はるがすみ
[二]倉庫
たいせつなもの(PP/縢狡)
灰色の天井に灰色の壁。身体に繋がれた点滴チューブは未だ抜けない。
地下の廃棄区画で泉宮寺豊久に撃たれた傷は完治しておらず、時折思い出したかのように痛みを訴える。
さすがにこう何日もベッドに縛り付け状態だと身体を動かしたい衝動を抑えるのに苦労する。俺はもう動けると、身体が心に伝えてくる。
「…もう一日我慢したら医者をなんとかしてみるか。」
あんなことがあったのだ、あまり時間を無駄にしたくはない。でないと折角触れた獲物の尻尾がずっと遠くに行ってしまうような気がした。
そんなことを考えていると、病室のドアが遠慮なく開けられ、鮮やかなオレンジ色が目に飛び込んでくる。
「よっす、コウちゃん。元気してる?」
「…それは嫌味か?縢。」
「いやいや、俺は心配してるのよ?」
嘘だか本当だか判らない口調でそう告げながら、縢が俺の横たわるベッドの端に座る。
縢がこの病室を訪れるのは初めてではない、らしい。らしいというのも、縢は俺がここに収容されてすぐ、俺が眠っている間に見舞ってくれたのだと常守から聞いただけだからだ。
その後は気が向かなかったのか仕事が忙しかったのか、俺の知る限りでこいつがここを訪ねてきたことはなかった。退屈な病室だ、訪ねる理由もなかったのだろう。
縢は俺のほうをしばし眺めてから、目を細めて先日の狐狩りの話を持ち出した。
「ゲームステージみたいな場所で、相手は猟犬を連れたハンター。か弱い女の子を守って戦うコウちゃんはまさに騎士様って感じ?カッコイイねぇ。」
「わざわざこんな病室まで俺をからかいに来たのか。」
「まさか。とんでもなくヤバイ状況を切り抜けたコウちゃんに尊敬の念を込めてお見舞いにきたの。前回は空振っちゃったからね。はいこれ、縢君特製パウンドケーキでーす。」
「…怪我人に酒入りケーキを差し入れか。」
「あれ、よくわかったね。」
いつだったか縢が作ってくれたケーキの味を思い出す。あの時はラム酒がたっぷり使われていたが、いま縢が俺に差し出してきた袋からは微かにブランデーの香りがする。
「コウちゃんならもう傷もほとんど塞がったかなーって。ずっと病室にこもりっきりなんて、酒でも飲まなきゃ逆に身体に悪いっしょ。」
結局ブランデー入りのケーキを二人で平らげ、とりとめのない会話をした後だ。縢から、常守がメモリースクープをするつもりだと聞かされた。
いくら彼女の色相が濁りにくいとはいえ親友が殺された場面をリプレイするのはあまりにも危険だ。
端末への呼び出しに応えない常守にも、何よりそんな事態になることを防げなかった自分に対して腹が立ってきて病室から抜け出そうとするのを、縢に止められた。
「もっかい言うけどさ、現状マキシマを追い詰めるのに朱ちゃんのモンタージュほど頼りになるものはないでしょ。あの様子じゃ朱ちゃん、絶対やめないし。だったらこれ以上彼女の色相を乱すようなことはしないでさ、ここでおとなしく無事を願うべきじゃない?」
コウちゃんは十分頑張ったよと、いつになく優しい口調で縢が言う。
しかし、船原ゆきを連れて行く槙島を視界に捉えながら何もできなかった自分を思い出すと悔しさや苛立ちが溢れてくる。
「結局俺は、船原ゆきを守れなかった。ボスを倒したってヒロインを守れなかったらゲームオーバーだ。…刑事として、俺は負けたんだ。あいつに、槙島聖護に。」
「でもあの子の最期に立ち会ったのはコウちゃんじゃない、朱ちゃんだ。朱ちゃんには悪いけど、それがあの船原ゆきって子の運命だったってんなら、それはゲームオーバーじゃないよ。ちゃんとしたエンディングを迎えたけどそれが悲しい結末だったってだけ。」
「なんだ、今日はやけに優しいな。」
「俺、コウちゃんに対しては結構優しいと思うんだけど?」
