25、言いくるめに弱い


今日みたいな日は、空を見上げて夜を楽しんでいた。
直視できなくなるくらいにまばゆく光る月が、見上げてくれと言わんばかりに存在を主張して、そのついでに酒器を傾ける。
想像するだけで唾液がじわりと出てきそうなのを、眉間にしわを寄せてやり過ごした。


「そんな顔では月が隠れてしまうぞ」

「・・・アンタは・・・あぁ、そういえば今日、新しく入ったって言ってたっけね」


音もたてずに近付いてきた気配に、一瞬警戒してしまった自分に気付いて肩の力を抜く。
暗がりに溶ける黒と、添えるような赤。
この本丸に新しく迎え入れられた彼―――小烏丸は、色や柄で着飾る自分とは逆に、シンプルに、美しい刀剣だった。
暗い表情をしていたからとはいえ、話しかけてもらえたことが単純に嬉しくて―――けれど、片手に提げられた見慣れた形に、また肩に力が入るのを感じた。
小さな機微は伝わらなかったのか、ふわりと隣に腰かける小烏丸から差し出された御猪口を受け取らないわけにもいかず。当然注がれる酒を鼻孔に感じて、思わず喉の奥で唸ってしまった。
もちろん、この静かな夜闇の中で、隣のそれが聞こえないはずもなく。


「・・・?お主は酒を飲める口だと思ったが?」

「いやぁ・・・、前にこっぴどく叱られちゃってねぇ・・・それ以来、どうにも」


それに今日は夜番だから、と後ろにあるべにの寝室に顎をしゃくる。
べにがすんなりと寝てくれたから月見に出てみたはいいけれど、やっぱり、お供がないと手持無沙汰になってしまう。

“赤子にアルコールは毒でしかない”。

一期一振に諭され、脅され。懸念した通りに次の日も自分のところに来たべにに慄いて。
持っていないと落ち着かないくらいだった酒器を押し入れに仕舞い込んで、ようやくほっと胸をなでおろしたものだった。
こんなに酒が抜けたのは初めてだよ、と笑えば、話に納得したのか頷く小烏丸は、けれど納得いかないと言わんばかりに唇をへの字にさせる。


「よもやこの美月の下に在りて、盃を傾けぬ者がおろうとは・・・さて、どう付けよう」

「あはは・・・それはアタシもおんなじ思いなんだけどねぇ」


今日の月は、格別に美しい。
さっきも想像したように盃を傾ければ、きっととても美味い酒が飲める。
―――だが、そうならないでほしいと願う時ほど、現実は残酷なもので。
ごそごそと動き出す音にぎょっと後ろを振り向けば、案の定、眠そうに目をこするべにが寝室から顔を出したところだった。


「ど、どうしたのさべに。目が覚めちゃったのかい?」

「んー・・・おみず・・・」

「喉が渇いたのか。待ってな、今水を・・・」


そう言って盃を床に置けば、コトンと床と陶器が触れ合う音がする。
その音につられるように下を見るべにに、あーやっちゃった、と額に手を当てる自分の姿が脳裏をよぎった。


「なーに?」

「え?・・・え〜とぉ〜・・・」

「酒よ」

「ちょ・・・!」

「べにも!」


想像は、現実になった。
べにに気付かれるような置き方をした自分にも、聞かれて素直に本当のことを言った小烏丸にも、当然とばかりに真似したがるべににも。
思わず頭を抱えて、深く、深くため息をついた。


「も〜・・・ダメだって前言われただろ?」

「いーや!」

「えぇ〜・・・?困ったなぁ・・・」


こうなると、どう扱ったらいいのかわからない。
何を提案しても嫌。挙句の果ては何が嫌なのかもわからずただいやだいやだと泣き始める。
早く寝直してほしいのに・・・と今後のことを思ってまた一つ、深いため息をついた。
「どれ、」と隣から涼し気な声がかかったのは、その直後。


「べににはこれをやろう」


ゴトリという重い音に振り向けば、床に置かれた小瓶。
“カル○ス”と印刷されたそれは、どうやら小烏丸の袖から取り出されたようだった。


「・・・な〜んでそんなトコにそんなモンが入ってんのさ・・・」

「や!おんなじの!」

「これだもんなぁ・・・」

「おやおや、駄々っ子よの」


小烏丸の提案に怒った顔をしてみせるべにに天を仰げば、「まあ任せてみよれ、」という声が聞こえて。
「え?」と見下ろせば、ニッコリ、と効果音が聞こえてきそうなほど美しい笑みを浮かべた小烏丸が、酒器を片手でゆるりと振ってみせた。


