霖雨蒼生
「駅のホームの“ホーム”って、“家”って意味なのかなぁ?」
黄色い点字ブロックの外側。コンクリートの崖っぷちで線路を覗き込む彼女の疑問はいつだって唐突だ。
至極のんびりと呟かれたそれに応えたのは終電を知らせるアナウンスで、黒い制服を湿らす止みかけの緩い小雨は音も立てない。
「…?」
「や、ごめん。なんとなく思っただけなんだけど」
僻地での任務が終わったのは夜もすっかり更けてからだった。迎えを待とうと思えばしかし遠方までは車を手配できない状況らしく、行けるところまでは公共交通機関で帰って来てくれとのこと。連絡を受けて駅へ急げば、1時間に1本の電車がまさに滑り出したところだった。
終電がまだ残っているのが不幸中の幸いだが、そんな事情で今まさに約1時間の暇を持て余している真っ最中、というわけである。
寂れた駅のホームにふたり、貸し切り状態を満喫していたところに先程の彼女の言葉。
濡れた線路を楽しそうに眺める同い年の彼女は、時折幼いともとれる言動で周囲の人間を一時停止させるのが得意だ。
小学生のような無邪気さと奔放さで疑問を放ったかと思えば、5秒後には黄色い線の内側に戻ってきてベンチに腰掛け、手元の端末を弄っている。
「あ。えーっと、英語のプラットホームの意味、だって」
どうやら検索をかけていたらしく、その結果に「ぜんっぜん家と関係なかった!」とケラケラ笑って解説を読み上げている。
楽しそうでなによりなその様子に可愛らしいとは思いながら、けれど一体どう返答すれば良いものか。先日真希に尋ねたら「好きに喋らせとけよ」と超ドライな答えが返ってきて、何の助けにもならなくて困った。
…結局、晴れて恋人として付き合い始めて1ヶ月が経ったのに、いまいち分からないでいる。
持って生まれた術式ゆえに幼い頃から雑談というものと縁遠かった自分は、昔も今も会話の中に積極的に乗り込んでいくことに抵抗がある。
それでも高専に入って半年と少し、だいぶ口数は増えてきたと自覚している。
そんな自分と対照的に、いつも笑顔を振りまく彼女は他愛ない雑談を楽しむ天才だ。
大抵の人間が素通りするようなことを拾って雑談の種にしては、あっという間に話に花を咲かせてしまう。(ちなみに一昨日は「新幹線ってなんでシートベルトないんだろうね?」だった。)
いつもそうして話を振っては真希にあしらわれパンダに揶揄われ憂太を困らせ、けれどみんな、なんだかんだで最後は彼女の始めた雑談に参加することになるのだ。
「ねぇ、棘はどう思う?」
―――彼女の特筆すべきところは、そこに自分のような人間を巻き込んでなお会話を楽しめる、その能力と精神…だと思う。
こちらが碌な言葉を返せなくともまめに相槌を打って聴き、弾けるように笑い、時に反論し、染み入るように共感する。うまく返せず沈黙が落ちても意に介さない。辛抱強く待ってくれたり、間合いを測って尋ねたりして話を続けていく。
こうして並べ立てるとどれも簡単に見えるけれど、すべて当たり前のようでいて為し難いことだ。コミュニケーションの技術もさることながら、相手の態度や状況にめげずにそれを毎日やってのける、その根性が何より尊敬に値する。
…別に、根性論を語りたいわけではなくて。
生まれ持ったもののせいとはいえ、自分はその努力を放棄したことがあるから、なおさら―――。
会話の中で彼女の細かな配慮を見つけるたびに申し訳ない気持ちになって、けれど同時に耐えがたいほどの妬ましさを感じる瞬間がある。
彼女のように明るく誰とでも仲良くできて、その上会話の中心になれる存在には、思うまま喋ることができない自分の辛苦など到底理解できないだろう、と。
そう卑屈になる自分の内側が、どす黒くねばついた感情で覆いつくされて―――
「棘?」
やわく手を握られる感触。
きゅ、と控えめに手を包んできた彼女に隣から顔を覗き込まれて、おずおずとした視線が結ばれる。
「元気ない…?」
「お、かか。…こんぶ」
「そう?ならいいけど…」
「しゃけ」
「ん。棘の考えてること、いっぱい教えてね」
『あたし、棘と話すの大好きだから―――』
付き合うことになったとき、尋ねたことがある。
語彙を絞った自分と付き合うのはきっと不自由なことがたくさん出てくるだろう。それでもいいのか、と。
きっと普通の人と付き合うよりもつまらないだろうと思ったし、気を遣わせるから。
その質問に彼女は一拍、きょとんとした顔で間をおいて、それから何でもないことのように言った。
『だって棘、表に出さないだけでいーっぱい色んなこと考えてるんだもん』
“何考えてるか分からない” そう言われ続けてきた自分にとって、こんな風に言い切られたのは初めてで。
『なんとなくだけど、わかるよ。
口に出せる言葉は限られてるけど、それでも伝えることひとつずつ選んで…
表情とか目とか…あと声のトーンも、間の取り方も。全部にそれが出てるから。
…気づかない人もいるかもしれないけど。
でも、ちゃんと見れば、わかるよ』
ああ、そうだった。
行き場のない嫉妬や劣等感に支配されそうになってもみんなと関わるのを辞めずにいられるのは、あの時の彼女の言葉があるからだ。
そのすぐ後、『なんか“わかるわかる”って、勝手に理解者面してるみたい…!ごめんね、そんなつもりはなくって…』と慌てて弁解しながら恥ずかしそうに顔を伏せた彼女に、いつにも増して言葉が出なかったのを覚えている。それなのに、喉のつかえは不思議となくなったのも。
―――まるで、分厚く積もった積年の埃が、雨に洗い流されたような。
あ、という声が聞こえて横を向く。
「雨!止んだよ!」
見上げれば、雲が切れたところから明るい星がちらほらと顔を出していた。その瞬きたちの手前、架線に付いた水滴が光を反射しているのを見つけて、彼女の瞳の光を想起させる。
きらきらと楽しそうに揺れ動く輝きを夜空に向ける彼女の横顔は、今の自分には少し眩しい。
「ねぇ、雨上がりってちょっと空気がおいしい感じしない?」
わくわくした目を隠そうともせず見つめてくる彼女に微かに笑ってから思考を巡らせる。
思うに、それは雨が埃を洗い流してくれるからなのだ。
―――例えばそう、彼女が自分にしてくれたのと同じように。
…まぁ、こんな気障ったらしいことを口に出す勇気は正直まだなかったりする。
さて、なんて返そうかと思案して、まずは繋がれたままだった手を少しだけ強く握り返した。
ワンライ第50回(最終回)参加作品
お題:ホーム/雨上がり/真夜中は私たちの楽園として
#juju版深夜の真剣夢書き60分一本勝負