はじまりはたおやかに
時は明治。1人の女鬼が闇夜に姿を溶かし、木々の間を駆けていた。その手には一振の太刀が握られている。彼女が身に纏う着物は木々に切り裂かれ、すでに見るも無残なものであったが、構わずただひたすら「なにか」から彼女は逃げていた。
「は…っ、は…っ」
とうに彼女の疲労は限界を超えているだろう。しかし彼女が足を止めることはない。
闇夜に閃光が走る。彼女はその閃光をひらりと交わすとすぐに体勢を整え、太刀を抜刀した。
「姿を現しなさい」
彼女の声に木々の間からゆらりと数人の男鬼達が姿を現した。額に角を生やし、白髪を靡かせる彼等の姿を視線に捉えると彼女はその瞳を細めた。
そして次の瞬間、彼女もまた鬼へと姿を変貌させた。額からは角が生え、美しい黒髪は白髪へ変わり、さらにその瞳には黄金の光を灯している。
彼女はスッと太刀の切っ先を男鬼達へと向けると淡々とした声音で告げた。
「来なさい。相手をしてあげます」
「姫君に手をあげることは不本意だが、致し方ない…!」
飛び掛かってきた男鬼達の攻撃を軽い身のこなしで受け流した彼女はすかさずその太刀で彼等を貫いた。1人、また1人と男鬼達が地に伏せていく。
そして最後の1人が血塗れの手を彼女に伸ばしながらその場に伏す。
その光景を目の当たりにした彼女の返り血で濡れた頬に一筋の涙が伝った。
しばらくその場から動かなかった彼女だったが、やがてその姿を人間のものに変えると空を仰いだ。
月光が彼女を照らす。はらはらと頬に伝う涙を拭うこともせずに、彼女はその場に崩れ落ちた。
「燦…」
彼女の名前はなまえ。鬼の一族、総本家が娘であった。