はるがすみ
[二]倉庫

間が遠ても契りは固し#1(PP/雑狡)


埼玉県秩父市内、周囲に何の環境ホロも使われていない場所に建てられた雑賀譲二の家。書斎となっている部屋からは紙の資料と紙の本をめくる音、そして槙島聖護の次なる行動を議論する狡噛と雑賀の声が響いていた。そうして短くはない時が過ぎた後、狡噛が広げていた書物をぱたんと閉じる。その音を最後に静けさが訪れた。雑賀は椅子に座ったままコーヒーを飲み、狡噛は持っていた本を書棚へとしまう。しまった本に手を触れたまましばらく黙っていた狡噛が、静寂を気遣うように小さく呟いた。

「・・先生、一つ伺いたいことがあります。」
「なんだ。」
「先生はなぜ・・ずっと独り身でいらっしゃるのですか。」

書棚のほうを向いたまま狡噛が問いかける。教え子から発せられた珍しいテーマの問いに雑賀はすっと目を細め、狡噛の方へと振り向くと自分に向けられたその背中をじっと観察する。しばし待ってもそれ以上のことは言おうとしない狡噛に、雑賀は問いかけで言葉を返した。「何故だと思う?」

「シンプルではありますが、単にそういった存在がいないから、では?」
「それじゃ10点もあげられないな。もうちっと考えろ。」

そこでようやく狡噛は雑賀の方へと体を向けた。雑賀の奥底にある感情を見定めようとじっとその目を見つめてくる。

「・・・結婚することに重きを置いていないためシビュラの相性判定で出た相手と身を固めるということもなく、そもそもそのシビュラ判定自体をよく思われていない古風なところがある。恋愛という行為自体にもあまり興味をお持ちでない。」
「30点。」
「先生の相手が務まる人がいない。」
「あぁ、それはなかなかどうして的を射たな。その前と合わせて50点てところか。」

何故狡噛がこの様な質問をしたのか、その全てが雑賀にはわかっているかのだろうか。そんな雑賀にこの先の仮説を告げることは果たして必要なのだろうか。狡噛はそう逡巡した後で自らの持つ最後の仮説を口にした。

「・・・結ばれ難い相手に思いを寄せている。」
「・・・90点、かな。」

ほぼ正解であることを示した雑賀の言葉に狡噛は嬉しさとも悲しさとも言えない表情を浮かべた。そんな狡噛を雑賀はあくまで優しく見守る。

「なぁ狡噛。」
「はい。」
「お前は分かってて俺に質問したんじゃないのか。」
「・・なんとなくは。ただ、分かっていたというよりは、そうであったら良いなという願望ですよ。そんなに自信家ではありませんから、俺は。」

それが望み通りの回答を得た奴の顔か。雑賀は狡噛の表情を見て苦笑する。自分がこの先の言葉を発することで今以上に狡噛に心苦しい思いをさせるかもしれない。雑賀にとっても判断は難しいことだった。けれど。雑賀はコーヒーカップをテーブルに置くと、座っていた椅子から立ち上がる。そして本棚の前から動かない狡噛の傍へと歩み寄り、その瞳をじっと見つめながら言葉を紡いだ。

「俺が独り身でいるのはお前が大切だからだよ。」
「・・・・はい。」

自分の言葉に対して素直に顔を綻ばせた狡噛を見て、雑賀はこれで良いのだと言い聞かせ、問いを続ける。

「それで?」
「?」
「俺の本心が判ってお前はどうしたいのかな。」

雑賀からの問いかけに狡噛は微かに瞳を揺らし迷いを見せる。そんな狡噛が口を開くのを雑賀はただじっと待った。

「こんなことを言って先生を幻滅させなければいいのですが。」

そう前置きをして狡噛は伏せていた瞳を上げた。

「俺は、先生と寝たいと思っています。」
「・・本気か?」
「先生に嘘は通じないことは学んでいます。」

狡噛からの返答は雑賀も予想していなかったではない。ただその返答に含まれる意思は自分の側の望みだと考えていたし、その望みを絶対に叶えなければ気が済まないと言うほど若くもないと思っていた。叶ったところで狡噛のためになるかも怪しい望み。雑賀にとって狡噛からの返事は手放しに喜んでいいものではなかった。

