『I don't know』(1年目)

アスヒは知らない。懐疑心の強いクロコダイルは自分が雇った人間を徹底的に調べているということを。

アスヒは知らない。その中で、どう探しても過去が一切出てこないアスヒが1番怪しまれているということを。

アスヒは知らない。時折、バナナワニの餌やり中、監視目的でクロコダイルがアスヒを見ていることを。

(不思議なこともあるもんだ)

凶暴なバナナワニがただの大きな愛玩動物かのように大人しくしている。時折聞こえる唸り声ですら嬉しそうに聞こえるのだから、クロコダイルにとっては全く不思議でたまらなかった。
遠目に見えるアスヒの表情も、バナナワニの大きさに齷齪はしているものの、楽しそうに柔らかな笑みを浮かべていた。

警戒するのも馬鹿馬鹿しく感じるクロコダイル。

第一、こちらから見える距離にいるというのに、アスヒは全くクロコダイルに気がついている気配はなかった。それが演技という可能性も考えられるが…。

(くだらねぇ)

クロコダイルは葉巻を咥え、火を付ける。ぼんやりと紫煙を漂わせ、彼女が餌やりしている風景を見つめていた。


†††


「クロコダイル様、こちらにいらっしゃいましたか」

クロコダイルがアスヒを観察し始めて少し時間がたった後、メイド長がクロコダイルの姿を見つけ、笑みを浮かべながら主へと声をかけた。
紫煙を漂わせていたクロコダイルは隣に並んだメイド長を見下ろして、次にアスヒに視線を向けた。

「何で入れた?」
「メイド長は人事も管理しているので」
「そうじゃねぇ」

あからさまに不機嫌な声を返すクロコダイルに、メイド長は頬に手を当てながらもう1度微笑む。

「クロコダイル様が興味をお持ちになった方でしたので、お気に召されるのではと思いまして」
「本音は?」
「帰る家がないというのならば、そう簡単には辞めないのではと思いまして」
「嫌な女だ」

微笑み続けているメイド長に、呆れたように答えるクロコダイル。
メイド長はクスクス笑ったあと、遠くでバナナワニへの餌やりを終えたアスヒに声をかけた。

「アスヒ! 餌やりは終わりましたか?」
「え? は、はい!」

メイド長に声をかけられ、アスヒはやっとこちらに気が付いたようで目を丸くしていた。メイド長の隣にクロコダイルの姿があるのを確認して、アスヒは遠目でもよくわかるように深々と頭を下げていた。
アスヒから視線をそらさないままに、微笑みを消さないままに、メイド長はクロコダイルにだけ聞こえる声で言葉を紡いだ。

「でも、クロコダイル様があの子をお気に召すと思うのは本当ですわ」

アスヒは知らない。

彼女と彼が何を話していたのかを。


(I don't know.)

prev  next

- 6 / 77 -
back