華の金曜日。1週間の疲れを溜めた体を開放するかのように、少しおめかしをしてネオンが光る街に繰り出すのが私の毎週の恒例行事だ。昼間はしがない会社員だけれど、この夜の合間だけはどこか違う自分になれる気がして、自然と足取りが軽くなる。ふんふん、鼻歌でも歌いたい気分だ。高揚して熱を放つ体はそのままに、いつものバーの扉を開けた。

しゃらららん。

扉にぶら下がったベルが乾いた音を鳴らす。これも、いつも通り。さっと店内を見渡せば、いつものようにカウンター席でグラスを傾ける彼の姿が見えた。

「太宰さん!こんばんは」

声をかけると、彼は振り向いてにこりと微笑んだ。相変わらず端正な顔をしている。

「やあ、なまえちゃん。今日は普段より少し遅かったね」
「会議が少し長引いたので。太宰さんも仕事あったんですよね?お疲れ様です」

こうして会話を交わしているとなんだか待ち合わせをしていたカップルのようだと錯覚しそうになるが、太宰さんとは決してそんな間柄ではない。ではなんと呼べばいいのか。オトモダチ?飲み仲間?そんなところだろうか。

きっかけは一人でちびちびとカクテルを飲んでいた私に、太宰さんが声をかけてきたことだった。お互い一人なんだね、どう、お喋りの相手にでも。そんな具合だった気がする。最初はこんな綺麗な人に声をかけられるなんて、と緊張してしまってカチカチになってしまったけれど、太宰さんは話し上手聞き上手ですぐに打ち解けてしまった。年も一つか二つくらいしか違わないはずだ。このままお持ち帰りされてしまうのかなあ、いやいや私なんかがまさか、と思っていたら、案の定会話をするだけでその日は終わった。正直な所ほっとした。だって、一応私にだって彼氏という存在はいるのだし、もしそういう流れになったらどうお断りしようと内心どぎまぎしていたのだ。

それでも太宰さんとなんでもない話をするのはとても楽しくて心が落ち着くものだから、翌週も同じ時間帯に同じバーに赴いてしまった。しゃらららん、ベルが鳴った先には先週と同じように彼が一人で座っていて、やあまた会ったね、なんて柔らかく笑いかけてくれた。以来、約束を交わしているわけでもないのにこうして毎週、太宰さんとはお喋りがてら飲んでいる。

「なまえちゃんはとくに変わりはない?」
「1週間で変化も何もないですよ。太宰さんは?私の生活よりも太宰さんの生活の方がよっぽどおもしろいと思います」
「そんなこと……あ、それなら私の同僚の話でも聞く?理想を求める高徳な人なんだけど、如何せん女性の理想像まで恐ろしいことになっててねえ、思わず笑ってしまったよ」
「え、そんな人がいるものなんですね、」


太宰さんが何のお仕事をしているかは知らない。何かと危険な事件に巻き込まれているのは聞いていて察するが、具体的な職業まで聞いてしまうのはどこか無粋な気がしたからだ。
ほどよく酔いが回って、太宰さんの穏やかな声のトーンが耳に柔らかく馴染む。この感覚がたまらなくて、まるで麻酔のようだと私は思う。間接的な照明に包まれた彼と私が、どこか別の世界に存在するようで、さらに言うなら現実に浮かび上がる夢のようで、私を虜にするのだ。



******



しゃらららん。

いつものようにバーの扉を押す、が、私の心境はいつもと全くもって異なっていた。

「こんばんはなまえちゃん、……って、どうしたの」
「うぅ、だざいさん………」

彼の顔を見ると、ふしゅう、と全身の力が抜けた。

「………ついさっき、彼氏に振られてしまって、」

そうこぼして彼の隣に腰かける。そのままぐちぐちと、お酒を飲みながら話し始めた。

「だってこの前彼の誕生日を祝ったばっかりなんですよ、なのに他に好きな子ができたって。なんでだろうなあ。私、何かしちゃったのかなあ、」

「そう、だったの」

太宰さんの手がぽんぽんと私の背中を軽くたたいてから優しくさすった。いやらしさなんて一欠けらもない、清廉な手つきだった。

「ごめんなさい。今日は私の話に付き合ってくれます?」
「もちろんだよ。あ、マスター、もう一杯」

そう言うと、私の前に並ぶグラス。


「どこまでも付き合ってあげるから。ほら、飲もう?」









いつもよりかなりハイペースで飲んでしまったからか、頭がぼーっとする。それに体が熱い。

「それにしてもひどいものだね。君みたいな可憐な人をいきなり振るなんて」
「………今日は随分と冗談が上手いんですね」
「冗談?私がこんなときに冗談を言うとでも?」

彼は何を言っているんだろう。脳がうまく処理できないのに、口だけが勝手に動いていく。

「………そんなこと言われたら、本気と捉えちゃいますよ、」

すると、彼の細くしなやかな指が私の顎をなぞった。

「いいよ、本気にして」

今まで見たこともないような熱のこもった瞳で見つめられ、さっきまで1ミリも感じなかったはずの色香に眩暈がする。これは酒の酔いなのか、それとも彼の醸し出す雰囲気に酔っているのか、判断すらできない。

「それなら、」

嗚呼また、震える唇が意志とは反して勝手に言葉を紡ぎだす。

「私をさらってよ。何もかも忘れちゃうくらい、めちゃくちゃにして、何も考えられなくさせてよ。お願い、」

涙がぽろぽろと零れ落ちる。彼はまたいつものように微笑んで、私の手を取って囁いた。



「お望みとあらば。――――ほら、どこまでも付き合うって云ったでしょう?」




******




目が覚めると、見慣れないベッドの中にいた。確か昨夜は――――そこまで考えて、一気に記憶がフラッシュバックした。ネオン街を抜けた先の静かで上品な佇まいのホテル、部屋に入り、私のうなじをなぞる彼の手、結わえられた髪がほどかれ白いシーツに広がり、それを惜しむことなく口にし称賛する彼の唇、あとは、あとは駄目。考えるだけで顔から火が出そう。

そこでふと、隣に彼の姿がないことに気付いた。広いダブルベッドは空っぽで、ベッドサイドにメモ書きが残されただけ。気だるい体を起こしてメモを手に取る。


『素敵な夜をありがとう。しばらく忙しくなるから店には行けなくなりそうだけれど、待っていてくれるかい?』


ねえ、この言葉は信じていいものなのかしら。莫迦な私にはわからないけれど、きっと彼を待ちわびてまたバーの扉を叩くのだろうな。そんな気がして、そっと手に握った紙を二つ折りにして、鞄に忍ばせた。





※ツイッターにあげたネタをリメイクしました



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