いとしい月影


なまえは目の前で繰り広げられている宴会にようやく心の緊張を解いた。

千鶴達へなまえを紹介した後にすぐに始められた歓迎の宴会は感嘆の声を漏らしてしまうほど豪華なものだった。

なまえはその煌びやかな宴会が催されている部屋の端のほうで静かに千姫が用意してくれた食事を口に運んでいた。京料理というものはこれが初めてのことである。やさしい味わいの料理に思わず頬がほころぶ。


「口にあった?」

「はい。とても美味しいです」

「良かった。貴方は食が細いと風間から聞いていたから心配していたのよ」

「頭領から?」


千姫の思いがけない言葉になまえは進めていた箸を止めた。実際、なまえは確かに食が細いほうである。しかし風間と食事を共にすることなどこれまで一度もなかったはずだ。それなのに何故彼がそのようなことを知っているのか。
なまえは一抹の疑問を抱き、千姫を見やる。すると彼女は、しまったと口を噤んだ。


「あっ、ほら風間もなまえのことを色々心配してるみたいで、私に報告してくるのよ」

「…左様でございますか」


――大方、風間はなまえのことを監視しているのだろう。「混血」とはいえ、貴重な女鬼。勝手に姿を消されたりしたら具合が悪い。仕方のないことだ。西の里、それも風間の元に保護されている身なのだ。これくらいのことは目を瞑ることが賢明だろう。

なまえは、未だ焦りの色を見せる千姫にフッと笑いかけた。


「頭領も見かけによらず、ですね」

「そ、そうなのよ!まったく困ってものよね」


帳尻をあわせるようにして頷く千姫は何処かほっとしたかのようだった。
なまえは部屋の上座の方で酒を煽る風間に視線をやった。美しい女子を両隣に侍らせた彼は至極満足そうに口角をもち上げている。彼の酌をする女子達もまた風間の美貌に魅了されてか頬を赤く染めていた。
――油断ならない男である。風間の洞察力にはやはり細心の注意を払うべき男だとなまえは身を引き締めた。

じっと風間を見つめていたなまえだったが、隣から視線を感じその瞳をそちらへむけた。


「いかがされましたか、千鶴様」


そこにはくりくりとした瞳を輝かせる千鶴の姿があった。千鶴はなまえの問いかけにハッと我に返ったかのようだった。


「あっ、ごめんなさい!」

「いいえ。どうかなさいましたか」

「いえ、その…あの…」


ちらりちらりと自分の表情を窺うかのような千鶴の動作になまえは首を傾げた。一体どうかしたのだろうか。


「その…とても聞きにくいことなのですが…」

「はい」

「なまえさんと風間さんってどういうご関係なのですか!」


爛々と瞳を輝かせて悔い気味に問いかけてきた千鶴になまえは呆気にとられた。予想もしていなかった千鶴の問いに彼女の思考は一瞬機能を停止してしまったほどだ。
――風間とはどのような関係なのか。
なまえは今一度頭の中で千鶴の問いを復唱し、その問いの意味を考えた。


「あら!千鶴ちゃんったら土方さんというものがありながらー!」

「えぇ!?そういうつもりで聞いたわけじゃないですよ!」


千鶴は千姫の言葉を慌てて否定した。それはそうだろう。なんと言っても彼女には土方歳三という夫がいるのだから。先ほど千鶴から紹介を受けた土方という男は新選組の副長を務めていたそうだ。幕末の動乱を息抜き、現在は千鶴と共に人里離れた土地で静かに暮らしているとか。


「まあ以前、風間に口説かれていた身なら、気になるのも仕方ないわよね」

「く、口説かれていたって…」

「あら、事実じゃない!なにも照れることはいらないわ」


千鶴の反応に千姫は至極楽しそうである。

なまえは二人のやりとりに漸く先程千鶴が投げかけてきた問いの意味を見いだした。そしてそれと同時に不愉快そうに眉を顰めた。


「私と頭領の間にはなにもありませんよ」

「え!そうなんですか!?」

「はい。私はただの女中みたいなものですから」


なまえの答えにがっくりと千鶴は肩を落とした。それは千姫も然り。


「この数日で二人の距離が近づけばと思っていたんだけど…」


なまえは目の前でがっくりと肩を落としている二人には気付かれないようこっそりと溜め息をもらした。千姫には悪いが、二人の距離は近付くよりもずっと遠のいてしまっている。それも風間の軽率な振る舞いが原因で。

そもそも風間とどうこうなるつもりはなまえには毛頭なかった。


「てっきりその髪飾りは風間からもらったものだと思っていたわ…」

「私もです…。とても綺麗な髪飾りですね」


千姫達の視線はゆるく結われているなまえの髪へ向けられた。その視線を辿るようにして指先をやるとそこには美しい髪飾りが光っている。

これは生前燦からからなまえへ贈られた髪飾りであった。きめ細やかな装飾が施されており、とても美しい輝きを放っている。西の里で保護された時は、決して失くさないよう懐にしまっていたので千姫は気付かなかったのだろう。


「…これは大切な方からいただいたものです」

「大切な…?」

「はい。その方からいただいた最初で最後のものです」


なまえはその髪飾りを髪から外すと大事そうに両手でそれを包み込んだ。
燦はとても不器用な男だった。口数もそれほど多くなく、感情を表に出すことが少なかった。そんな燦が唯一彼女に贈った品物がこの髪飾りなのである。


「なまえはその人が好きだったの?」


愛しむように髪飾りを見つめるなまえに千姫が問いかけた。
するとなまえは一拍置いた後にやんわりと答えた。


「はい。私の唯一のお方でした」