撫子


「よく似合ってるわ、なまえ!」

「本当に素敵です!」


千姫や千鶴からの絶賛を受け、なまえはどこか照れ臭そうに眉を下げた。撫子の花の文様があしらわれた薄水色の着物に身を包んだ彼女は今一度姿見の前で自分の姿を見やった。するとその後ろから覗きこむように千姫が顔を出す。


「やっぱり薄水色の着物にして正解ね。絶対似合うと思ったの」

「おかしくないですか…?」

「なに言ってるのよ!とってもよく似合ってるわ」


この着物は数日前に千姫がなまえに見繕ったものだ。正確に言えば、風間が、彼女へ贈ったものなのだが。
その着物が完成したとのことで現在なまえは初めて着物に腕を通している。


「ねえ、千鶴ちゃん!よく似合ってるわよね!」

「はい!とても綺麗です!きっと風間さんもお喜びになられると思います!」


なまえは風間という名前に内心溜め息を吐いた。

そう、なまえはこれから風間と出かけることになっているのである。本意ではなかったが、風間直々の命令であったので拒否することができなかったのだ。必要以上に関わりと持とうとしてくる風間に対して、なまえは一定の距離を保つことに専念していた。が、まさか二人で出かけるハメになってしまうとは…。
千姫や千鶴が嬉々となまえの髪を綺麗に結い上げるが、当の本人は風間との約束の時刻が迫ってくるにつれ、段々と肩を落としていた。


そして、身支度も完成した頃。閉ざされていた襖がスッと開かれ、その向こうから風間が姿を現した。


「そろそろ出るぞ」

「丁度いい時に来たわね!さあ、なまえ」


ここで渋っても仕方がない。そう割り切ってなまえはわざわざ迎えに来てくれた風間に向き合った。すると風間は一瞬驚いたように目を見開いた。
その風間の様子に千姫はしたり顔でこっそり千鶴と視線を交わらせた。


「お待たせしてしまい、申し訳ございません」

「…行くぞ」

「はい。千姫様、千鶴様、ありがとうございました」

「楽しんでらっしゃい!」


こうしてなまえは風間と京の町へ繰り出した。



* * *


「頭領は京の地理に長けておられるのですね」


伏見稲荷神社への参拝を終えたなまえは先を歩く風間にそう投げかけた。
昼過ぎに千姫の邸を出てから風間の案内の元、京のいたる名所を巡っていた。京が初めてのなまえにとって、京の独特の景観を見て回ることはとても新鮮で楽しいものだった。風間の案内もあり、道に迷うこともない。


「以前、薩摩に手を貸していた時に京を何度か訪れている」

「それで…。ではその時に千鶴様達とお知り合いに?」

「そんなところだ」


風間が薩摩に手を貸していたことは以前に聞かされていた。不知火が長州へ加担していたこともだ。極度に人間を忌み嫌う風間が人間に加担していたと知った時、なまえはとても驚いた。本土の鬼が人間と関わりを持っているとは思っていなかったからだ。

淡い朱色と澄んだ水色の空が美しく溶け合う。鳥たちが山々へ帰っていく声を聞きながら、なまえは風間の後を追った。


「今は薩摩の方とは?」

「すでに約束は果たされた。俺が奴等と関わることはない」


鬼は約束を違えない。そう言って、振り返った風間になまえは足を止めた。


「お前の母は人間だったな」

「はい」

「それではそれを贈った男も人間か」


風間が見据える先にあったものは、燦から贈られた髪飾りであった。ゆるく一つに結われた髪に煌めくその髪飾りを睨むように風間は目を細める。思わず、なまえはその髪飾りを庇うように手をあてた。


「千姫から聞いたぞ。お前には愛している男がいた、と」

「頭領には関係ありません」


誘導尋問のつもりなのか。風間は鋭く細めた緋色の瞳でなまえを捕らえ、その絶対的な頭領としての気迫を彼女に中てた。しかし、なまえとて総本家の姫。風間の気迫に負けじと彼を睨み返した。
この場面に人間が遭遇でもしてしまったら、恐らく気を失ってしまうことだろう。それほどまでにこの二人から発せられる気迫は凄まじいものであった。


「お前は貴重な女鬼だ。人間の男に心を奪われていたならば、それを見逃すわけにはいかん」


風間の言葉になまえの心が激しく痛んだ。

燦は人間ではない。誇り高い鬼である。彼はなまえの幼馴染であると同時に許嫁であった。二人は確かに愛し合っていたのだ。
――しかし、二人が夫婦になることは叶わなかった。
どれだけ愛していても、どれだけ会いたいと願っても、もう最愛の人と結ばれることはないのだ。


「…頭領は誰かを愛したことがおありですか」

「…なにが言いたい」


決して泣くまいと唇を噛みしめる。かすかに鉄の味が口内に広がったが、なまえは気にせずに風間から視線を外さなかった。


「愛したことがないと仰るのなら、貴方に私の気持ちなどわかりません」

「くだらん」

「そうですね。貴方にとって、愛などくだらないものでしょう」


風間は目の前で自分から視線を外さない彼女の瞳が揺れていることに気が付いた。なにかを押し殺すかのように揺れるその瞳に何故か胸が痛む。


「頭領の仰る通り、私には心からお慕いしている方がいらっしゃいました」

「………」

「しかしそのお方はもう手の届かないところへ行ってしまわれました」


自分を逃がすために戦った燦の最期を見届けてはいないが、彼は相当な傷を負っていた。僅かな希望を持っていたが、その希望は無残にも打ち砕かれた。北の地から逃がされたなまえの前に追手が現れたのである。その追手達から燦の死を告げられたのだ。
勿論、なまえは燦の死を嘲笑する彼等をその場で斬り捨てた。
しかし燦を失った悲しみはどれだけ涙を流そうと晴れることはなかった。


「この際だから言っておきます。私は頭領、そして里の方とどうこうなるつもりはありません」

「死しても、尚、その男を愛し続けるのか」

「はい。私の心はあの方のものです」


――愛した男の影を追う女鬼と愛を知らない男鬼。秋風がお互いの心を慰めるように二人の間を吹き抜けた。