『好感度は最低ラインです』(4年目)
「おやめください、お客様!!」
屋敷にいるにも関わらず、カジノの支配人の声がして。アスヒは深い溜息をついて立ち上がった。
今はクロコダイルが屋敷にいない。
『お客様』が何の用事で屋敷に来たのかはわからないが、なんにせよ一旦追い出さなくてはいけない。
念のために護身用の拳銃を隠し持って廊下に向かう。
声のする方に行くと、困り顔の支配人と大きなピンク色のコートが見えて、アスヒは内心面倒臭さに表情を変えてしまう所だった。
「ドフラミンゴ様」
声をかけると支配人の顔が輝く。支配人が何かを言う前に彼をカジノへと戻し、アスヒはドフラミンゴの前で恭しく頭を下げた。
ドフラミンゴがサングラス越しにアスヒを見下ろす。
「この前の会議に来てたメイドじゃねぇか」
掛けられた声にアスヒは微笑むだけで無視する。
七武海であろうとアスヒにとっては恐怖の対象ではない。
彼女はただ冷静にドフラミンゴに言葉をかけた。
「ドフラミンゴ様、申し訳ございません。
クロコダイル様はただいま外出しています。お帰りになるまでお待ち頂けますか?」
「フッフッフッ。あんたが接待してくれんなら、大人しく待っててやるよ」
馴れ馴れしく肩に回された手をじとりと見てから、次に隠すことなく溜息をつくアスヒ。
独特な笑い声をあげたドフラミンゴが歩き出したアスヒの後ろをついていく。
がに股でドカドカと歩いている彼は、アスヒに興味津々だった。
「なぁ、メイドちゃん、名前は?」
「名乗る程の者ではございませんので」
「つれないね」
ドフラミンゴの目が細められ、アスヒの後ろ姿を見つめる。
アスヒはたどりついた客間の扉を開けて中を指し示してから、ドフラミンゴへとにっこりと余所行きの笑顔を向けた。
「こちらでお待ちくださいませ」
アスヒの笑顔にドフラミンゴもにやりとした笑顔を返す。
ソファにどかりと座ったドフラミンゴは、部屋に備えられている珈琲メーカーで珈琲を入れているアスヒに声をかけた。
「鰐野郎に随分可愛がられているみたいだけど、何したの?」
珈琲を淹れながらアスヒは呆れたような声を返す。
「可愛がられている? まさか」
「自覚なしかよ」
「貴方様の勘違いですよ」
きっぱりと言い切ったアスヒはドフラミンゴの前に珈琲を差し出し、呟く。
「可愛がっているというのならば、もう少しやり方があるでしょう」
彼女の声は酷く不満げで、そして退屈そうでもあった。ドフラミンゴはアスヒの顔を見つめながらにやりと笑った。
「フッフッフッ」
笑うドフラミンゴが指を僅かに動かした。訝しげにそれを見ていたアスヒだが、次に自分の身体の自由が取れないことに気が付き、表情に険しさを混ぜた。
彼女の足が、彼女の意思に反して勝手に動き出す。必死にその場に留まろうとするアスヒだったが、身体の自由は得られず、アスヒは確実にドフラミンゴに近づいていった。
そしてソファに座っているドフラミンゴの膝に乗るアスヒ。ニヤリと笑ったドフラミンゴは仰向けに横になり、アスヒがその上に四つ這いで乗る形になった。
「いい眺めだ」
「離してくださいますか」
「やーだね」
軽くそういったドフラミンゴはニヤニヤと笑いながら、「この方がいいな」とそう言って上に乗せていたアスヒを下にし、逆に彼が四つ這いになってアスヒに跨る。
全く身動きの取れないアスヒはドフラミンゴを見上げながら、舌打ちをしたい気持ちを必死に抑えていた。
(本当…、調子に乗ってくれちゃって)
厭らしい手つきで太股に触れてくるドフラミンゴを他所に、次にどうするかと考え、彼を睨み続けていたアスヒだったが、その時、覚えがありすぎる葉巻の香りがして、彼女の視線が扉付近に移った。
「邪魔だったか?」
視線が向いたと同時に告げられたクロコダイルの言葉に、アスヒは隠すことなく不機嫌そうなオーラを零す。
「クロコダイル様。早くこのフラミンゴをどかしてくださいますか」
間髪入れず答えるアスヒにドフラミンゴがまた楽しげに笑った。
「冷ぇなぁ。誘ってきたのはどっちだよ」
「……」
何か口汚い言葉を発しようとしたアスヒだったが、主君の目があることを思い出し、むっと口を閉ざす。溢しそうになった舌打ちもどうにか飲み込んだ。
そして次の瞬間にドフラミンゴがいたその場所に向かって砂で攻撃するクロコダイル。
