『にゃーおん01』(番外・短編)

(※猫が可哀想。苦手な方は注意)

あれは茹だるような夏の日だった。正確な時は忘れてしまったけれど、それでもお気に入りのキーホルダーをつけたランドセルを背負っていたのは覚えてるから、きっと小学校高学年ではあったと思う。

下校中だった。いつもと同じくひとりで歩いていると、いつもと同じ帰宅路に、いつもとは違うダンボールが落ちていた。
その箱には「拾ってください」の文字。中には毛色の同じ仔猫が2匹。
端的に言えば帰宅路の途中に捨て猫がいた。ただそれだけ。

道にはちょうど誰もいなかった。私1人がいつもとは違う小さな非日常に取り残されていた。
戸惑いつつも箱の中を覗くと、2匹は暑さのせいで衰弱しきっていて、きっと水と餌が入っていたであろう皿は既に空っぽで転がっていた。

仔猫達を家に連れて帰れないことはわかっていた。決して家では飼わせて貰えないだろう。我が家では私1人を飼うので精一杯なのだから。

衰弱しきった仔猫達の、残り少ない命の秒針。このまま放っておけば死ぬであろうことは、幼い子供の私にも理解出来ていた。

結局、私は仔猫達から目を背けて、逃げるように家に走って帰った。
それでもその日は一晩眠ることなど出来なくて、そして忘れることも出来なかった私は、次の日の朝早くに再び見に行ったのだ。

箱の中の仔猫達は。

…ただ、悲しくなったということは、はっきりと覚えている。


†††


砂漠の大地は毎日茹だるような暑さを誇っていた。そして夜には極寒にまでなるのだから、ここは本当に生き辛い国だと思う。
それでもアラバスタの人間達はその生き辛さをものともせずに、確実に雨を集め、水を集め、強く強く生きている。

まぁ、ここ最近は、雨が全く降らなくなって、弱い人間からどんどん死んでいっているのだけれども。

そして私は今、クロコダイルと共に来たナノハナで、クロコダイルから離れて1人自由に散歩していた。

なんの気まぐれか、ここまで一緒に連れられてきたが、急についてくるなと命令されて、不貞腐れつつの散歩である。
あんなに目立つ体格とオーラを漂わせているくせに、悪いことをする時だけは上手に身を隠すのだから、七武海というのは本当に油断できないものである。

気まぐれでもいいから、一緒に食事でも出来るのかと、少しだけ期待してしまった今朝の自分が本当に馬鹿らしい。

…そんなことは今はもうどうでもいい。メイド服ながらも1番のお気に入りを着てきたのも、歩き辛いと分かっていても少しヒールの高い靴を履いてきているのも、もうどうでもよくなってしまったことなのだ。

クロコダイルがいつ戻ってくるのかもわからない。クロコダイルは自分自身の行動について話そうとは決してしないのだから。
長い間、活気ある市場を眺めていたけれども、段々それにも飽きてきて、私は少し道から外れて奥の道へと入っていった。
どんどんと人影がなくなっていく。活気が薄れていく。生きているものの気配が薄れていく。
だけれども、どこに行ってもあの砂鰐なら見つけてくれるだろうと、気ままに道を歩んでいく。

そしてぼんやり歩いていた私の意識が、道端に向けられた。

(ねこ、だ)

昔のことを唐突に思い出したのは、昔と同じように道端に捨てられた猫を見たからだろう。
箱には入ってはいないものの、猫は僅かな日陰を求めて廃屋の影で転がっていた。

アラバスタの気候は、あの時と似ていた。そして道端に転がった猫も、あの時の猫と同じように衰弱しきっていた。
じっと私は猫を見つめる。その場に足を止めて、静かに猫を見つめる。

衰弱しきった猫の前にしゃがみこんで、揃えた両の膝の上で頬杖をついて。
黙って猫を見つめていると、ゆっくりと猫の瞳が僅かに開かれた。まだ、生きている。

私はやっと手を伸ばして、砂に塗れた猫の額を撫でる。か細い鳴き声が聞こえた。

片手を少しだけ丸くして、私が手に入れた悪魔の実の力を使い、空気中の水を集めて満たす。
昔は出来なかったことを無性にやりたくなって、私はその衰弱した猫が手の中の水を舐めるのを無感動に見つめていた。

この先の事なんて考えてない。ざらざらとした猫の舌がくすぐったい。この猫を屋敷で飼えるわけもない。か細く鳴いた猫の声が耳に残る。きっと私の次の行動で、この猫の命が決まるのだ。

あぁ、これからどうしよう。

「み、みず…?」

私でも猫でもない声が聞こえて、ばっとそちらに顔が向く。そこには痩せ細った男が砂に塗れ、汚れた指先を私に突きつけていた。
驚いた私はばっと立ち上がり、手の中に残っていた水がぱしゃりと地面に落ちて、すぐさま砂に吸われて消えていく。

ミズミズの実の能力を使う所を、主であるクロコダイル以外に見られたのは初めてだった。
しまったと思うには既に遅い。時間は元には戻らない。砂時計の砂も、変わらず下に落ちていく。

あぁ、これからどうしよう!

窪んだギョロ目を見開いて、目の前の男はどこにそんな力が残っていたのかと驚く程俊敏に私の両肩を掴んできた。痛いほどに掴まれた肩に、私の表情も歪む。

「あ、あ、あんた、今、手から水を出していただろう…!!」

男の言葉は決定打。出来うる限りの困惑の表情を浮かべて、男が何を言っているのかわからないふりをする。
だが、男がそんなことで納得する訳もない。私は語尾を強めながら、男から逃れようとする。

「離してください」
「す、少しでいい。少しでいいんだ。水をくれ…。水をくれ…!!
 水が、水さえされば、
 俺を…、俺達を助けてく、」

男の言葉は最後までは紡がれず、途中で消えていった。

私の目と鼻の先で男が急速に干からびていく。掠れた声を上げる男はもう1度「水を…」とそれだけを言ってずるずるとゆっくり倒れていった。
ばくばくと心臓が鳴り響いている。視線は足元の元男、現ミイラに注がれ、私に影を落とす正面の主に向けることが出来ない。

にゃおんと少し離れた場所でか細く鳴いた猫が、この空間では酷く不釣り合いだった。

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