※1年生終盤。
「やっほー、華鈴」
「…ぁ、おかえり先生」
出張から戻って覗いた1年生の教室。そこには花織華鈴がぽつんと座っているだけだった。
それも当然のこと、今日はパンダと真希、棘は任務で、憂太は海外赴任の準備に出払っている。
机上には課題のプリント。しかしペンを持つ手は止まっている。頬杖をついた彼女はぼんやりと窓の外を眺めていた。
五条の声に振り返った彼女の表情は、外の陽気と同じく穏やかでありながらどこか憂鬱そうで。
原因が気になったけれど、きっとストレートに尋ねても彼女は遠慮してしまうだろうから、いつも通りを装って隣の机に腰掛けた。
少しだけ開けられた窓から風が入り込んで、カーテンを揺らす。
ひと月前ならもう日没の時間だが、だいぶ日が伸びたようだ。
「すっかり春だねぇ」
「そーですね」
「今日は外で日向ぼっこした?」
「んーん、してない。今日は棘いなかったし」
ふたりして揺れるカーテンを眺める。
いつもより口数が少ない五条に気が緩んだのか、華鈴の口からぽろりと言葉がこぼれた。
「先生はさぁ、大人じゃん」
「うん?」
「大人になって、変わった?」
「変わるって?」
「学生のときみたいにはきっといかないじゃん」
「…そうだね」
「来月から恵くんが正式に入学するでしょ?後輩ってやっぱ可愛いし。同期のみんなは相変わらず優しくて、面白くて、ほんとにいいひとたちで」
脳裏に彼らを思い浮かべているのだろう。思い出すように微笑みながら語る彼女は、そこで一度言葉を切った。
「だからさ、時々…ほんとにたまにだけど、思うんだよね。大人になって、一人前の呪術師として先生達が苦労してるものを自分達も相手にするようになって。
…それでも今みたいに、みんなでゆっくり話しながらご飯食べたり、馬鹿なことして笑ったり、買い物とかデートとか、そういう…… そういうの、同じようにできるのかなって」
「…」
「ぁ、っと…別に、不安とかじゃないんだけど、…ほんとに、ただ漠然と思っちゃうっていうか。毎日忙しいし、命懸けて戦ってるし、大変だけど……」
でもすごい、楽しいからさ――
(…っッ)
悟られぬように息を呑む。
どう答えたら良いのか、どんな言葉が彼女のためになるのか、すぐには解が出ない。
思い出すのは自らの青い過去。
様々な出来事があった。得た存在も、失った存在も、数えきれないし重さを量ることもできない。
誰しもが無傷ではいられない。それが呪術師であるということだ。
けれど、それが今どんなに痛む傷口であろうとも、あの日々を楽しいと思ったことは紛れもない事実だった。
同じ道を、今度は彼らが辿る。
今やそれを見守り、見届ける側になった自分は、果たして彼らに何が言えるだろうか。
少しの間。華鈴は沈黙を守っている。
「うーん、そうだねぇ。……全く同じように、とは、いかないかもしれない。それこそ僕達は毎日が命懸けだし、いつ誰が欠けてしまうかわからない」
「…ん。わかってる…」
「うん、哀しい事実だけどね。……でも僕は、そうやって悩んでる華鈴なら、大丈夫なんじゃないかなって思うよ」
「え…?」
「なーんにも悩んだり苦しんだりしないで…というより、そうやって悩む自分を押し殺して、頑張ってひたすら真っ直ぐ進んじゃうとさ…ある時急に、パキッて折れちゃったりするんだよね」
「急、に…」
目隠しの内側、伏せていた視線を上げた。
ひとつゆっくりと呼吸をして、今は空いた机を眺めながら続ける。
「…真希はさ、ストイックだけどすごく仲間想いだし、パンダは誰にでも面倒見いいし。棘はほら、君が一番知ってると思うけど、心が優しい子だろ?」
「うん…」
「だからさ、そういうヤツらなんだから、華鈴がきっかけを与えて引っ張ってあげたらいいじゃない。華鈴がひとこと、一緒にご飯食べよ って呼んだら、きっとどこにいったって全員すぐ飛んで来るよ」
彼女から連絡を受けた彼らがどんな反応をしてどう動くかなんて、担任として見てきた五条には息をするほど簡単に想像出来る。
