安直な嘘はやめましょう。

※付き合ってる。同級生。
※謎時空。2、3年生とかに進級してからの4月って考えたら自然かも…。





朝から窓を開けていても部屋が暖かい。
舞い込む風と柔らかい日差しが気持ち良くて、まだ昼前なのに居眠りしてしまいそうだ。

黒板にでかでかと書かれた「自習♡」の文字は言わずもがな五条先生の作である。相変わらず職務放棄を疑いたくなる雑な指示だ。気づきたくなかったが、ハートマークがやけに丁寧に描かれているように見えるのは気のせいだと思うことにする。

4つある机は2つが空席。野薔薇と悠仁は朝から出張任務だ。遠方らしく、帰りは明日の昼らしい。たしか九州とか言っていた。
いいなぁ、九州。後で買ってきてほしいお菓子を連絡しておこう。
そんなことを考えながら、残りの1席に座る同期…伏黒恵に目をやる。
きちんと開かれた問題集に向かい合う姿は、どこかの不真面目な私とは大違いだ。

無機質な文字に落とされた視線。
伏し目になっているから余計に長く見える濃い睫毛。
肌は白く滑らかで、細く通った鼻筋のラインと相まって彫刻のよう。
どこからみても完璧に美しい隣席の同期に、今更ながらこの人が自分の彼氏とか信じられないなー、などと考える。信じられなくても事実付き合っているのでただ不毛な思考なのだが。

眠気のせいか、だらだらとした雑念が止まらない。机に突っ伏しながら無意味な観察を続けてしまう。
ノートの上をさらさらと動くペン。それを握る長い指。
男性にしては細い方だが、全体的に筋張っていて節の凹凸がはっきりしているところが自分の手とは違うなあと思う。観察日記でも書こうか。
4月1日木曜日、11時25分。天気は晴れ… そこまで想像したところではたと気づく。今日エイプリルフールじゃん、と。

気づいたからには隣の真面目男に何か嘘をついてやらないと気が済まなくなってしまった。自習…?そんなものは知らない。

「何か用か」

どんな嘘がいいかと頭をめぐらせていたところに声が降ってきて、だらだらの思考を切り上げる。
こちらに声をかけたわりにペンの速度も視線の先も変わっていなくて、事務的な言葉も含め、彼女に向ける態度としてどうなんだと非難めいたことを思う。…さぼっている私が悪いのは重々承知の上だけれど。

「んーん、なにも?」
「…なんか言いたいことがあるんじゃねーのか」
「あー…」

…これはちょうどいいタイミングなのではなかろうか?
嘘をつくと決めたものの、ずっと沈黙が続いていたところだ。乗っかってしまおうと決めて、視界に入ったもので適当に言葉を繋げていく。

「まぁ、なんていうか…ちょっと言いづらいんだけど…」
「…なんだよ」
「実は恵の手、あんまり好きじゃないというか、苦手というか…」
「は?…手?」

突拍子もないことで驚いたのだろう。一瞬ぽかんとしてから、ようやっと視線がこちらを向いた。あ、意味わかんねぇって顔してる。

「恵の手ってさ、男の人の手なのに細いし肌も白いし、なんか女の子みたいっていうか、ちょっと頼りないっていうか」

無言無表情で聞かれているのが若干怖くもありつつ、少しくらい動揺させてみたくてそのまま続ける。

「その割に握力とか普通にあるからたまに手とか腕とか握られる時痛いし。頭撫でてくるけどすぐ髪ぐしゃぐしゃにするし。」
「…」
「私個人的には、もっと手のひら厚くてごつごつした感じ…あ、悠仁の手とか結構いいよね。東堂先輩の手も好きかもなー。
…っていうことを考えてたの」

言い切って、突っ伏していた身体を起こす。
どんな反応をされるか分からないけれど、少しでもショックを受けたり嫉妬したりしてくれたら、さっきの素っ気ない態度の仕返しになるのに、なんて思っていた。

「…お前、それ本気で嘘つく気ないだろ」

そんな言葉とともに見えたのは、呆れたように眉を落としてため息をつく姿。
――冷めた態度とは裏腹に、その瞳がどきっとするくらい優しく笑っていて。

「な、…に。なんで…」
「普段のお前見てたら嘘だってすぐ分かる」
「普段ってなによ…」
「手繋ぐと嬉しそうにする」
「は、…」

思わぬ指摘をされてぽかんとしてしまった。…今の私、多分さっきの恵と同じ顔してる。
こちらの反応を楽しむわけでもなく、恵は淡々と続ける。

「頭撫でられると髪ぐしゃぐしゃになるって言いながら楽しそうだし」
「な、」
「鍛錬中に影絵作る手よく見てるし」
「ちょ」
「俺が読書してる時とか、暇さえあれば手じっと見たり触っ」
「!!…すすス、ストップ!」
「なんだよ」

