『賭け事をしましょう』(3年目)
「雨が降らない期間が続きすぎて、オアシス、ユバが壊滅したそうですね」
アスヒは新聞の見出しを軽く流し見して、呟く。
ユバは比較的新しく出来たオアシスだったが、交易の中心部として充分栄えていた。だが、それでも日照りが続き、そして『運悪く』砂嵐が何度も村を襲えば、どんなオアシスでも壊滅してしまう。
革命軍はユバを本拠地としているという噂があったが、革命軍もこれ以上の活動を望むのなら拠点の移動を迫られたであろう。
「革命軍がいたらしいとの噂でしたが、砂嵐には勝てなかったようですね」
さらにアスヒは言葉を続ける。
「最近は国内はどこも物騒で、メイド達も実家が無事か気にかかるようです。
市場の食料もどんどん値上がりしていますし…、物自体が無いものもありますわ」
「で、それを俺に話してどうする?」
執務椅子に座るクロコダイルは頬杖をついたまま、前に立つアスヒを見上げていた。
アスヒは新聞を軽くまとめて、鋭く睨み上げてくるクロコダイルにも美しく微笑むだけだ。
「ただの世間話ですよ。一般人から見た今のアラバスタです」
アスヒは肩を竦めて両手に書類や新聞を抱えたまま微笑みを浮かべる。
アスヒは雨がなくなってきているその原因が、クロコダイルにあることを知っている。不自然なほど多く発生する砂嵐の原因も。
だからといってアスヒは何か行動するわけでもない。つまらなそうに頬杖をついているクロコダイルは短く鼻で笑って机の上に乗った書類を指で叩いた。そこに載るのはカジノ全体の経営状況だった。
「それでもカジノの利益は減ってねぇがな」
「そんなものですよ。ギャンブルだなんて」
苦笑を零していたアスヒはふと、表情を真剣なものに変えて、持っていた書類をクロコダイルに手渡す。
「ただ、経営側としては問題もあるようですね。
ディーラー2名の退職届を預かっております」
クロコダイルは書かれた名前を興味無さそうに一瞥する。このご時世、職を手放すのは危険な綱渡りのはずだが、カジノ側における一定数の離職は少なくはなかった。
アスヒはカジノの従業員達を心配して囁きかけた。
「激務に過ぎるのでは?」
「不甲斐ねぇ奴らだ」
心底不愉快そうに吐き捨てたクロコダイルに、アスヒは少しだけ苦々しい顔をする。彼は弱者に優しくない。
「Ms.オールサンデー様が急ぎ、不足分の募集をかけていますが、すぐに集まるかどうか…」
アスヒの言葉の合間にも、クロコダイルは開いた退職届にあっさりと受領のサインをし、次にアスヒをじとりと見つめた。
視線に気が付いたアスヒは嫌な予感に視線を逸らすが、クロコダイルはそんな嫌そうな顔をするアスヒを見て殊更にやりと笑う。
「ルーレットのルールを知ってるか?」
「ボールの入ったポケットがあたり」
淡々と答えたアスヒにクロコダイルが鼻で笑った。
「それだけ知ってれば十分だな。
来い。レートを教える」
立ち上がったクロコダイルにアスヒは珍しく焦った顔を見せた。
このままでは本当に彼女がディーラーをすることになってしまう。
「私にディーラーの真似事は無理ですわ」
そもそもカジノの喧騒があまり好きではないアスヒは、歩き出したクロコダイルに渋々ついていきながらも困惑を滲ませたままだった。
クロコダイルは軽快に笑い、歩みを止めることは無かった。
「堂々としてりゃあいい。得意だろ」
「心外です」
むすと不機嫌そうにそっぽを向くアスヒだったが、クロコダイルがそんなことを気にするはずもなく、屋敷から抜けて、閉店後の異常なほど静かな店内へと出た。
スタッフルームと書かれたその場所を進み、どこからか取り出した鍵で、厳重に閉ざされた金庫の扉を開ける。
中から数枚のチップとボールを取り出すクロコダイル。大人しくそれを受け取ったアスヒは、むすとした表情のまま、店内のルーレット台の前に立った。
「やったことは?」
「ポケモンでなら」
「あ?」
「…こちらの話ですわ」
苦い顔をしたアスヒは肩を竦めて、ルーレットの玉を指先で転がす。悪戯に玉をレーンに流すと、すぐに玉はポケットに落ちてしまった。
無言のまま、若干ショックを受けたかのような顔をしたアスヒを、クロコダイルは短く鼻で笑い、鉤爪でルーレットの文字を示した。
「一晩で覚えろ。投げ方もだ」
「…努力致します」
苦々しく答えたアスヒの横、クロコダイルは器用にボールを投げ入れた。
†††
「……動きづらいですわ」
着替え終わったアスヒは鏡の前で自分の姿を確認し、少しずれていたネクタイを直す。
表のカジノは既に客が入り込んでいるようで、賑わしい声がアスヒがいる奥のスタッフルームにまで聞こえてきていた。
他のディーラーの1人が苦笑を零して、鏡を気にするアスヒに声をかける。
「私達にしてみればメイド服の方が動き辛いような気がしますけれどね」
「そうですか? 意外とあれは楽なのですよ」
くすりと微笑んだアスヒが凛と背筋を伸ばして、前を見据える。着慣れないディーラー服だが、彼女によく似合っていた。
「では行ってきます」
「お願いします」
そう声をかけて、アスヒは扉を開いた。クロコダイルが言った通り、確かに彼女は堂々としていることは得意なようで、真っ直ぐに自分のテーブルに向かうその姿は、今日が初日だとは到底思えなかった。
カジノ内の喧騒は好きではないが、そうも言ってられないアスヒはテーブルの前に立つ。
慣らすようにボールを手にして指先で転がしていると、アスヒに声がかけられた。
「あれ? 新人かい?」
アスヒの対面に立った男が、アスヒの顔を見て、そう言葉を零す。
レインディナーズの常連なのだろう。手馴れたようにチップを手にしている男は、興味津々にアスヒを眺めていた。
「普段は裏方で仕事している者です」
男の、上から下まで撫でるような視線にもアスヒは笑みを浮かべてみせた。
男は興味を持ったのか、アスヒのテーブルへと腰を下ろす。
「じゃあ、裏方さんのお手並み拝見といこうか」
「お手柔らかに」
にっこりと微笑んだアスヒは、とても綺麗だった。