「・・なぁ狡噛。確かにお前は俺に好意を抱いているんだろう。だがお前のそれは俺一人だけに与えられるものじゃない。・・別にお前を卑下しているんじゃないぞ。」
「えぇ。わかっています。」
「逆に俺のそれはお前一人だけに与えたいと思っていることも?」
「・・・・えぇ。」
「それをわかった上でお前は俺と寝たいと。」
「はい。」
「・・年寄相手に残酷な奴だな。」
「とても失礼なことを言っていることは十分に承知してます。確かに俺は皆が好きです。大切でどうしようもない。だからといって誰とでもこんなことがしたいとは思わない。それだけは知っていてください。」

先生、と自分に向けられた狡噛の瞳が言葉の本気を示していた。その瞳に、長い間蓋をしてきた雑賀の感情が揺れ動く。

「まったく・・しょうがない奴だな。」

冷静で頭も良く、何事もそつなくこなしているように見える狡噛は、実の所とても不器用な男だと雑賀は考える。本来であれば特別なもののない普通の人間だっただろう。だが狡噛の持つ自分への厳しさと他人への優しさが、彼自身をその他人からもてはやされる存在へと変えていった。例えそれが良い生き方だったとしても、狡噛の場合にはもう少しごく普通の人としての安らぎのようなものが必要だったのかもしれない。それを例え一時でも自分が狡噛に与えてやれるなら――。雑賀はだらりと下げられた狡噛の手を取る。窓際に置かれたソファへと手を引きかけたところでふと気づいて問いかける。

「・・ベッドがいいか?」
「いえ。ここで。」

お互いに手を握ったままソファに並んで座る。雑賀は空いているほうの手で眼鏡を外すとそのままの流れで狡噛の頭に手を伸ばし、顔を自分のほうへと向ける。そして髪、額、瞼、頬と、顔中に唇を落としていった。狡噛はそれを受けながらふっと息を吐く。

「ふふっ」
「どうした。」
「いえ、先生からの口づけはなんでもくすぐったいんだなと思いまして。」
「あぁ…無精なもんで悪いな。気になるか?」
「いえ、むしろ心地良いです。先生からの口づけなんだと実感できます。」

心から嬉しそうに笑む狡噛に、雑賀も自分の心にどうしようもない喜びが広がるのを感じた。そして最後に狡噛の唇へと口づける。ゆっくりと、やさしく、狡噛の唇を味わうように触れていく。目を閉じたままその感覚を味わっていた狡噛がうっすらと口を開けたのを合図に、雑賀は口づけを深い物へと変えていく。

「・・ん」

狡噛から鼻にかかった声が漏れる。狡噛の空いているほうの手はいつのまにか雑賀の服の裾をつかんでいた。雑賀は狡噛の後頭部に沿えていた手で髪をなでると、握っていた手を離して狡噛のシャツのボタンを外していく。雑賀からの口づけが離れたところで狡噛が雑賀のマフラーを外す。そのまま雑賀の服にも手をかけるが、狡噛のその手を雑賀が軽く掴んだ。

「先生?」
「俺は後にしてくれ。人に脱がされるのは得意じゃないんだ。」

狡噛は2、3度まぶたを瞬かせると可笑しそうに破顔した。

「前から少し思っていたのですが・・先生はどこか子供っぽいところがありますね。」
「男なんてみんなそんなものだ。狡噛、お前もな。」

狡噛からの可愛い口撃を黙らせるように雑賀は再び口づけを与え、そのまま狡噛の体をソファへと倒していった。


(#2へつづく)














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