頭がパンクしそうだった。なんで?どうして彼がそんなこと知っている?
それ以前に嘘が全く機能しなかったのだがそれは最早どうでもいい。

「私そんなことしてない…!」
「は…まさか自覚ないのか…?」
「う、そだ…」

そんな自覚はない。恵の言っていることは私の嘘に対するカウンターで、私の動揺する姿を見て楽しんでいるのかもしれない。
でも今までの付き合いで学んできたのは、この顔は本当に驚いている時の顔だということだ。

一旦落ち着いて考え直そうと思い、軽く息を吸う。
そりゃあ、いつもクールで冷めた態度の恵がデートの時は手を繋いでくれたり、部屋で二人きりの時に頭を撫でてくれたりするのは当然嬉しい。でもそれは滅多にないことだから嬉しいのであって、例えて言えばソシャゲのガチャでSSRを引いた時みたいな… つまり、その、されること自体に喜んでいるんじゃなく、貴重な恵を見れるから――

「お前、俺の手好きだろ」
「そ!?…んな、こと…」

ない ――と続くはずの言葉が喉の途中で消える。
…おかしい。否定できない。確かに、先程の発言ほど酷いことは思っていないけれど、だからといって自分は手フェチでも指フェチでもないはずだ。
というか、この男は普段シャイなくせにどうしてそんな一歩間違えれば不遜な台詞を赤面せずに言えるのか。
散らかった思考がぐるぐると頭を回ってショート寸前だった時、カタン、と音がして長い腕がこちらへ伸びてきた。

恵の視線から私の顔を隠していた髪を、長い指が優しく耳にかける。
そのまま頬を包んできた手のひらにすり寄れば、親指で目元をそっとなぞられた。

はた、と気づく。あれ?いま私…。

「ほら、やっぱ好きじゃねぇか」
「〜〜ッッ!!」

カッと頬に朱がのぼるのが分かる。
完全に無意識だった。そっと触れる少し体温の低い手のひらが、気持ちよくて、とても安心して――。

――この手が、好き、だなんて。


ぷは、と小さく噴き出す声が聞こえる。思わず、といった笑い方。

「なんだ、今気づいたのか」

くしゃりとした笑顔に心臓が甘く締め付けられる。…なんでそんなに優しく笑うの。
恥ずかしくて顔を背けたいのに、添えられただけの手がそれを許してくれない。
もう一方の手で頬杖を突きながら、こちらを見つめる恵は意地悪く笑った。

「女の子みたいで頼りない…だったか?」
「ぅ、えっと…」
「虎杖と東堂先輩の手の方が好きかも、なんだよな?」
「いや、そのぉ…」

まずい。これは怒っている。本気でキレているわけではないけれど、だからこそ意地悪さに拍車がかかるタイプの怒り方だ。
なにか言い訳をしようとしても、たった今図星以上の指摘をされたところである。何も言いようがない上に、言葉は声帯のあたりで絡まって上手く出て来てくれない。

「燈佳」

名前を呼ばれて、ふ、と影が差す。
恵が腰を上げてこちらに乗り出していた。
するりと顎の下を撫でていく指に反応を返す間もなく、その整った顔が耳元に寄せられる。

「お前、今夜覚悟しとけよ」

吹き込まれた低い声にぞくりと背筋が粟立つ。
駄目押しのように耳の後ろを撫でていった指先にまた胸が軋んだ音をたてた。

心臓に悪すぎる発言を残した男は固まった私のことなんて気にする素振りも見せず、「午後から任務だから、行ってくる」なんて、いつも通りすぎるトーンで告げて教室を出ていった。


無意識に止まっていた息を吐きだし、まだ落ち着かない心臓の音を聞きながらなんとなしに黒板に目を向けた。
――ハートマークがやけに丁寧に描かれているように見えるのは、本当に、気のせいだと信じたい。

「今夜って…。もう午後何も考えられないじゃん、ばか恵」



彼女の気持ちは疑ってないけど、嘘でも頼りないと言われて他の男の名前まで出されちゃったからちょっと妬いてしまって、折角なら男らしいところを思い知らせたい伏黒くんの話。
2021.04.01 April Fools' Day