それに、と続けた。
「いま君はこうやって、自分の中のもやもやしたものをスルーせずにぐるぐる悩んでるだろ?少なくとも僕が帰ってきた気配に気づかないくらいにはさ。
…そうやって、今考えてることとか気持ちとか、自分の内面を受け止めて向き合う素直さが、華鈴のいいところだと僕は思うよ」
目隠しを上げて「ね?」と笑いかける。
思わぬ形で自分のことに言及されて面食らったのだろう。見開かれた目が左右にうろついて揺れた。
「!!…そ、かな…」
「あれ?なんだよ照れてるの〜?このGLGが嘘ついたことなんてないでしょ〜信じなさいって」
「照れてないしっ!!ていうかそれむしろ全然信用ないし! ……まぁけど…今回はちょっと信じてみてもいいかも、ね…」
「あははは、ツンデレだなぁもう」
「うるさいです。先生に対する素直さはないですから」
そんなことを言っておきながら、彼女は1年生のなかで五条のことを誰よりも“先生”として慕ってくれるのだ。
「…ま、ちゃんと悩める華鈴なら大丈夫だよってことさ」
「最強のお墨付きは心強いかもしんない」
「うん。それにほら!未来の旦那様がいるんだから安心しなって!」
「ちょ、…!先生に改まってからかわれると恥ずかしいんだけど!!」
「えー、いつもみんなといるとき散々言われてるじゃん」
「みんなはいいけど先生が言うと面倒くささが段違いだからだめなの!」
「なにそれひどい」
くだらない掛け合いが始まると、彼女の笑顔も普段通りに戻っていく。
もう大丈夫そうだと判断し、伸びをして立ち上がった。
「じゃあそろそろ僕は戻るよ。まだ報告書が山ほど残ってるんだ」
「相変わらず書類仕事溜め込みすぎじゃん…伊地知さんにちゃんと謝ってね」
「えー、だって面倒くさいんだもん」
「もん、って…」
呆れた視線を背中で受け止めつつ、じゃあね〜とひらひら手を振って出入口へ向かう。
扉に手をかけたとき、背中から声がかかった。
「先生!」
「ん?」
「っと、その………五条先生が先生で、よかったです。先生のおかげでここに入れて、呪術師になれたこと…感謝してます、本当に」
瞬間、胸が詰まって、喉が熱くなる。
――ああ、教師になってよかった、と。
咄嗟に茶化そうとして思い留まる。…素直な言葉には、素直に返すのが誠意だと思ったから。
「僕も…華鈴たちみたいな生徒を持てて幸せだよ」
今度こそじゃあね、と手を振って扉を閉めた。
一拍置いて中から「やっぱ言わなきゃ良かった…!」なんて声が聞こえて、声を殺して笑ってしまった。
「だってさ、棘」
「…」
視線の斜め下、廊下の壁に背を預け座り込んでいる生徒に声をかける。
あからさまに顔を顰められたが、構わず隣にしゃがみこむ。
「聞いてたんでしょ?」
「…しゃけ」
「任務から帰ってきたけど真面目な話してたから入りづらかったんだ?」
「お、かか………こんぶ。すじこ」
「べつに、棘や真希たちが頼りないとか、信用がないとか、そういうことじゃないと思うよ。単に僕が大人だから聞いただけさ」
「…高菜」
「お礼を言われることじゃないよ。あとひと月もしないで担任じゃなくなっちゃうけど、僕はいつだって君達の先生だからね」
些か不服そうな顔をしながらも、こくり、棘が頷く。
珍しく素直だが、華鈴が絡んだことだからだろう。
それが透けて見えて、彼女の素直さに絆されるのは自分だけではないのだと思う。
銀色の頭に手を乗せて、わしゃわしゃと撫でる。
「棘。華鈴のこと、これからも頼んだよ」
「しゃけっ。ツナマヨ」
言われなくとも。
そう言って照れくさそうに手を払う仕草が微笑ましい。
願わくば、彼らがこの先ひとりも欠けることなく、ともに未来を歩いていけるよう――
――否、自分と彼らの手で、その未来を切り拓けばいい。
彼らが自分と並び立つ日が、今から楽しみでならなかった。
inspired by 中庭の少女たち/SHISHAMO