交わらないふたり
ある日、夜もすっかり更けた頃、なまえは戸締りの確認のために邸内を徘徊していた。今夜も風間の部屋には女鬼がやって来ている。まったくお盛んなことだ。呆れつつも見て見ぬふりを貫き通すことにしたなまえはわざと風間の部屋は避けて邸内を歩いていた。
そしてどこにも異常がないことを確認し、そろそろ自分も休もうかと一息ついた頃。
激しく玄関の戸を叩く音が邸内に響き渡り、彼女は急いで玄関へ向かった。こんな夜更けに一体誰だろうか。
そう思いながらやかましく音をたて続ける玄関を開けると、そこには一人の女鬼が恐ろしい形相で立っていた。そのあまりの形相にぎょっとして後ずさる。
「ど、どうかなされましたか…」
「風間様は!?風間様を呼んでちょうだい!」
「と、頭領はもうお休みになられています」
今にも飛び掛かりそうな勢いでなまえに詰め寄った女鬼はしきりに風間の居場所を尋ねた。まさか他の女子と一緒だなんて言えたものじゃない。なまえは詰め寄る女鬼を宥めつつ、そう告げた。
「嘘を仰い!あの小娘が来ているんでしょう!?」
叫ぶように言い捨てた女鬼の顔をなまえはようやく思い出した。彼女は風間の部屋をかなりの頻度で訪れている女鬼だ。
もしかして、これはとても面倒な事になるのではないのだろうか。もし今、目の前の彼女が風間の部屋に乗り込みでもしたら…。想像したくもない。とんでもない修羅場になることだろう。
どうにかして彼女を帰らせようと試みるも、如何せん自分は「混血」の女鬼を演じている身だ。彼女に手荒な真似はできない。
「頭領はお一人でお休みになられております。どうかお引き取りを」
「貴方に用はないわ!退いてちょうだい!」
すっかり頭に血が上っている彼女はそうきつく言い捨てると目の前に立ちはだかるなまえを強く弾き飛ばした。咄嗟のことで踏ん張りが聞かずになまえはその場に倒れ込んでしまった。
女鬼は倒れ込んだなまえに見向きもせず、風間の部屋へと走り出した。
なまえは慌てて体勢を立て直して彼女の後を追うが時はすでに遅し。
彼女が風間の部屋に辿り着いた時には、目も当てられないような「修羅場」が繰り広げられていた。
「風間様から離れなさい!」
部屋に乗り込んだ女鬼は自分よりも若い娘にそう叫び散らかすと飛びかかったのだ。
なまえは眼前に広がる修羅場に頬を引きつらせる。最悪の展開だと頭を抱えたいくらいである。
肌を隠すこともせずに飛び掛かってきた女鬼と対峙する娘。その脇で、至極面倒くさそうに眉を顰める風間。すっかり気が失せた彼は部屋の入口に立ち尽くすなまえに気付くと軽く着物を直して、彼女に近寄った。
「どういうことだ」
「…申し訳ございません。お引き取りして頂こうとしたのですが…」
「言い訳は聞かん」
ピシャリとそう言い捨てる風間になまえも更に眉を顰めた。何故自分が責められなくてはいけないのだろうか。確かに女鬼を邸に入れてしまったことに関しては自分自身に非がある。
しかし、だ。
元はと言えば、風間の日頃の行いが招いた事態なのではないのか。
「なんだ。その眼は」
「…いいえ。ただ風間様にも落ち度があったのではと思いまして」
「なんだと?」
「元はと言えば、貴方様が多くの方に手を出されることが原因なのではありませんか」
風間の緋色の瞳となまえの漆黒の瞳が交わる。その瞬間、室内に漂う空気が冷たいものへと変わった。
その冷ややかな空気に女鬼達は肩を震わせた。
「誰に口を聞いているか、わかっているのだろうな」
「混血」の女鬼であるなまえの思いがけない言葉は風間の逆鱗に触れてしまったようである。
怒気を隠さない風間の姿に女鬼達はすっかり震えてしまっていた。しかしその一方で怯む様子の見せないなまえは、部屋の隅で青褪めている彼女等に気が付くとスッと玄関の方を指した
「申し訳ございませんが、今夜はもうお引き取り下さいませ」
なまえの言葉に彼女等は慌てて部屋を飛び出していった。
部屋に残されたのは風間となまえの二人。二人は再び瞳を交わらせると火花を散らせた。
「勝手なことをするな」
「あのままこの部屋にお二人を留めておく必要はございませんでしょう」
「それは貴様が決めることではない」
なんて傲慢な男なのだろうか。なまえは風間のその態度に大きなため息を零した。
――その瞬間だった。強い力で腕を引かれ、彼女はそのまま身体を畳に倒れ込んだ。畳に打ち付けた肩に鈍い痛みが走る。
その痛みを堪え、上を見えるとそこには彼女に馬乗りになった風間の姿があった。
「…お退きください」
声音を低くしてなまえが風間を睨みあげる。しかし彼女の険しい表情とは打って変わって風間は至極愉快そうに口角をもち上げた。
「貴様のせいであいつ等が帰ってしまった」
「…、申し訳ございません」
「謝って許されると思うな」
なまえの手首を押さえつける力が一層強くなる。みしり、と骨が軋む感覚になまえは奥歯を噛みしめた。
この上なく、まずい状況である。風間が企んでいることを理解した彼女は、自分を見下げる男から一瞬たりとも視線を外さなかった。
「ご冗談を。私は混血です」
「混血であろうと女は女だ。この俺に抱いてもらえることを喜ばしく思え」
その風間の言葉になまえは目を見開いた。
――あってはならないことだ。決してこの一線は超えてはいけないものだった。
なまえは手首を押さえつける風間の手を払いのけると、渾身の力で彼の肩を押しのけた。
「…っ、ご無礼をお許しください。おやすみなさいませ」
そのままなまえは風間の顔を見ることなく、部屋を飛び出した。
なまえは自室に辿り着くと襖を強く閉め、その場に泣き崩れた。声を押し殺して、溢れてくる涙を拭う。そして、ぽつりと彼の人の名を零した。
「燦…っ」
なまえはそのまま日が昇るまでずっと涙を流し続けた。