『桃色の鳥と水』(4年目)
クロコダイルにではなく、アスヒに客が来ている。そう言われた瞬間から嫌な予感はしていた。
酷く重たい足取りで客間に向かうと、泣き出しそうな顔で震えているメイドと、我が物顔でソファに座るドフラミンゴがいた。嫌な予感というものはよく当たる。
「アスヒさん…」
小さな声で助けを求めるメイドの手を取り、安心させるように微笑みを浮かべてから彼女に退室を許可する。
逃げるように出ていったメイドを見送ってから、アスヒはニヤニヤと笑みを浮かべているドフラミンゴに隠すことなく渋い顔を向けた。
「私の部下をあまり虐めないでいただけますか?」
「アスヒちゃんのことについて聞いてただけだって。鰐野郎と一緒にいて長いんだってな?」
「たった数年ですわ」
短く返したアスヒは、ドフラミンゴの前に立ちながら彼の要件を待つ。
今日はロビンすらも不在でいつも以上に忙しいというのに、ドフラミンゴに時間を取られてアスヒの機嫌は急降下している。
尚且つ前回のこともあるので、アスヒはできる限り彼から離れていたかった。ドフラミンゴはそんな警戒心たっぷりのアスヒをニヤニヤと見ていた。
「そんなに警戒すんなって。まぁ、ビビってる顔も可愛いケドよ。
…てか、人並みに怖がるんだな」
「か弱い女の子ですので」
「まぁ、それもそうだな」
あっさりと同意したドフラミンゴにアスヒの気が一瞬抜ける。
目をぱちくりとさせながら彼を見ていると、ドフラミンゴの表情にはじめて怪訝そうな色が浮かんだ。
「なに」
「…貴方、もしかしたらいい人かも知れないと思って」
いつだって女の子扱いされるのは悪い気はしないし、あのクロコダイルはそれを絶対にしない。
少しだけ機嫌を良くしたアスヒをぽかんと見つめていたドフラミンゴだったが、次に呆れたような笑みを浮かべた。
「単純だねぇ」
よいしょとソファから立ち上がったドフラミンゴがアスヒの前で、手を取って甲にキスをする。
唇を離してニヤリと笑うが、アスヒは冷めた目で彼を見上げるのみだった。
か弱い女の子扱いとセクハラ行為は全くの別物なのだから。
ドフラミンゴはそれを気にもせずに笑みを浮かべ続ける。
「このまま食事に行こうって言ったら?」
「仕事がありますので、と言いますわ」
ドフラミンゴの腕がアスヒの腰に回った。警戒するアスヒだったが、彼の方が一瞬早く、ドフラミンゴはアスヒの身体を抱えた。
「馬鹿だなぁ。答えなんか意味ねぇのに」
体格差故に、ドフラミンゴに抱えられたらアスヒの足が浮いて身動きが取れなくなる。
ぶらぶらと足を漂わせているアスヒは心底不服そうに口を尖らせた。
「クロコダイル様に怒られるのは私なんですけれども」
「フッフッ、俺には関係ねぇなぁ」
軽快な笑みを零しながら、長い廊下をずかずかと歩いていくドフラミンゴ。
彼の腕の中で揺られながらアスヒは大きく溜息をついた。
「…はぁ。悪い人に捕まりましたわ」
ドフラミンゴはフッフッフッと笑うだけだった。
抱えられたまま屋敷を抜ける際に、驚いた顔の使用人とすれ違い、アスヒは溜息と共に手を振る。彼女の声は疲れていた。
「クロコダイル様が帰ってきたらお休みを頂くことを伝えてください」
「え!? は、はい!」
混乱の返事をする使用人に、ドフラミンゴもにやりと笑う。
そしてアスヒを抱えたままレインディナーズから出たドフラミンゴは腕の中にいる彼女を見ながら笑顔を浮かべた。
「なぁ、何食いたい? アスヒちゃん」
「………。なんでもいいですけれども、食事をするのならば涼しい所がいいですわ」
もうどうとでもなれといったように言葉を返すアスヒ。彼女はドフラミンゴのピンク色のコートを指で掴んで、暑くないんだろうか。と思考する。
ドフラミンゴはご機嫌そうに笑いながら、じゃあ。と言葉を続けた。
「じゃあ、ナノハナだな」
「ナノハナ? ここから何時間かかると、」
アスヒの言葉は途中で風に乗った。
「わ」
彼女の短い悲鳴が流れる中、アスヒはドフラミンゴに抱えられて空を飛んでいた。
「あぁ…、これは怒られるだけでは済まないかも」
遥か下方にレインベースを見下ろす中、アスヒの呟きが風に乗った。
「フッフッフッ。海沿いの町ならちったぁ涼しいだろ?」
「余計なこと言わなきゃよかった」
片腕で引き寄せられるように支えられているアスヒは、不本意ながらもドフラミンゴにしがみつく。
彼はアスヒを支えていている反対の手で、何かをたぐり寄せるような仕草をしており、何かの能力が使っていることがわかる。
「何の能力か気になるか?」
ドフラミンゴの手先をじぃと見ていると、アスヒが思っていた疑問を、ドフラミンゴが口にした。
アスヒはちらりとドフラミンゴを見上げ、すぐに視線を逸らした。
「教えていただけるんですか?」
「ん? 教えねぇ」
「だと思った」
くだらない会話にアスヒが笑う。ドフラミンゴも合わせて楽しそうに笑った。
そして隠すこともなくアスヒがついた溜息にドフラミンゴだけが続けて笑っていた。
†††
ナノハナにたどり着き、降り立つ瞬間にアスヒを抱え直し、お姫様抱っこをするドフラミンゴ。
心底嫌そうな顔をするアスヒを横目に地面に降り立ち、ゆっくりと地面にアスヒを下ろす。
「どーぞ」
「ありがとうございます」
紳士的な動作だったが、礼をしたアスヒの声は酷く固く低い。
ドフラミンゴはにやにやとした笑みを崩すことなく、アスヒの肩に手をおいて歩き出す。
ナノハナの町は突然の七武海の登場に住民達は目を見開いて彼らに道を譲っていく。
ドフラミンゴはその光景に見慣れているかもしれないが、アスヒはそんな出来事に慣れているはずもなく、申し訳ない気持ちにもなる。
「何食べる?」
「貴方様に任せます」
「んー、じゃあ、なにすっかなぁ」
どれほど冷たく返してもめげることがないドフラミンゴの精神を疑う。
アスヒが早くも疲れを見せていると、その時、彼女の持っていたでんでん虫が鳴き出した。
「クロコダイル様ですわ」
アスヒの声には喜びと疲れが半々に混ざっていた。呼び出すでんでん虫は苛々しているように見えるが、それでも彼女はすぐに応答した。
『おい、てめぇ。今どこにいやがる』
受話器を取ると、でんでん虫は即座に不機嫌そうな言葉を吐いた。やはりクロコダイルだ。