「べによ。酒が飲みたいか?」

「のみたい!」

「よしよし。父の盃を受けるとよい」

「はっ!?ちょっ・・・」

「だがなぁ、一つ惜しい」


とんでもない発言に慌てて待ったをかけようとすれば、遮るように首を振る。
べにと一緒になって首を傾げれば、小烏丸は言葉の通り困ったような顔で大げさにため息をついて見せた。


「なに、酒は、舌が歳を重ねると旨くなるのだ。今のお主が飲んでも、ぴーまんのような味になってしまう」

「・・・!や!」

「ほう。では、待つか?百年か、千年か・・・」

「いーやー!」

「むん・・・仕方ない。では特別に、二十年程に負けてやろう。それならば待てるな?」

「・・・うん!べに、がんばる!」

「んふっふっふ・・・べには良い子よな。そなたには特別に、これをやろうぞ」


そう言って酒器を床に置いた小烏丸が代わりに手に取ったのは、さっき思い切り首を振られたカル○ス。
けどえぇ・・・?と思ったのは自分だけだったようで、嬉しそうに蓋を開けてくれとせがむべにに、もうははは・・・、と笑うしかできなかった。


「父の手にかかればこの程度よ」

「はぁ〜・・・上手いこと丸め込むもんだねぇ」

「丁度燭台切から、べにがぴーまんを嫌って困ると愚痴をこぼされておったでな」


ほ、ほ、ほ。と優雅に笑う小烏丸に、見事なお手並みで、と仰々しく頭を下げる。
べにがピーマンを睨み付けていたことは知っていたけど、それとこれとをうまくつなぎ合わせるなんてことは自分にはできそうもない。
これも得手不得手なのかねぇ、とご機嫌でカル○スを飲むべにを横目に眺めた。


「嫌いなものを嫌いとはっきり言い放つことができるのは、童の特権よな」

「この歳じゃあ、白い目で見られるのがオチだもんねぇ」


酒の抜けた頭は、ひどく常識的な答えを導きだしてくれる。
普段のアタシなら、「嫌なら嫌って言わないと身体に悪いよ〜?」とか、適当なことを言いそうなもんなのにね。


「・・・反対に、好きなことを好きと言えぬのも、中々に辛いものよな」

「・・・ん?」


穏やかな言い方に、どこかべにのことを言ってるんじゃないような気がして首を傾げる。
けど、振り向いた先の小烏丸はべにの頭を撫でるばかりで、それ以上何かを聞くのも野暮ったい気がして口を閉じた。
誰もしゃべらなければ、静かな夜は睡魔を誘う。
べにも例にもれず、カル○スの瓶を握ったままコックリコックリと舟を漕ぎ始めた。


「おやおや、この我を差し置いて、眠ってしまわれたか?」


クスクスと笑ってべにを抱き上げようとする小烏丸に、あぁ、と片手を上げて待ったをかける。


「いいよ、アタシが・・・」


半分以上は、今日は自分が当番なのだから、という義務感から。
だけどほんの少し、きっとその細腕で、なんて思いがあったのだと思う。
だから、幼子とはいえ大分重くなってきたべにをひょいと抱き上げたことに、わりとかなり驚いた。


「見た目で相手を量ってはいけないぞ」


目を丸くするアタシに、したり顔で笑う小烏丸は、そのままべにを片手に抱え直すと反対の手で寝室の襖を開けて中に入っていく。
思わずそれを見送ってしまっていると、振り返って襖を閉めながら静かに微笑みかけてきた。


「ここはこの父が賜ろう。子に任せてばかりでは、この身が疼いてしまうでな」


それだけ言うとパタン、と静かに締まる襖に、浮きかけていた腰を何となく所在なく降ろす。
残されたのは、唐突に仕事がなくなって暇になった元酒好きと、父の持ってきた極上であろう美酒。


「・・・はは・・・全く」


流石日本刀の父と言うべきか、それとも彼自身を称えるべきか。
顔を上げれば、月は相変わらずまばゆいほどの光を届けてくれて。


「・・・酒の肴には、丁度いいねぇ」


盃を手に取り、香りを楽しみ、ゆっくりと唇を湿らせる。
思うよりもずっと辛い酒が、喉を焼くようにして滑り落ちていった。


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