24、待てるようになる


「あれなーに?」

「あれはトンボと言うのですよ」

「とん・・・ぅお?」

「ええ。自分の名前の由来になった生き物です」


足元の主に聞こえるように、少し下を向いて告げる。
一生懸命上を見上げて、秋空に目を凝らす主の姿に頬が緩む。
己は幸せ者だ。こんな愛らしい主の元で力を振えるなど。
・・・些かも不安がないかと言われれば嘘にはなるが、他の刀剣男士たちの目を見ればわかる。
この本丸に、綻びはない。
それが主のこの純粋さと愛らしさから成っていると思うと少し苦笑も出るが、事実纏まっている彼らを見れば一笑に伏すこともできない。
団結する形はそれぞれか、と深く頷けば、本丸の方から一つの足音が近付いてきて振り返った。


「あれーべに。今日は何してるの?」

「!きぃみちゅ!あえねー、とんおっていうの!」

「トンボ?あー、もうそんな時期かあ」


最近涼しくなってきたもんね、と風になびく髪を抑えるのは、この本丸の大黒柱。
主に代わって本丸の一切を仕切っているというが、それに否やを言う者はいない。
その理由は、彼の出す指示がほぼすべてを物語っているのだろう。

“無理は禁物。軽傷イコール即撤退”

戦う際の心得として、最も初めに教えられた言葉。
あまりにも甘い。以前、主の力が安定せず、治療が困難だった時代に遵守していたらしいが、今はそうとは見られない。
自分が顕現されたときの、安定した霊力を体感しているからこそ、その説明を受けた時少し首を傾げてしまったものだ。
「だが今は、」と口を開きかけた自分を律したのは、資源のために死ねと言われるよりはマシかと思ったから。
甘いからこそ。戦場に出るまでの徹底した手合わせ・演練での実戦訓練は決して甘くはないのだし。


「ねーべに知ってる?トンボはこーやって指を立ててじっとしてると、休むために留まりにきてくれるらしいよ」

「みたい!」

「できるかなー。ま、やってみよっか」


・・・こうして主と穏やかに話している姿を見ると、演練の時に見せる猛々しい姿とは中々結びつかないものだが・・・
それも、主を守るための彼の矜持なのだろう。
片手を頭上に掲げて制止する加州の邪魔にならないよう、自分も息を殺してトンボを待つ。
先ほどから周りを何匹かが飛び回っているし、無理な話ではないのだろうが・・・


「・・・まだ?」

「んー・・・やっぱりそんな簡単な話じゃないのかなぁ」


自分たちに倣って息をひそめていた主がしびれを切らして不満を漏らす。
幼子ながらによく耐えたと思ったが、トンボの警戒心にはかなわなかったようだ。
すい、と目の前を通り過ぎていく赤い姿に慌てて小さな手を伸ばしたようだったが、速さで彼らに敵うはずもなく。
むぅ、と不満げに頬を膨らましているのがわかって、思わず小さく笑いが零れた。


「・・・トンボは高い棒に留まるのだろう。蜻蛉切が手を上げてみたらどうだ」

「・・・自分が?ですが・・・」


不意に背後から掛けられた声に、誰だろうと思いながら振り返る。
自分はまだここに来て日が浅い。男士の誰かが声をかけてきたとしても、それが誰か、姿を見てもわかることは少ない。
だが、振り返ってみて、思わず続く言葉を忘れるくらいには、その姿は予想外だった。


「あー。べにがやってもいいけど、じっとしてるのは難しいだろうしね。あ、それか俺がべにを肩車して、蜻蛉切と二人体制でいってみる?」

「べにもやる!」

「言うと思った。ほら、おいで」


自分をよそに話を進めて、「う。久々・・・べに、重くなったなぁ・・・!」と驚いている加州。
だが、自分の視線の先にあるものから、目を逸らせなかった。
縁側にちょこんと置物のように座る、あれは・・・狐?
だが、鳴狐殿のお供の狐殿とは違う。美しい隈取と丸みを帯びた姿形は、どこか愛玩を望まれているようにすら感じられる。
あれは何者か、と首を捻っていると、べに殿を乗せる位置を落ち着けた加州殿がふいとこちらを見上げて、その視線の先を見、その意図に気付いたらしく、「あ、そっか」と声を上げた。


「蜻蛉切は会うの初めてだっけ。あいつは紺野。政府の役人で、いろいろと俺たちの面倒見てくれてる人だよ」


狐なのは“こんのすけ”っていう通信用の道具を使ってるからだねー。
手慣れたように説明されても、「はぁ・・・」としか答えられない。
それは狐の中身が人間だと知ったからか・・・いや、政府の者だと、知ったからか。
こちらに近付くでもなく、じっと微動だにしない狐・・・紺野殿としばし見つめあっていると、紺野殿の首がコテリと横に傾いた。


「・・・どうした。試さないのか」

「あ、いや、そう、ですな」


張り切って人差し指を空に伸ばしているべに殿に倣って手を掲げ―――ようとして、ふと、手が止まった。
一瞬、脳裏を過った景色に。
息を、飲んでしまった。


「蜻蛉切?」

「・・・ぁ、いえ・・・」


“蜻蛉切”。
そう、その名前の由来は。


「・・・お前は今、人の身だ。空手を差し出したところで、何も切れん」

「・・・・・・・・・え?」

「・・・あぁ、そっか。だいじょーぶだいじょーぶ、今の蜻蛉切に留まっても、トンボは死なないよ」

「・・・っ・・・」


まるで、心を読まれたかのような錯覚。
そんなに、自分はわかりやすく顔に出していたのだろうか?
少し恥ずかしくなって顔を伏せれば、腹の前で中途半端な形を作って止まっている、自分の手が目に入った。
太く、丸みを帯びていて。“爪”や“関節”といった、切れ味とは無縁のごつごつとしたそれ。
当然、こんなものが触れた程度で、何かが切れるとも思えず。


「珍しいねー紺野が俺らのことちゃんと知ってるなんて」

「・・・たまたまだ」


気安い会話に、視線を再び紺野殿へと戻す。
ゆらりと揺れる暖かそうな尾は、その機嫌を示しているのか。
感情の見えない声とは裏腹に、醸し出す雰囲気は穏やかで、肩の力を抜いていることがわかって。


「・・・そうか。彼が」


本丸を支える、二柱。
未熟な主を育て、見守る―――親、のような。


「とんおぃりー、とんお、ないない?」

「あ、申し訳ありません。・・・では、自分も試してみましょう」


不満そうな主の声に背中を押されるように、腕を高く、掲げて。
指先を天へと向け。


「・・・あ・・・っ!」

「おぉ・・・!」


すい、と音もなく吸い付くように留まった赤に、息を飲むのと同時に何故か、無性に泣きたくなった。


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