31、薬を嫌がる


「やーだっ!おいしくない!」

「我儘言うんじゃねぇ!」

「やぁーだぁーっ!」


ドタンバタンと、よくもまあ同田貫相手にあそこまでちょこまかと逃げ回れるものだとついつい感心してしまう。
そう多くもない障害物(机やら苦笑する石切丸やら)をうまく使って捕まえようとする手をするりと抜ける手腕は見事なもので、日ごろ短刀たちと鬼ごっこをしている成果がこんなところに現れるとは、といったところだろうか。
まあしかし、これはよくない。
短刀に鍛えられたからというだけで、二歳児に追いつけない同田貫の機動力も問題だが、それは一先ず置いておいたとしてもこれはよくない。


「っいい加減にしろ!これ飲まねえと辛えまんまなんだぞ!」

「いーのっ!っ・・・えらくない!」

「嘘つけ!」


酷く熱があるというのに暴れまわるべにに、あちらから覗いている燭台切の堪忍袋の緒はいつ切れるのだろうかと、賭け事を楽しむような気持ちで眺めているのは自分ぐらいだろう。
石切丸が障害物に甘んじているのは彼の機動力では下手に手を出すと怪我につながりかねないと思ってのことだろうし、燭台切は厨に続く出入り口をふさぐことでべにのスタミナ切れを狙っている。
皆したたかになったものだとこちらにも感心していれば、僕が担当させられていた廊下側の出入り口がスラリと開いて三日月が顔を出した。


「・・・おお、何やら賑やかしいと思えば。これは何の遊戯だ?」

「しいて言うなら、ネズミ捕り、かな」

「ネズミ捕り」


そう聞いてすぐべにに視線をやるあたり、三日月もよくわかってるよねぇ?
広間と言う小さな籠の中で、捕まえるべきネズミはべに。
彼女には、チーズという苦ぁい薬を食べてもらわないとね。


「朝は少し呆けているように見えたが。熱が上がりすぎて逆に元気になってしまったか?」

「その通り。寝てろと言っても爛々と目を輝かせるそうだよ」


女の子にそんな目で見られたのに、同田貫も辛抱強いねえ、なんて口を滑らせてからはっとなって、そっと周囲の気配を確認する。
・・・どうやら僕の天敵はこの近くにはいないようだ。
容赦なく飛んでくる裏拳は実戦で使えるだろと突っ込みたくなるくらいの強力さで、さしもの僕も学ぶというもの。
けれどそんなことは気にも留めずおおらかに笑う三日月に、ほっと胸をなでおろした。


「しかしあそこまで逃げ回るとはな。味を甘くしてやることはできないのか?」

「今薬研が薬を包むゼリーを取りに行っているところだよ。彼曰く、「薬が旨くてどうすんだ」、だそうだけど」


厳しいねぇ、と笑えば、「べにが良くなるのであればそれで良い」と穏やかに微笑む三日月。
随分とまぁ、平和な光景だ。
今の三日月を見て、誰も彼が戦場で誉をかっさらいまくる手練れの武士とは思うまい。
孫の成長を見守る爺でしかないその幸せそうな視線に、ふと、今日執り行う予定だったイベントを思い出した。


「・・・しかしべにも、お祭り当日に風邪を引くなんて。器用な子だねえ」

「今日は何かの祭りなのか?」

「ハロウィンというそうだよ。わざわざ妖怪の類に変装してはしゃぎ回るというのだから、物好きなことだよね」


奇妙な呪文を唱えつつ菓子を求めて回る子どもたちに、彼はどんな反応を返したろうか。
喜々として仮装したべにを膝に乗せ、お菓子を与える様が容易に想像できて、逆に何の新鮮味もないと思いなおした。
・・・まぁ結局は、彼女の体調不良により中止になったけれど。


「どうせいつかは、その身になるのにね」


主が調子を崩しているのに魍魎の真似事など、縁起でもない。何か変なものが紛れ込んだらどうするつもりか。
元々べにが参加できないなら、と短刀たちも止めるつもりだったようだが、誰かの言ったその一言で全員が衣装や小道具の類を処分したようだった。
楽しそうに準備をしている様子を知っていただけに、無粋なことだと思わなくもなかったけれど。
・・・確かに、紛れ込まれても迷惑な話だしね。


「・・・そうか、人は、いつか死ぬのだったな」


ポツリ、と。先ほどまでの穏やかな声色から一転、沈んだ様子にそちらを振り向く。
声と同様沈んだ面持ちの三日月に、何か気に障ることを言ったろうか、と自分の言動を振り返った。

―――あぁ。無粋なのは、僕だったかもしれないね。

燭台切の横を通って戻ってきた薬研が、同田貫から薬を受け取って手にしたゼリーに含ませる。
その様子をふらつきながらぼんやりと見るべには、もはや何故逃げていたのかもわかっていなかったのだろう。
「ん。」と薬研にスプーンを差し出されて、フラフラとそれに近付く姿は、見ようによっては“死”を連想させた。
刀剣とは違う、戦場でなくても成り立つ“死”。
それは生者であるからこその権利で、義務。

―――それを言うのは、この今にも泣きそうな麗人に止めを刺すようで、憚られた。


「まぁそうでなきゃ僕は、幽霊切りの異名もつかずで、献上されるような代物にもなれなかったかもしれないけどね」


茶化すようにそう言えば、三日月はキョトンとした目でこちらを振り返る。
鋭い三日月ならすぐに「何を言う」と笑い飛ばしてくれるかと思っていたけれど、甘えすぎたかな。
いけないね。自虐的なネタは、一歩間違えると大怪我だ。
「冗談だよ?」と話を終わらせようと一呼吸。
息を吸った瞬間に、「おお!」とようやく意味がわかったと言わんばかりに相槌を打たれてタイミングを見失った。
・・・こういうところ、狸爺なのか天然なのかわからないんだよねぇ。


「はは、そなたは可笑しなことを言う」

「?」

「刀は切れ味こそ命。お主のような名刀が、歴史に埋もれることなどあるものか」

「・・・天下五剣に言ってもらえるとは、光栄なことだね」


思った以上に正面から否定されて、思わず詰まりそうになった言葉を何とか吐き出す。
本人が気にした様子はないけれど、やはり美しい刀に認めてもらえるのは、僕らとしては結構嬉しいものなのだ。
取り繕うようにべにを見れば、動き疲れたのか熱が上がったのか、ぐったりした様子で薬研に身を預けていた。
これまでにも何度かあった、べにの風邪。
大抵が演練から帰ってきた後で、べにを演練に連れていくのに反対する刀剣も出てきた。

―――筆頭は、この麗人。


「・・・だがべには、歴史に埋もれてもいい・・・良く生きさえしてくれれば・・・この本丸の中で・・・ずっと・・・」

「・・・べには美術館に飾られるような刀じゃないからね?」

「・・・まあ、そうだな」


時折見せる危うい言葉は、本気か冗談か、区別がつかない。
美人は表情が読めないというけれど、あれは本当だよね。
狸爺であれ天然であれ―――今後の観察は、必要だろう。


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