かぞえうた
なまえは京を訪れていた。先日風間に宣告された通り彼に連れられ、千姫の邸の一室でこの邸の主を待っていた。
美しく手入れされた庭園を眺めていると遠くのほうから千姫のものであろう軽やかな足音が近づいてきた。
「お待たせしてごめんなさいね!」
君菊を従えて現れた千姫は風間や天霧、不知火には目もくれずなまえに歩み寄ると彼女の手を取った。
「遠いところありがとう。強引に風間に連れてこられたんじゃない?」
「強引だなんて…道中もとても良くして頂きましたよ」
「へぇ、あの風間がねぇ…」
千姫がなにか言いたげな視線で風間を見やるも、風間は決して彼女と目を合わせることはなかった。しかしそのような風間の反応もお見通しとでもいうかのように千姫は大袈裟にため息を吐いて見せた。
その様子になまえはくすりと笑みを零した。
「そのようなことを話し合うために俺たちは京に上ったのではない」
「せっかちね。まあ今回ばかりは早急な対策が必要でしょうね」
「なにかわかったことがあるのですか」
先ほどまでのおどけた様子とは打って変わって千姫は厳しい表情を浮かべて天霧の言葉に頷いた。
千姫は君菊から手渡された書物を受け取ると重たい口を開いた。
「“なにか”が動いてることが確かだわ。実際、今回の件で動いてもらっていた者が何者かにやられたわ」
千姫は唇を噛みしめて目を伏せた。
千姫の話になまえは動揺が隠し切れなかった。自分のせいで大切な同胞が命を落としたのだ。総本家の姫として、守るべきであった同胞を失ってしまった。その事実にぎゅっと強く手を握りこんだ。
「やられたのは刀の腕がたつ者だったわ。だから相手も相当の…」
絶威が従える家臣たちは皆恐ろしく腕がたつものばかりだった。なにせ総本家を滅亡にまで追い込んだのだ。その刺客の頂点に君臨する絶威もまた絶対的な強さを誇っている。
なまえはちらりと風間を見やった。彼は彼女の視線に気付くことなく、じっと黙って千姫の話に耳を傾けていた。
「その者の遺体の上にこんなものが置かれてあったの」
「これは…」
書物の中から一枚の小さな紙を取り出すと千姫は風間達の前に広げてみせた。
一同の間に衝撃が走る。なまえはそれに記されていた意味を瞬時に理解すると目を見開いた。
「蓮の花に、十字…」
そう、そこには総本家を意味する蓮の花、そして、蓮の花を塗りつぶすかのように十字が引かれていたのだ。それだけではない。その十字は今回葬られた者の血で書かれたかのようであった。
――それは絶威からなまえへの警告だった。
なまえは己の認識の甘さに憤った。
もっと早く西の里から出ていれば、もっと早く同胞達から離れていれば危害は同胞たちには及ばなかったかもしれない。自分への激しい怒りを押し殺すために握りんだなまえの手には薄っすらと血が滲んでいた。
「これは私の推察だけど、この蓮の花は総本家を意味してると思うの」
「総本家はすでに滅んでいるはずだ」
「ええ、そこがわからないの。確かに総本家は東に雪村、西に風間を託して、関ケ原の合戦で滅んだとされているわ。だけど私たち鬼一族にとって蓮の花は総本家を現すものだわ」
千姫の言う通り、蓮の花は総本家を意味する。しかし総本家は関ケ原の合戦で滅んだと一族の間では言い伝えられてきた。
――そう、それは総本家によって創られた歴史だったのだ。
総本家は滅んでいなかった。関ケ原の合戦で勝利した徳川の時代が幕を開け、激動の時代が終わりを迎え、明治が始まった今も、決して滅んではなかった。ずっと、ずっと、その誇り高き矜持を持ち続け、時代を生きていたのだ。
そして、風間たちの目の前に座するなまえこそが、総本家が姫君だった。
名乗り出るべきか、否か。
なまえはどうすればこれ以上の犠牲を出さず、また、一族に混乱を招かないかを考えるが、ひどく動揺した思考回路ではその答えを見つけることができなかった。
「なまえ」
自分の名を呼ぶ風間の声になまえはハッと顔を上げた。そこには心配そうに眉を下げる千姫の姿があった。千姫の細い指が自分の頬に添えられるとなまえは僅かに頬を緩ませてみせた。
「大丈夫?顔色が優れないようだけど…」
「少しぼんやりしてしまって…大丈夫です」
心配かけまいとするなまえの様子に千姫はまた少し眉を下げた。何か言いたげな千姫だったが、それは風間によって阻まれた。
気が付くとなまえは風間に肩を抱かれていたのだ。あまりに突然のことだったのでその場にいた全員が風間の行動に驚きが隠せなかった。もちろん、当の本人であるなまえ自身も。
「千景様…!」
ようやく状況を理解したなまえが風間を見上げるも彼は彼女に視線をくれることなく、むしろ、より一層肩を抱く力を強めた。
「直に土方と千鶴が到着するのであろう。それまで別室で休ませる」
風間に肩を抱かれたなまえは半ば強制的に立たせられるとそのまま部屋の外に連れ出されていった。
予想外の風間の行動に驚きのあまり一同は声を発することもできなかった。そしてしばらくした後にぽつりと千姫が呟いた。
「やれやれ。どうやら本気みたいね」