林間学校後のスグリと同校生

主人公=ハルト(名前固定)
藍の円盤配信前の情報のみ



林間学校から戻ってきた彼は、まるで別人のようだった。


 スグリという少年はナマエにとって、同じ学園の生徒であり、友人の弟であり、それでいて大切な友人の1人でもある。
 人見知りなのか口下手で常におどおどと姉の後ろに隠れている姿はこの学園の生徒なら一度は見たことがあるだろうし、その姉がまた良くも悪くも目立つものだから『振り回されている可哀想な弟くん』という印象はふたりと仲良くなってからも変わらなかった。

 ポケモンの話をするときは、ぽつりぽつりと辿々しく会話をしながらも長い前髪の奥に隠されている瞳がキラキラと輝いていた。普段は逸らされがちな視線も、一緒にポケモンの世話をしている間はよく交わる。地元にいた頃からの仲だというオタチと戯れているときはとろけるような笑顔を浮かべているのを度々見かけたが、それと似た柔らかい笑みが向けられるようになったとき、彼の傍に居ることが許された気がして嬉しかった。
 穏やかなその時間がナマエは好きだった。

 穏やかだったのだ。遠方への校外学習から戻ってくるまでは。



 廊下をゆく後ろ姿を見かけたとき、今しかないと思った。それと同時に、自分なんかが声をかけて良いものかと躊躇した。
 戻ってきてからの彼は、それまで消極的だったリーグ戦を繰り返し見たこともないスピードでランクを上げ続けている。その勢いはもうすぐ四天王を超えるのではないかと囁かれているし、何かに追われるかのようにリーグへ参加する姿はまるでゲンガーに憑かれているかのようだ、いやシャンデラの催眠にでもかかっているのだという噂は絶えない。
 今や学園中が注目している存在になってしまったが、1人でいる今だったら、話しかけても大丈夫なのではないか——?

「スグリくん、あの……」
「……ああナマエ、どうかした?」

 にこり。振り返ったスグリは、声をかけてきたのがナマエだとわかるとすぐに足を止め微笑んだ。以前の、姉の後ろできょどきょどと不安そうにしていた姿は微塵も感じられなくなっている。校外学習とはこんなにも自信がつくものなのか。
 すごいなぁ、と感心していればなかなか話し出さないナマエにスグリはきょとんと首を傾げている。

「あ、えっと……帰ってきてからあんまり話せてないなって思って……」
「にへへ……それで声かけてくれるなんてやっぱナマエは優しいべ」

 照れたように笑う姿は男の子だというのにどこか可愛らしくて、無意識に詰めていた息をそっと吐いた。大丈夫、ランクは離されてしまったし少し変化はあるけれど、いつものスグリくんじゃないか。

「せっかく声かけてくれたけどごめんな……おれ、やらなきゃいけないことがあって」
「あ、ご、ごめんね。スグリくんだって忙しいのに……リーグ、頑張ってるもんね」
「見てくれてるの、わや嬉しいべ……。おれ、もっともっとつよくならないといけねんだ。ハルトが来る前に」

 ぐ、と握り締められた拳。どこか遠くを睨みつけるような、温度のない表情。
 その冷たさにひゅ、と喉から息が漏れる。こんな表情、初めて見た。
 それと同時に出された名前に聞き覚えがあって……最近どこかで聞いた名前だ。そう、それは報告という名目の愚痴を聞いている最中、彼女の弟と同じかそれ以上の頻度で出てきていた……。

「ハルトくんって……あの、パルデアの?」
「なして」
「え」

 声を荒げられたわけじゃない。拳を上げられたわけでも、詰め寄られたわけでもない。ただひとこと問われただけなのに、それなのに何故かナマエの身体はかなしばりを受けたかのように動かすことができなくなった。
 ナマエの顔が強張ったことには気付かず、スグリは言葉を続けている。

「なしてナマエがハルトのこと……」
「ぜ、ゼイユちゃんが言ってたの。お友達になったんでしょう?」
「ああ……ねーちゃんが話しちまったか」

 んだば仕方ね、と呟いたスグリはそれでいて全く納得していなさそうだった。もしかして友達ってゼイユちゃんの思い込みなのでは??とこの場にいない彼女をちょこっとだけ恨む。思い込みが激しいっていうか、自分が正解みたいに思っているとこがあるからなあ……。

「それに、交換留学生ってまだ決まってないんじゃ……」
「……たぶん、ハルトは来るよ。特別で、わやかっこよくて……物語の主人公みたいなやつだから」
「そっかぁ。もし来るなら私も、」

「だめじゃ!!」


仲良くして欲しい。そう続くはずだった言葉は突然の大声に遮られてしまう。びくりと身体が跳ねた。

「だめ……お願い、やめてけ」

「……どうして?」
「ごめん、ごめんな。ナマエをのけ者さするつもりはないし、さみしいのは良くないことだ……それにナマエには嘘つきたくなんかない。でも、ハルトは、いやだ」

 いやなんだ。ナマエは、ナマエだけはもう、とられたくない。
 両手で頭を抱え込んで、わしわしとかき混ぜながら首を振る姿は怒っているというより混乱しているように見えた。どうしたらいいのかわからなくて「スグリくん、」名前を呼んでも声は届いていないようだった。

「わやじゃ……鬼さまだけでね、ナマエまでとられちまったら……ああでもあれは全部、おれが弱かったから……弱いせいで、間違えたから……!!」

 嗚呼、と言葉が落ちてから、スグリは暫く何も言わなかった。何を言えばいいのか分からないナマエもまた黙るしかなく、2人の間には沈黙が訪れる。
 少しして、顔を上げたスグリの表情は歪だった。淀んだ瞳のまま、口元だけで、スグリはナマエに微笑みかける。

「おれ、もう負けない……負けたくないから。けっぱるとこ、見てて」

 何を決意したのか、ナマエには分からなかった。でも、話せていない間もリーグの結果を追っていたように、スグリを見放すことなんてきっとできない。頼まれなくたって、きっと見ているだろうから。
 恐る恐る頷けば、スグリはその瞳にナマエだけを映して笑った。
 

「ナマエは、おれのことだけ見てればいいから」