瞳に恋

※1年生の夏、付き合う前




ぶちん

呪霊を祓ったわけでもないのに、何かが千切れたような、弾けたような音が聞こえて思わず顔を上げた。
視線の先、グラウンドでは真希と華鈴が組手の練習をしている。

「ちょっ、真希!はぁ、ハァ…待って…タイム!!……っあ!?」
「おいおい、呪霊はそんなことで待ってくんねーぞ、…ッと」
「がっ…ぁ!」

ずざざざ、と砂埃を巻き上げながら転がったのは華鈴だった。
見るからに痛そうなその様子に、少し離れた木陰で休憩していた棘は思わず駆け寄った。
遅れて従う乙骨。更に後ろから、揶揄い混じりのパンダの声が飛んでくる。

「おー華鈴。最近上達したと思ったらなんだよ、久しぶりにぶっ飛ばされてんじゃん」
「しゃけ…」
「花織さん、大丈夫?」

げほげほと咳き込みながら起き上がった彼女は、久しぶりにモロに食らった…、と真希を睨めつけながら肩で息をしている。
涙目の尖った視線も物ともせず、いつもの放り投げるような口振りで真希が言う。

「怪我はねーんだろ」
「それはないけど…」
「ならいいじゃねぇか。つーか、余所見するやつが悪いだろ」
「だからタイムってお願いしたのに!!ひどい!!!」
「あ?うるせーよ。戦闘にタイムもクソもねぇだろーが」

女子2人が言い争ってじゃれているのを見て、ひとまず大きな怪我がないことに安堵する。――まぁ、こんなことで怪我をするような身体では、到底呪術師など務まらないのだが――こればかりは仕方ない。
華鈴のことを意識するようになってから早数か月。今やどんな些細なことでも気になってしまうし、心配になってしまう。
とはいえ、今すぐ告白するのかと言われると正直まだ決心はついていないし、同期としてそこそこ仲良くなれたとはいえ、学生生活はまだ長い。
傍にいられるならば、これからゆっくり近づければいい…。そんな中途半端な状態だった。
自身の立ち位置を振り返りながら、戯れる華鈴たちをぼんやりと眺める。

…そういえば、真希の言う 余所見 とは一体なんだったのか?
パンダの言った通り、入学当初こそ戦闘がからっきしだった華鈴も、今では危なげなく任務をこなせるほどになっている。
真希の蹴りを正面から食らうほどの余所見なんて普段真面目に訓練に取り組む彼女らしくない。
不思議に思って、再度華鈴に視線を向ける。

あ、と棘は気づいた。

「高菜。すじこ?」
「ん?…あー、そうそう。真希の拳が掠った時にヘアゴムが切れちゃって…」
「しゃけしゃけ。めんたいこ?」
「うん。耳元ですごい音がして、髪が!って気を取られたら真希にやられちゃった」
「こんぶ…」

てへへ、と恥ずかしそうに笑う彼女。
耳の下あたりで2つに括っていたその髪は、片方だけが解けて背中に流れてしまっている。
なるほど、ようやく合点がいった。
一方、呪術師としては「余所見する方が悪い」という真希の言い分も理解できるので、棘としては 災難だったね、と苦笑を返すほかなかった。


「…ふぅー…」
「一旦こっちで休憩するか?ていうか、予備のヘアゴムあんのか?」

落ち着いた華鈴が大きく息を吐くと、それを落ち込んでしまった と判断したのか、パンダが手招きしながら尋ねる。
……こういう時に自分も、パンダのように自然な気遣いができれば…なんて、一瞬、らしくない弱気な思考が脳裏をよぎった。
と同時に、華鈴が休憩するなら自分ももう少し休もうか、などと邪な考えに身を沈めていると、彼女が俄に無事だった髪を解いた。

しゅるり、

…そこからの光景は、棘の目には やけにゆっくりと映った。

華鈴が大きくかぶりを振る。背に流れた髪がさらさらと揺れる。
長いそれを手櫛でまとめ上げながら、ゆっくりと瞼を降ろす。


――次に見えた彼女の瞳は、まるで宝石だった。


「いや、このまま行く…!」

気づけば、そう叫んだ彼女が真希のもとへ駆けていくところだった。
解かれていた髪は綺麗なポニーテールに結び直されている。

どきん、と。比喩でなく、自分の心臓が音をたてたのが分かった。
指先が熱くなって、どくどくと速い血液の流れを感じる。
颯爽と駆けていく後ろ姿から目が離せない。
彼女が振り返る。

「悔しいから見てて!!…次は真希から一本取るから!!」
「…ッっ!!」
「おう!思いっきり殴ってこい!」
「うん、頑張って!…でも怪我には気を付けてね!」

威勢のいい宣言に何も返せなかった。それほど動揺していた。
戦闘と鍛錬の時以外いつも華鈴は髪を下ろしていて、綺麗な髪だな、となんとなしに思っていた。
すこし高めのよく通る声も、袖から覗く白い肌も、快活な笑顔も、可愛いなと思っていた。
今日だってすべて見慣れた彼女で、いつもと変わらないはずなのに。


初夏の眩しい日差しを受けて、亜麻色の長い髪が揺れて、光を反射する。
たったそれだけでいつもより何倍も綺麗に見えて、自分の視覚がよくわからなくなる。

――それから、あの瞳。
あれを見てしまってから、彼女のすべてがきらきらと輝いて見えるのだ。
まっすぐに前を見据えて、倒されたばかりなのに楽しそうに真希を捉えて。

入学当時、術式こそ使えたものの戦闘がからきしだった彼女は、たった数ヶ月で体術をものにした。
その成長の速さに誰もが驚いて、彼女の並々ならぬ努力を認めたものだ。もちろん、棘自身も。

それを思い出したとき、散らかっていた感情がすとんと腑に落ちた。


ああ、好きだ。


好き、という感情が一体何なのか、恋愛に不慣れな棘にはよく分からない。
けれど、何度倒れてもその度また挑戦して、前向きにどんなことも吸収してあっという間に成長する。
そんな彼女自身の在り方を、あのきらきらとした真っすぐな瞳に見い出してしまった。
それが愛しさや尊敬、憧れ、守りたいという気持ち、ずっと見ていたい、自分のものにしてしまいたい …様々な気持ちが混ざり合ったうえで、すべてを含んで「彼女を好き」という感情であることに、自分は一片の余地なく納得している。

――もう、気になるだけでは済まなくなってしまった。


「見惚れてんなよ、棘」
「お、っ……か、か…」
「狗巻君、心臓撃ち抜かれました、って顔してる」
「あーあ、本格的に惚れちまったな」

ハハッと笑う乙骨とパンダは随分と楽しそうで。
いつもなら口をついて出る反論も上手く出てこないが、それでもいいかと思えるほどに、不思議と心は軽かった。


「あとで真希にチクってやろーっと」
「おかかっ!!」





棘の気持ちが”気になる”→”好き”に変わった日の話。