34、素直
「兄者!」
目を開けたら、よく知っている気配の男が居た。
うん。よく知っている。
生真面目で融通が利かなくて、少し不器用だけど優しい子。
けど・・・えーと・・・
「僕は源氏の重宝、髭切さ。確か君は・・・ありゃ、何て名前だったっけ?」
「あ、あにじゃああああ!」
目の前で崩れ落ちたその男に、悪いことしちゃったなぁとは思う。
でも、何回も名前が変わるから、その度には覚えてられないんだよね。
そんな些細なことは、千余年の記憶の中に埋もれていく。
「こら!」
「・・・ん?」
「ひざにぃえんえん、だよ!めっ!」
床に手をつく“ひざにぃ”の、前に立ちはだかる幼子。
まるで守るための刀を守っているような、そんな矛盾が少し可笑しかった。
ここで笑ったらちょっと怒られそうだったから、口元に拳を当ててそれを隠す。
「君が今代の主でいいのかい?」
「うん!べには、べにってゆーのよ。よおしくおねがいしますっ!」
「うん。よろしく。・・・でも僕は名前とか、そういうのはどうでもいいんだ」
どうせまた、変わる。名前も、主も。
とりあえずこの小さい子が今代の主だとわかっていれば、間違えることはない。
だけどそう言ったら、小さな主はますます頬を膨らませてしまった。
「だめなの!なまえ、だいじ!」
「その、べに・・・。兄者はこういう方だから、悪気はないんだ。俺は、兄者に弟だとわかってもらえていれば、ひとまずはそれで・・・いい」
「いーの?」
「・・・ああ、いいんだ」
素直なことだ。
“これでいい”という弟の言葉を素直に受け取って、「いいんだ!」と自分の認識を改めている。
この素直さ、僕はいつの時代まで保ってたかなぁ?
遠い昔に思いを馳せながら、世話係だという弟について本丸の案内をされる。
自分たちは相部屋だと少し嬉しそうに話して、後で必要なものを揃えようと言う無邪気な笑顔に適当に相槌を打つ。
なかなかに広い本丸は覚えるのもやっぱり一苦労で、これは案内係についてもらうか、その場で会った子に聞くしかないなぁ、なんて、言ったら呆れられちゃうかな?
「さあ、本丸の中の案内もこれで終わりだ。最後に今本丸にいるメンバーと顔合わせをしよう」
「うん。そこはちゃんと覚えられるようにするよ」
じゃないと、戦場で間違って切ってしまったら大変だものね?
目の前の襖をスラリと開けて入っていく背中に続いて、ひょこりと首だけのぞかせてみる。
ちょうどこれから昼時、という様子の食卓に、結構な人数が集まっていて、一斉に視線がこちらを向いた。
「聞け!兄者がはせ参じたぞ!」
「おー、おめでとう!」
「すごいね。希望してから来るまで、最短記録じゃない?」
「燭台切はまだ貞ちゃん来ないのにね〜」
「僕はいつまででも待てるからいいんだよ」
「味噌汁こぼれるぞ」
わいわい。がやがや。
そんな言葉で表すのが一番だろうっていう賑やかしさに、楽しそうだな、って感想が一番。
「主の霊力がとても良かったからね。つい足が向いちゃった」
だから、自然に笑顔でそう言って、弟に促されるままに席に着いたのだけど。
「・・・?膝丸、名前で呼んであげてほしいって、ちゃんと説明してくれた?」
「あ・・・」
正面に座っている男士が首をかしげて、弟が言葉に詰まる。
自分の名前のことで僕が責められるのを気にして、忘れちゃってたんだよね。
うんうん、本当にお前は兄想いの弟だよ。
・・・けど、大事なことを忘れちゃあいけないよ?
申し訳なさそうに眉尻を下げる弟に、ポン、と肩を叩けば、納得いかない!という視線を返されてしまった。
「まぁ主って呼ばせてよ。名前とか、ど忘れしちゃうからさ」
「・・・せめて主の名前くらい覚えてよ。ここにはべにのことを名前で呼んでくれる人はいないんだ。俺たちが揃って“主”と呼び続けたら、それを名前と勘違いしちゃうだろ?」
「主は自分でちゃんと自己紹介していたよ。それなら、“自分の名前を認識する”という目的は達成しているんじゃない?」
「・・・う・・・それは、確かに・・・」
「なら次は、僕らの主であることを認識してもらわないと。いつまでもこのまま、深窓の姫で居させる気はないんだろう?」
賑やかだった食卓が、静かに空気を動揺させる。
別に自分の価値観を押し付けるつもりはないよ。今まで名前で呼んでいたのを、突然変えるのも大変だろうし、主さんも混乱するだろうしね。
「?ごはん、おいしーよ?」
「うん、そうだね。冷める前にいただこうか」
静かになった食卓の雰囲気を察したのか、主が顔を覗き込んでくる。
それをきっかけに食事を始めれば、周囲からも徐々に食器のぶつかる音が聞こえて、話し声も戻ってきた。
「こえね、おいしーよ!ママ、おいしーの、つくってくえうの!」
「へぇ、ママ・・・?」
「・・・兄者の疑問は、あそこの眼帯の彼が答えだ」
「・・・へぇ、彼が、ママ・・・」
「中途半端な答えは誤解を呼ぶよね!」
名前とか、呼び方とか。
そんなことは、どうでもいいんだ。
大切なことを、忘れないため。
彼が僕の弟であること。
ここにいる者が仲間であること。
そして、新しい主との日々を、一つ一つ、決して、忘れないために。
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