ひょいと身軽に砂を避けたドフラミンゴは、アスヒから少し離れた場所に立ちながらフッフッフッとまた特徴的な笑い声を上げた。
身体の自由が戻ってきたアスヒはすぐに身を起こす。
砂となったクロコダイルが身を起こしたアスヒの隣に腰を下ろした時には、彼女は既に立ち上がって乱れた服の裾を正していた。
ソファにどかりと座っているクロコダイルは前に立つドフラミンゴを睨み上げる。クロコダイルはいつにもまして不機嫌そうであった。
「何しにきやがった」
「ビジネスの話に決まってんだろ?」
笑顔を無くさないドフラミンゴが、クロコダイルの対面にあるもう1つのソファに腰掛ける。
主のすぐ後ろに控えていたアスヒに、クロコダイルは見もせずに命じる。
「下がってろ」
「喜んで」
即答したアスヒはスカートの端を軽く持ち上げて優雅に一礼してから、扉を打ち鳴らす勢いで苛々と部屋から退室していった。
普段はそんなことをしないアスヒだが、余程気に障ったのだろう。床に響くヒールの音が彼女の怒りを伝えていた。
遠ざかっていく音を聞きながらドフラミンゴが心底楽しそうに笑っていた。
「…フッフッフッ。大人しそうに見えて生意気な女じゃねぇか。
ちゃんと飼いならしてんのか?」
ドフラミンゴは頬杖をつきながら、手持ち無沙汰に鉤爪を撫でているクロコダイルを見る。
彼の手には、彼には珍しいシンプルな緑の指輪が嵌められているのが見えた。
安っぽい指輪。ドフラミンゴの思考がそんな感想を抱いていた時、クロコダイルはつまらなそうに口を開いた。
「その必要は当分ねぇ。あれは俺に惚れてるからな」
何のことでもないという風にそう言い切るクロコダイル。
ドフラミンゴの口元は相も変わらず笑みを描いたままだったが、彼のサングラスの奥にある瞳が一瞬だけ真剣なものに変わった。
「……マジで言ってんの? あの子が? お前に?」
アスヒからは、クロコダイルに対する恋慕は疎か、忠誠心すらもあるようには伺えなかった。
今まで以上にアスヒに対する興味を強くさせる。
「…。てめぇにはわからねぇよ」
言葉を続けたクロコダイルは酷くつまらなそうで、その表情は先程見せたアスヒの表情とどこか類似していた。
それに気が付いたドフラミンゴは口元ににやりと笑みを浮かべ、仕事の話を始めるクロコダイルに話を合わせた。
†††
ドフラミンゴが帰るまで仕事をしないわけにはいかず。そして、廊下を歩いている時に、クロコダイルとドフラミンゴの姿を見て、アスヒは顔を顰めた。
ドフラミンゴがアスヒを見つけてにやりと笑みを浮かべた時には、彼女は思わず、一歩後ずさる所だった。
「みーっけ。なぁなぁ、メイドちゃん、これから暇?」
「とても忙しいですわ」
「ちょっかい出すんじゃねぇよ」
面白そうにアスヒに近付いていくドフラミンゴ。金色の鉤爪が牽制するかのようにドフラミンゴの腕を引っ掛けた。
逃げるようにクロコダイルの後ろに控えたアスヒは、クロコダイルの影からドフラミンゴを睨む。
ドフラミンゴはそんな2人を見下ろしながら、楽しげにクロコダイルに声をかけた。
「気に入ってるのはてめぇだろ?」
「くだらねぇ」
間髪入れうに返された言葉が、意地を張っているかのようでまた面白い。
ドフラミンゴはニヤニヤと笑いながら、肩を竦めてアスヒとクロコダイルに背を向けた。
「フッフッ。じゃあな、アスヒちゃん」
去り際に告げられた名前にアスヒが少し目を大きく開く。そして次に若干責めるようにクロコダイルを見上げた。
「……。私の名前を彼に?」
クロコダイルはアスヒと視線を合わせないまま答える。
「てめぇで教えたんじゃねぇのかよ」
「まさか」
アスヒの言葉を聞いて、数瞬黙ったクロコダイルが舌打ちをする。目をぱちくりとさせたアスヒが、次には歩き出したクロコダイルを追ってゆっくりと歩を進めた。
誰も、彼にアスヒの事を伝えてないにも関わらず、彼がアスヒの事を知っているのであれば。ドフラミンゴ自身がアスヒのことを調べているということになる。
そう簡単にボロが出るようなことはしてないが、アスヒがミズミズの実の持ち主であることがバレたら、それは酷く厄介なことになる。
「……。気をつけます」
顔を顰めたアスヒの口から重たい溜め息が溢れた。
(好感度は最低ラインです)