夏油に囲われてた同級生

だいぶ前に旧Twitterへ上げたやつ 名前変換なし


 わたしは、呪詛を行使していません。……あぁでも、呪詛師の本拠地にいた術師のこともまとめて呪詛師と呼ぶのであれば致し方ないのかもしれませんが。


 彼は、私に呪力を使わせませんでした。

 いえ、それどころか、わたしを外に出そうとすらしませんでした。彼が私を連れて行ったとき……あの場所に何が残されていたのは私は知りませんが、まあそこそこ、そのままでは生死を彷徨う程度には怪我をしていましたから、その時点で抗うことなんかまあ無理だったんですけど。その後、血が止まり、傷が塞がり、怪我が完治し、このように元気になろうとも、外に出ることを禁じていたのです。買い物はおろか、ゴミ出しさえも。あの家から1歩でも外に出ることを、彼は良しとしませんでした。1人で外に出ないよう、彼の呪霊が常にわたしを守って……いえ、監視していたんです。すぐ触れられる距離でなければ、同じ家にいたとしてもですよ?すごくないですか?


 そうそう、双子のことは把握していますか?あぁ、そうです、その2人です。彼は、あの子たちとわたしのことを『家族』と呼んでいました。仲間になっていた呪詛師たちも同様です。彼のコミュニティは、血の繋がりを問わず呪力の有無によって繋がる『家族』でした。その中でもわたしのことは……なんとうか、この表現が正しいのかどうかわたし自身も判断しかねるのですが……仲間としてではなく、『日常の象徴』であることを強く求めていたように思います。
 朝起きて挨拶する。先に起きた方が用意した朝ごはんを食べ、出かけていく皆を見送る。日中は家事をして、夕方になれば帰ってくるのを出迎え、皆で食事をとる。その日あった出来事なんかのたわいもない話をして、お疲れ様と労わって、誕生日や記念日なんかはお祝いして……普通の、ええ本当にびっくりするくらい普通の生活だったんです。高専に入る前だってこんなドラマか漫画みたいな生活したことないですよ。まぁ、血塗れで帰ってきたり何気ない会話の中で呪詛や呪霊の話が出ることもありましたが。それでも、……それでも、傑は一度も現場に私を連れて行くことはありませんでしたし、なんらかの活動に私の助力を求めることもしませんでした。


 ……あぁいえ、監禁というのも少し違うんです。外に出そうとしなかったですし、徹底的に監視の目はありましたが、年に数回だけは外に連れ出される日がありました。傑から離れることは基本許されず、隣に立つことが難しい場所へは美々子か菜々子が側に居ましたし、逃げたり助けを求めれば赦さないと脅されてはいましたが……脅しだったのかもわかりません。おそらく、その気はなかったのだと思いますから。
 そしてわたしも、抗う気は持っていませんでした。え、何故かって?だって彼より呪術師として劣っていたわたしが逃げ切れるなんて思いませんでしたし、逃げた先で一般人が巻き込まれるのも流石に憚られるので。そもそも、あの頃高専に逃げ込めたとしてわたしはすぐにでも呪詛師の疑いとして拘束されていたでしょう??そんなことない?そうかなあ、そんな見え透いた嘘で気を遣われても。あぁいいんですよ別に、流石に当時からわかってましたから。万年人手不足の高専が、生死不明の半人前な学生を捜索するなんて無駄な労力かけてたらむしろこっちがびっくりするので。


 そう、そうです。わたしが最後に連れ出されたのはあの日……高専への挨拶の前日だったそうですよ。なーんも知らないみたいな穏やかな顔して、明日から警戒されるだろうから今のうちに、なんていう説明になってない説明だけして。その翌日に喧嘩売りに行ったっていうんだから本当に笑っちゃいますよねえ。



 ところで、わたしは確かに誰一人として手にかけていませんし術の行使もしていませんが……それでも呪詛師や呪霊と過ごし、彼らの日常生活を手助けし、美々子と菜々子には勉強や呪力の扱い方を教え……そして、非術師を皆殺すための呪い集めをなにもせず見ていたのも事実です。
 さて、高専はこんなわたしをどう処断しますか?