それから長い時間が経ったのだと思う。私はベットに横になったまま眠ることも出来ずに、ただぼんやりとしていた。

得体の知れない世界で足を失い、絶望的な状況の中、何故か顔のないナースには「生きていて」と言われ、私は混乱に混乱を重ねていた。
本当に、何が起こっているのだろう。誰か説明をして欲しい。

もちろん、ちゃんとした人間に。

と、その時、病院内を…いや、この空間全体に重く響くようなサイレンが鳴り響いた。

「…何の音…?」

私は呟きつつもこの音を聞いたことがあることに気付いていた。
あの時。あの三角頭が現れて、世界が変わっていたあの時に聞こえた音だ。

そしてあの時と同一のものだと知らせるように、サイレンの音と合わせたように病院の中の壁が剥がれ落ちるようにして、あの時と同じように一気に世界が変わっていった。

真っ白い病室だったものが、赤錆に塗れた汚く吐き気のする壁に包まれ、一気に変質する。私は上げそうになる悲鳴を必死にこらえ、ベットの横で変わらず座っているナースを警戒する。

ナースはこの異常な現象に慣れているとでも言いたげに微動だにしない。それどころか暴れそうになる私に向かってゆっくりと手を伸ばし、なだめるかのような行動をとった。
大人しくナースの言うことを聞くのがもどかしくて、せめての抵抗として激痛に耐えながら身を起こす。
ナースはそれで落ち着くなら、とでも言いたげに小首を傾げて私を見つめていた。

その時、遠くの方からギィ…。ギィ…。と忘れられない音が聞こえた。あの三角頭だ!

「嫌…、ここから出してっ」

大きな鉈を引きずっているその音が怖く、私は動けない身体を必死に動かしベットから逃げようとする。が、腕の力だけでは十分に逃げることは出来ないだろう。そして目の前のナースはただ首を左右に振っていた。

そして、ギィイイと一際大きな音がして病室の扉の隙間から、三角頭の逞しい腕が覗いた。と同時に赤い三角頭が完全に部屋に入ってくる。あぁ、終わった。

がたがたとどうしようもなく震える身体。私はぎゅうとベットのシーツを握り締め、恐怖に耐え続けた。

どれほどの時間が経ったのだろう。そう長い時間ではない。が、三角頭は持っているその大鉈で私を殺すような素振りを一切見せず、ただ静かに私の前に近寄ってベットの横に立ちつくしていた。

「…、な、に…?」

疑問の声をあげる私。三角頭はその頭の尖った先をナースの方に向ける。ナースは肩をすくめてベットの淵に置いてある包帯を指さした。三角頭は一瞬止まったあと頷く。
なんだ、なんだ? 会話をしているのか…?

私は目の前の化け物達の音のない会話を見つめ続ける。少ししたあと、ナースの方が急に立ち上がって部屋から出て行った。

部屋に残る三角頭。最悪だ。

もうどうにでもなればいい、と私は目の前の三角頭を睨み続ける。三角頭は何を思ったのか、その大鉈を傍らに置いて、今までナースが座っていた椅子に腰を下ろした。
三角頭の体重でぎしりと鳴る椅子。彼は何も言わないまま、その三角頭の先端を私の方に向けていた。

あの時…、私を追いかけていた時には気が付かなかったが、三角頭はその被り物の大きさを除いても、規格外の体格をしている。改めてコイツは化物なのだと理解する。
三角頭から私が逃げられる最大の距離を保つ。が、三角頭は飽きもせずに瞳を持たない視線で私の表情を見つめ続けるだけだった。あの大鉈に手を伸ばそうともしない。

もう、なんなの、よ。

暫く私達は睨み合った。そしてまたヒールが地面を叩く音がしてナースが戻ってきた。ナースは今度は2体に増えていた。
私が会った最初の2体のナースなのか、はたまた違う個体なのか私にはさっぱり区別がつかない。

とにかくそのナースは両手に抱えられるほどのぬいぐるみを持ってきていた。私はそのぬいぐるみに必要以上の恐怖を抱く。そのぬいぐるみは私の足を楽しげに叩き落としたあのウサギと同じものだったからだ。

いや、大丈夫だ。大丈夫。だってあのウサギは今ここにいる三角頭が真っ二つにしたのだから。
あれ? そうなると、私をここまで連れてきてナースに治療させたのはこの三角頭なのだろうか。…まさか。

疑問を抱きつつも、とにかく落ち着こうと息を長く吐く。ナースはウサギのぬいぐるみを三角頭の膝の上に落とす。なんというアンバランスな光景だろうか。
静かに三角頭がナースを見る。ナースは小首を傾げたあと、何処からか取り出したメスでウサギのぬいぐるみを一突きする。驚く私。微動だにしない三角頭。

動いたのはあろうことにウサギのぬいぐるみだった。メスが刺さった箇所から血が流れている。なんだこのぬいぐるみ! 生きている!

「なんだよォ、急に。痛いじゃないかァ、バブルヘッドナース」
「い、生きて…!」
「どーッちかッて言うと、それは僕のセリフなんだけれどねェ、セニョリータ?」

ウサギがもぞもぞと動いて私の方を向く。ウサギの口ぶりからして私の足を叩き落としたウサギと同じようだ。
でも何故? あの大きなウサギは真っ二つになったというのに。

私は恐怖で顔を歪めながら、自分から動いて刺さったメスを抜くウサギから距離を取ろうとする。
表情が一切変わらないプラスチックの目のまま、ウサギは動き出し三角頭の膝から離れてベットに着地する。ウサギが楽しそうな声で私に話しかけていた。

「三角頭に追われてたんだろォ? なんでまだ生きて、」

その時突然、ウサギの言葉が止まった。ぬいぐるみの腹からは鋭い切っ先。デジャヴと同時にぬいぐるみから溢れ出す夥しい量の鮮血がベットを汚した。その大きさのぬいぐるみから出たものとは思えないほどの大量の鮮血が一気に流れ出し、私は思い切り距離を離そうとする。
見ると三角頭が気だるげに大鉈を構えて、その大きさをモノともしない器用さでベットの上のウサギを貫いていた。

表情を変えないながらも苦しげな声を出して、倒れるウサギのぬいぐるみ。私は上げそうになる悲鳴を喉の奥で必死にこらえて、血の海に倒れたウサギを見つめる。
横ではナースが咎めるように三角頭のその赤い頭をガンガンと殴っていた。えええ、そんな殴ってもいいのか? ナースは三角頭が怖くないのか。


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