かくしごと
なまえは西の里で保護されることとなった。混血とはいえ、女鬼は貴重な存在である。風間は彼女に邸内にある一室を与え、そこでの生活を命じた。
――勿論、本当はなまえは混血ではない。由緒正しき鬼の一族・総本家の姫である。
しかし、その事実を知る者は誰一人としていない。
こうしてなまえは「混血」の女鬼として、西の里で生活を送っていた。
「おう、なまえ。元気か」
「こんにちは、不知火様。お久しぶりですね」
「ここんとこ風間に面倒くせぇことばっか押し付けられたからなぁ」
なまえが洗濯を干していると何処からともなくひょっこりと不知火が現れた。なまえは振り返り、不知火の姿を見つけると洗濯を干していた手を止め、彼に頭を下げた。
「おいおい。そんな堅苦しいのはいらねぇって言っただろ?」
そう言うと不知火はケラケラと豪快に笑った。気さくでどこか兄のような存在である不知火はよくなまえのことを気にかけてくれた。不自由していることはないか等と出会う度に尋ねてくる程だ。
不知火はなまえの足元に置かれている洗濯籠を見やる。そして大きな溜め息を吐いた。
「んなことお前がする必要ねぇだろ」
「いいえ。お世話になっている以上、私にできることはお手伝いしたいのです」
なまえは風間の邸に世話になるようになってから家事を率先して担っていた。炊事、洗濯、掃除…。この広い邸を毎日駆け回っているのだ。
邸の中で家事を担うようになってから、風間と接触することが多くなった。風間の身の周りの世話も彼女が行っているのだから、当然だろう。
しかし、なまえは極力風間との接触は避けたかった。いつ、どの拍子で自分の正体が見破られてしまうかわからないからだ。風間は鋭い。故になまえは風間の前では一瞬の隙さえ見せず、常に気を張り詰めていた。
「風間の世話してるんだろ?大変だろ」
「そんなことありません。ただ…」
「ただ?」
言葉を詰まらせたなまえを不審に思って不知火がその先を促す。だが、彼女は眉を顰めるだけで中々口を開かなかった。
なまえは風間の行動で唯一気にかかることがあった。
それは風間の女遊びである。
夜になると女鬼が風間の部屋を出入りしているところを彼女は偶然見かけてしまったのだ。初めの頃は別段気にしていなかった。風間も世継ぎを残さねばならない身。仕方のないことだと黙認しようと思っていた。しかしどうだ。夜な夜な風間の部屋を訪れる女鬼は日によって違うのだ。一体どれだけの女鬼と関係を持っているというのだろうか。まさか里に住まうすべての女鬼なのだろうか。
なまえは風間の手癖の悪さにほとほと呆れていた。
「…風間様は特定の方を決められておられないのですか」
「あ?あぁ…そっちの話か」
「私は別に構いませんが女は怖い生き物です。いつか反感を買いますよ」
そう言って洗濯を再開させたなまえに不知火は目を瞬かせた。いつも控えめな彼女だが、言うことはしっかり言う性分らしい。
不知火はクツクツと喉を震わせて笑いを耐えた。
「…どうして笑っておられるのですか」
「いや…、風間のことをそうやって言う奴はお前と千姫くらいだと思ってよ」
そこでなまえはしまったと身を固くした。千姫ならまだしも、「混血」の女鬼である自分が風間に物を言うなどあってはならないことである。
そっと窺うように不知火を見やると彼はまだ笑いが止まらずに肩を震わせていた。
「忘れてくださいませ…」
「心配すんな、風間には言わねえからよ」
不知火は一笑いしたとでも言うように大きく息を吐くと彼女の肩を叩いた。
そのまま不知火はなまえの洗濯が終わるのを縁側に腰を下ろして待った。せっせと手を止めないで次々と洗濯を干していく姿を黙って見つめていた。
そしてようやく彼女が洗濯を干し終えると労いの言葉をかけ、自分の隣に座るよう促した。
「お前はいなかったのか?好きな奴とか」
「…突然ですね」
「なまえも年頃の女だろ。あんまりお前、自分のこと話さねぇしよ」
不知火の思いがけない問いかけになまえはある一人の男を思い出した。
――それはなまえの夫となるはずだった彼女の幼馴染だった。名は燦という。幼い頃からなまえの傍に寄り添い、守りつづけてきた。
しかしその彼もまたあの悲劇の夜になまえを守るために戦い、その命を散らしたのだ。挙式を執り行う、五日前の死だった。
なまえは今は亡き男を想い、その視線を大空へ向けた。
「…、お慕いしている方がいらっしゃいました」
そう呟くなまえの瞳は微かに揺れていた。
不知火は大空に想いを馳せる彼女の横顔から目を逸らすことができなかった。
「とても素敵な方でした。強くて優しくて。誇り高くいらっしゃいました」
「…そうか」
彼女の口ぶりにもうその男はこの世にいないのだと不知火は理解した。
じっと大空を仰いでいたなまえの瞳が閉じられる。そして開けられた時にはその瞳はいつものに戻っていた。
「お茶をお煎れしますね。しばしお待ちください」
「…おう、悪いな」
なまえは空になった洗濯籠を抱え直すと炊事場に向かおうと足を進めた。しかしすぐに振り返ると僅かに戸惑いの色を隠せないでいる不知火に柔らかな笑みを浮かべた。
「不知火様が気にされることではありません。ご自分を責めないでくださいね」
そう言って再び背を向けたなまえの後ろ姿に不知火は言葉に言い表せない寂寞を覚えた。