俺には常守のことをとやかく言う権利はないだの言ってたのはどの口だと言い返したくなる。…こんなことを考えるなんて、どっちが子供だかわからないな。
「さっきも言ったけどさ、俺はコウちゃんのこと尊敬してんの。気に入ってんだから。マキシマなんて奴のせいで気落ちするコウちゃんは見たくないわけ。わかる?」
「…それに関しては心配するな。あいつを捕えることが俺のやるべきことなんだからな。」
そう、槙島の件を片づけない限り、俺は終われない。終わりたくない。
だから縢が言うことは最もだ。今は槙島を捕らえるための手がかりが一つでも欲しい。
「…あのさ、そんなにササヤマってのが大切だった?」
先ほどまでの感情が闘志に変わっていくのを感じていると、突然に縢が真面目な顔をして尋ねてきた。
標本事件を含めて俺は別に過去のことを秘密にしているわけではないから、縢も佐々山の事や標本事件の事についてだいたいの話は知っているのだろう。
とはいえ縢は佐々山と入れ違うような形で執行官に採用されたから、佐々山との直接の面識はない。人がこんなにも執着している様を見ていればそれについて気になるのも当然だ。
「あいつは…佐々山は、俺の知らない知識を、感情を、世界を教えてくれた。今の俺があるのもあいつのおかげだ。大切っていうのかは、よく、わからない…が、そうだな、そう考えると、俺にとってあいつは大切な存在だったのかもしれない。」
「・・・。」
曖昧に答える俺に対して、何故か縢はどこか胡乱な目を向ける。
そしてしばらく俯き黙り込んだかと思えば、再び突然に口を開いた。
「だったらさ、コウちゃんにとってのササヤマってのは、俺にとってのコウちゃんと同じだね。」
「は?」
いまいち言葉の意味を汲み取れずにいる俺と相対するように、そんな言葉を放った縢の顔は晴れやかだ。
「5歳で潜在犯の烙印を押されてから、俺の人生からはなーんにもなくなっちゃった。シビュラの恩恵を受けられないってんだから、もはや“人”の生ですらないのかもって考えたこともある。」
「・・・。」
普段は軽いノリばかりを見せる縢だが、時折こうして重たい空気を纏うことがある。それは、まだ世の中というものを理解する前にシビュラから見放されたが故のものなのだろう。
縢のことを少し見ただけの人間は大抵、彼がお気楽に生きていると感じるらしい。が、俺から見た縢の本質は、軽い部分ではなくどこか闇色をした重たい部分なのだろうと思う。
「けどさ、執行官になって、コウちゃんに出会って、俺の世界が変わったんだ。腕を折られたあの時、お前も“人”だって認めてもらえた気がしたんだ。それから俺の世界には色んなものが溢れるようになったんだ。不思議だよね、他の誰より猟犬の瞳をしてたコウちゃんに、人ってやつを教わったんだから。」
「それは…買い被りじゃないか。俺だけじゃないだろう、お前のことを認めているのは。」
とっつぁんや六合塚、ギノだってなんだかんだ言って縢のことを認めている。それに今は常守もいる。
あいつらは決して縢のことを軽んじたりはしない。シビュラから弾かれた可哀そうな犬だと思ったりはしない。
「そうだね。そのくらいは俺にだってわかるさ。でも昔の俺だったらそんな世界があることすら気づかなかったと思うよ。一番最初に俺の目を開かせてくれたのがコウちゃんだったんだ。」
「要するに雛鳥の刷り込みだな。」
「もう、そんな単純なもんじゃないったら!ホントに、マジで、コウちゃんは俺の大好きで特別な人なんだから。」
「…それは、本当で、そういう意味で言っているのか?」
「そうだよ。」
急にそんなことを言われ、さすがに驚く。しかし自分の頬に伸ばされた縢の手、真剣な瞳を見れば、本当にそういう意味なのだとわかる。だから驚きはしたが悪い気はしていない。むしろ素直に嬉しいと思える。
