ふたりの影
「なまえは動かぬか」
「申し訳ございません…!」
その問いに平伏していた男は更に頭を深々と下げた。その様子を見やる男の瞳は氷のように冷たい。
「総出で探してはいるのですが、未だ何の動きも…」
「あの女のことだ。そう簡単には姿を現すまい」
――だが、見つけられた時こそがあの女の最後。なまえは我が花嫁となり、二度と日の光を拝むことはできなくなるだろう。
玉座につく男は遠い地に身を隠すなまえの姿を思い浮かべると口角を持ちあげた。その狂気染みた笑みを浮かべる姿に平伏する男の背筋に冷や汗が伝う。
長く伸ばされた襟足を後ろで束ねた男の名は、絶威。
なまえを我が物にするために彼女の住まう里を襲い、彼女のすべてを奪った男だ。
「俺もそう気が長くはない。貴様に期限をやろう」
「は…っ!」
「ひと月だ。ひと月以内になまえを見つけ出せ」
* * *
京で同胞が襲撃されてから数日。西の里には平穏な時間が流れていた。嵐の前の静けさとでも言うべきか。なまえはこの平穏を心の底で恐れていた。
なまえは愛しい人が眠る小さな墓へ花を手向ける。そして祈る。これ以上、だれも、傷つかぬように、と。
「私もあの時に死ぬべきだった。そう言えば、あなたはひどく怒るでしょうね」
彼女の言葉に答えるように木々達が揺れる。まるで叱咤するかのように。なまえはその叱咤に苦笑いを浮かべ、墓石を愛おしそうに撫でた。
思い出されるのは幸せだった日々。燦と手を取り合って生きてくことを決めたあの日のことは今でも鮮明に覚えている。父上や母上、そして里の民に祝福されて私たちは夫婦になるはずだった。決して疑うことはなかった幸せな未来がそこにはあったはずだった。しかしその未来は無残にも奪われてしまったのだ。
あの夜の惨劇が脳裏に蘇り、なまえは目を伏せた。
そしてその姿を鬼へと変化させた。
漆黒の髪は美しい銀色へ、すべてを見透かすかのような神々しい黄金の瞳。――そして総本家の一族のみ、額に浮かび上がるといわれる蓮の華の模様。
すべてを凌駕するその美しさはさすがは総本家の姫というべきか。
「私はこの命がある限り、己の運命に立ち向かいます。だから、」
――すべてが終わったとき、どうか私を迎えにきてくださいね。
なまえはそう燦に語りかけると名残を惜しむようにしばらくその場を離れなかった。
どれほどの時間が流れたか。ふと風間の気配が近づいてくることに気付いた彼女はようやく立ち上がると、変化を解いた。
「迎えがきたようです。また来ますね」
まるで目の前に燦がいるかのように、彼に語りかけるように優しい声音でなまえは告げた。
小高い丘を降りていくと遠くの方によく知った姿があった。彼はなまえに気付くと歩みを止めた。
「一人で出歩くなと言ったはずだが」
「申し訳ございません。すぐ近くでしたので」
まるで攻めるような言い方だ。しかしその言葉に隠されている真意を理解しているなまえは眉を下げて、風間に謝罪の言葉を述べた。
同胞の襲撃以来、風間はなまえに一人で里を出ることを禁じた。しかし彼女は度々風間の目を盗んではこうして燦の墓参りに来ている。風間は彼女が自分の命に背いて里の外に出ることを快く思っていなかった。しかし、その目的が故人の墓参りであるので強くは言えずにいたのだ。とはいえ、自分の命に背いてでも里を抜け出すなまえにこれ以上風間も黙ってはいられなかった。
「この先に眠る者はお前にとってそれほどまでに大切な者か」
ついに言葉にしてしまったそれはもう取り消すことなどできない。風間はバツが悪そうに眉を顰めた。
なまえは予想もしていなかった風間からの言葉に一瞬目を見開いたが、すぐに困ったような笑みを浮かべた。
「千景様の仰る通り、この先には私にとってかけがえのない方が眠っておられます」
「……」
「いま私がこうして生きているのも、すべて彼のおかげです。彼は私にたくさんのことを教えてくれて、また与えてくださいました」
遠いあの日を慈しむかのように優しい笑みを浮かべて、けれどどこか悲しげな影を背負うなまえの言葉に風間は黙って耳を傾けた。自分の発した言葉が彼女にとってどれほどまでに重いものだっただろうか。
2人の間に沈黙が訪れる。
その沈黙を先に破ったのはなまえだった。
「心配をおかけして、申し訳ございませんでした。しかし私はこれからもここを訪れるでしょう」
風間がなまえが見やる。なまえはやわらかく目を細めて、風間の頬に手を伸ばした。
「頭領である千景様に無礼なことは承知で、わがままを言ってもよろしいでしょうか」
「言ってみろ」
「もしよろしければ、これからは千景様も一緒にここへ来てくださいませんか」
触れた頬は確かに温かい。指先から伝わる温かさにひどく安心感を覚えた。
風間は自分の頬に触れる小さな手に触れるとその手を強く、だが、優しく握り返した。
それがなまえのわがままに対する風間の返事だった。