いつも通り任務を遂行し、ヨコハマの夜景を尻目に帰路につく。大通りは常に人に溢れているものだが、今日はやけにざわめき浮足立っているように感じた。
「……あっつい」
思わず心の声が漏れた。真夏の夜の生ぬるい空気はゼリーのように重くべたべたと体にまとわりついて、そのしつこさに何もかも払いのけたくなる。
「今日はまた一段と蒸し暑いもんな、」
そう言ってぱたぱたと帽子で顔を仰ぐのは、同僚の中原中也だ。今日の任務は彼とのペアだったため、こうして一緒に本部に向かっている。近場の任務だったせいか、今日は彼の愛車の出番はないらしい。おかげで色めきだった街を一般人に紛れて歩くことになった。きらびやかな観覧車のイルミネーションとビルディングから零れる明かりが、むさくるしい空気のかたまりの向こうに霞んで見える。
ていうか、暑いなら帽子被ってくるなよ……。
そう口にしようとした瞬間。どん、と腹に響く音が鳴って、空が一瞬光った。見上げると、夜空に浮かび上がる大輪の花。
「……嗚呼、そういや今日は花火大会だったっけな」
「あ、なるほど。だからこんなにカップルが多いのか」
そう会話している間にも、一発、二発と絶え間なく花火は打ちあがっていく。例年ならば騒がしくなる街中が鬱陶しくて部屋にこもっていたが、いざ本物を見てみるとその美しさに心はいとも簡単に奪われてしまうものだなあ、と柄にもなくしみじみと感じた。ぼーっと空を見上げていると、不意に私の耳に中也の声が飛び込んできた。
「―――そんなに観たいなら、ちょっくら楽しんでから帰るか」
ぐいっ。
彼が言ったことを理解する間もなく、唐突に腕が引かれた。そのままぐいぐいと引っ張ってくる強い力に抵抗なんて出来るはずもなく、されるがまま、道行く人を避けながら早くもなく遅くもないスピードでずんずんと進んでいく。
「えっ、ちょっ!なに、どこ向かってんの、」
すると、中也がちらっと此方を見て口角を上げた。
「イイとこ」
頬が風を切る感覚に、体にのしかかっていた煩わしい空気も全て置いて行けるような気がした。
「ここって……」
辿り着いたのはビルの屋上だった。周りの建物よりも頭一つ上にあるその高さからは、
果てしなく広がる海と、その上に寝そべるシルクのような濃紺の夜空と、それらの合間に浮かび上がる夜景がよく見えた。あのねっとりとした熱気は喧騒と共に地上に置いてきたのだろうか、さっきはあんなに霞んで見えた遠い景色が、今は何故だか鮮明に見える。どっ、どーん、どどーん。次々に打ちあがっていく花火が先程よりもずっと近い距離で私たちの顔を照らした。
「どうせ観るなら近い方が迫力あんだろ」
「そりゃそうだけど!!いきなり重力操作でこんな所連れて来られたらびっくりするから!」
「わざわざ侵入する方が面倒くせえ」
「え、これ不法侵入なの?」
「最初は適当なビル見つけて場所借りようかと思ったが止めた。安心しな、最近マフィア傘下になった企業のビルだよ」
「それなら良かった………ん、いいのか?」
「あーもうさっきからゴチャゴチャ五月蝿えんだよ!大人しく花火でも楽しめ!」
「あでっ、ちょっとデコピンはずるい!!」
中也のデコピンは本当に痛い。ヒリヒリする額を撫でながらもう一度空を見上げた。中盤に差し掛かったのか、ハートやら土星やらのなんとも可愛らしい花火が夜空に浮かんでは消えていく。
「……あのさあ、ちょっと思ったんだけど」
「ァア?何だよ」
「去年くらいに流行った歌で『
「ああ、あれか。それが如何したんだよ」
「いやー、私あれ聴いて思ったんだよね。花火みたいな儚いものの下で恋人たちが永遠を誓うのって、逆説的で実はすごくロマンチックなんじゃないかって。いやまあ夢想だってのはわかってるんだけどさ」
どっ。ぱっ。ハートマークの花火が逆さになって空に打ちあがった。
「………今日は随分と饒舌だな」
中也の一言にハッと我に返る。
「あっ、ごめん忘れて!柄じゃないよね、今のなし!」
「ばーか、忘れるかよ」
「、は?」
瞬間的に、中也の腕がするりと私の腰に回った。途端に近くなる距離に目をしぱしぱさせる。振りほどこうにも、熱を帯びた瞳に捕えられて逃げられない。
「え、なに、どうしたの、」
「折角ずっと好きだった女といいムードになったんだ、ここで何か仕掛けないと男が廃るだろ?」
爆弾発言に頭の中が真っ白になった。ちゅうやが?わたしを?すき?今になって頭にぐわんぐわんと花火の音が耳に轟くようで、その言葉を飲み込んだ途端ばくばくと心臓が暴走し始めた。
「………俺はずっとなまえに恋焦がれてたっていうのに、肝心の手前は色恋にも興味を見せず毎年こんな花火大会の日にも部屋に篭りっきりだしよォ、しかしまさかなまえがそんなにロマンチック思考だったとは知らなかったぜ」
中也の指が私の顎を掬った。夏の熱気も、夜の闇も、全て吸い込んだかのような瞳に見つめられて、全身が発熱しそうだ。中也ごときにこんなにときめいてしまうなんて、私はどうかしているんじゃないか。嗚呼、でも――――どうしてだろう、嫌じゃない。
「嫌だったら拒めよ」
そう呟いたかと思うと、ゆっくり彼の顔が近づいた。3、2、ゆっくりとカウントして目を瞑る。1。温かくて柔らかいそれが、私のくちびるに触れた。離れたかと思うと、また角度を変えて重ね合わされて、まるで貪られるかのように何度も何度もキスをした。どーん、どん、どどーん、どーん。音からして花火はもうクライマックスなのだろう。そんなこともお構いなしに互いの熱を分け合う私たちは、傍から見れば滑稽に見えるのかもしれない。去年一昨年と、花火に浮かれるカップルに私が辟易していたように。
「っ、はあ、長い、から…………」
乱れた呼吸がいじらしくて、思わず呟く。対する中也はやけに余裕そうな顔をして、にやりと笑った。
「でも、こういうの好きなんだろ?」
―――――その問いかけは余りにもずるい。
「………すき、」
「だったら、手前が好きなように『
今度は返事を言う間もなく唇を塞がれる。いつのまにか花火の音は消えていて、人のざわめきだけが遠くに聞こえた。