そう、思えるのだが。
「…お前の気持ちは、わかった。そこまで言ってもらえるのは嬉しいし、ありがたいさ。だが、俺は…」
「やっぱりササヤマ…さんが、好き?」
「…あぁ。」
先ほど縢に佐々山が大切かと聞かれて改めて考えた。いや、本当なら考えるまでもなく、俺は佐々山が好きなんだ。
どうしようもないクソ野郎だったのに。あいつはもう、いないのに。
「いいよ、それでも。」
「…なに?」
縢に申し訳なく思い俯く俺の顔を上げさせ、縢は柔らかな表情を向ける。俺を許すかのように。
「俺ね、ずっとササヤマさんに嫉妬してたんだ。」
「嫉妬って…」
「自分の好きな人が潜在犯になってまでその人のために生きてるんだから、当然っしょ?俺が入り込む隙間なんてなくて、最初はずっとコウちゃんの中からササヤマがいなくなればいいと思ってた。」
「・・・。」
「でもさ、今のこの、誰よりも格好良くて、綺麗で、なのに時々可愛いコウちゃんがあるのもササヤマってののおかげなら…俺は、そいつにも感謝したいんだ。」
あぁ…こいつは、なんだってこんなにも、純粋なのだろう。
幼い時分にシビュラから潜在犯と認定され、今までの人生楽しい物じゃなかっただろうに。何不自由なくシビュラの恩恵を受けてきた誰よりも、縢は俺の目には純粋に映る。
ふと、頬を撫でていた縢の手が俺の手に移り、祈るように握られる。
「俺はもっともっと強くなるよ。それで、いつかはササヤマさんに認めてもらえる男になる。そうしたら、コウちゃんも少しは俺のこと見てくれるよね?だからそれまで待っててよ。」
「…あのクソ野郎が認める男を目標にするなんて、ろくな大人にならないぞ。」
「ろくな大人じゃなくたって、コウちゃんにとって魅力的な男になれるなら大歓迎だよ!」
「…もう、十分に魅力的な男だよ、お前は。」
「え?なに、コウちゃん。今なんて…」
「なんでもないさ。ただお前の教育方針間違ったかなって。」
なにいってんの!と騒ぎ出す縢はやはりまだまだ子供だなと思う。俺からしたら、子供であることは別に悪いことじゃあないが。それに、そうした子供の部分が縢らしさでもあると思うし、だからこその純粋さなのだろう。
「なぁ、縢」
「なに?」
こんなこと、俺が言える筋合いじゃないが。
「待っていてほしい」
「え…」
待っててほしいのは俺のほうだけど、と、頭に疑問符を浮かべる縢がなんだかおかしくて、愛しいと、思う。
握られたこの手は失いたくないと、思う。
いつだったか佐々山が話していたな。昔は故人に、自分や自分の大切な人を守ってほしいと願っていたと。
「好きだよ、コウちゃん」
今はまだ佐々山の件に整理をつけることに精一杯だけれど…いつか、こいつに「好きだ」と返せるようになれたら。その世界はきっと、幸せという世界なんだろう。
そんな世界があると教えてくれたのも佐々山、お前だから、だからどうか。
縢のことを守ってやってくれ――
**
「コウちゃん!」
あの病室での一件があってから縢は俺によくついて回るようになった。
以前からそれなりに懐かれているなとは思っていたが、最近は遠慮がなくなったような気がする。
「おっはよー!今日も魅力的だねぇ。」
縢からの好意は心地良いからそれ自体は別に構わない、構わないのだが。
「っ…おい、縢っ!ふざけるなっ」
何をトチ狂ったのか、気を抜くと縢はすぐ俺の尻を触るようになった。
「ふざけてなんかないって。目下、佐々山さんリスペクトでイイ男の修行中、ってね。」
やっぱりこいつの教育方針を間違えたなと考えながら俺は、鼻先へ触れるくちびるを受け入れた。
初:ぴくしぶ掲載2013.1.29
PP1期13話から
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