの姿は躊躇っていたことを悟られない程に、堂々としたものだった。

船着場にいた若い男の新兵達の視線がアスヒに向く。その視線の熱さに気がついたアスヒは、彼らに向かって上品に微笑みを浮かべた。
頬を赤くした新兵達がお互いの顔を見て、誤魔化すように笑い合う。それを見てアスヒはまた微笑んだ。

「おい」

心底不機嫌そうなクロコダイルの声が聞こえて、アスヒは少し離れてしまった主君の数歩後ろへと戻った。
主君とは反対に少し機嫌の良さそうなアスヒは、クロコダイルの後ろをついていきながら笑みを零した。

「人から向けられる好意は心地よいものですよ」
「海軍相手に何してんだ」
「では、以後気をつけます」

余所行きの顔で微笑むアスヒに対し、クロコダイルの舌打ちが返ってくる。が、そんな程度で彼女は怯まない。
涼しい顔をしながら、クロコダイルと共に、海軍本部内へと入っていった。

中に入ると、いたるところで見かけられる正義の文字。クロコダイルには決して似合っていないそのアンバランスさを、どこか面白く感じてアスヒは小さく笑う。
途端に向いたクロコダイルの視線に、アスヒは素知らぬ顔をしてそっぽを向いた。

怪訝そうな顔をしながらも再び前を向いた主の背中に、アスヒは彼にだけ聞こえるような声で小さく囁く。

「貴方様に正義の文字は似合わないと思いまして」
「………。俺は海賊だからな」
「そうでした」

微笑みながら告げるアスヒにクロコダイルが浅く笑う。

そして見えた荘厳な作りの扉。アスヒの顔に疑問符が浮かんだ。

「……私を中に?」
「文句でも?」

文句しかないとでも言いたげな視線をクロコダイルに向けるアスヒ。

会議が終わるまで待合室か何かで待っていようと考えていた彼女は、クロコダイルを睨みつけてから、そしてやはり覚悟を決めて、主のために扉を開けた。

部屋に入った瞬間、アスヒは自分の体温が2、3度下がるのを感じた。
本能的恐怖。クロコダイルが傍にいなければ、彼女はすぐさまこの部屋から出ていたであろう。

入ってすぐに目に入ったのは3人の海軍大将。青雉クザン。黄猿ボルサリーノ。そして赤犬サカズキの3人がそれぞれに暇を持て余しつつ、会議席に座っている。
そしてその中央に座っている海軍元帥のセンゴクが苛々とした様子で、ゆっくりと入ってきたクロコダイルとアスヒに視線を向けた。

「会議に部外者は立ち入り禁止じゃろう」

サカズキの声と共に会議室にいた面々の視線がアスヒに向かって集中する。
内心視線に怯えていたアスヒの前で、クロコダイルはクハハと笑って、決まっているらしき席へと座り、サカズキへと視線を向けた。

「そうかっかすんなよ、赤犬。俺の首輪付きだ」

薄く笑ったクロコダイルが、アスヒをちらりと見てそう言葉を返す。

ますます集まる視線にやめてくれ!と叫びだしたいアスヒだったが、クロコダイルのいる場所で失態を起こしたくなくて、心底不服そうな目をクロコダイルに向けてから、次にサカズキに向かって深々と頭を下げた。

「……クロコダイル様のご命令があればすぐに下がります」
「いろ」

クロコダイルは葉巻の煙を吐き出しながら、アスヒを見ることなくそう言い放つ。
アスヒ本人はこの場から離れたくて仕方がないというのに、クロコダイルはアスヒの願いを聞き入れる気など一切なかった。

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