43、叱られる


この本丸では、近侍は毎日順番に交代している。
皆が皆近侍になりたがるからというのもあるし、何よりべに自身が毎日誰が遊び相手になってくれるのかを楽しみにしているからだ。
そうなると仲間が増えた今、近侍になる日は少なくなる。
そして前日の出陣でヘマをして、前回の近侍を手入れ部屋で過ごすことを余儀なくされていた燭台切は、明日に控えた実に三か月ぶりの近侍をとても楽しみにしていた。
明日は何をして遊ぼうか。最近は少し暖かい日が続いていて雪も解けてしまったから、外より中で遊んだほうがいいかもしれない。なら、非番の子を誘ってかるたやトランプで遊ぶのもいい。
あぐらの中に納まって小さな手でカードを持つべにのつむじを思い出して、一人クスリと笑う。
まだルールはわかっていないし、数字も文字もほとんど理解はできていないけれど、夜泣きに付き合わされて隈を作っていた日々を思えば胸に熱いものがこみあげてくる。
今こぞって近侍になりたがっている面々は、あの頃の彼女の、座ることを許さない夜泣きに付き合わされても同じことを言えただろうか?
そんな、ちょっとした優越感に浸りながら、食材を入れたジップロックをパチリと閉める。
空気の抜けたそれを冷凍庫に入れて、これでよし、と腰を伸ばした。


「・・・おっと、もうこんな時間」


明日に備えて、今日は早めに寝るつもりだったのに。
いそいそとエプロンをはずし、やることリストを指折り数える。
前回のような怪我はしていないし、食事もこうして下拵えをしておけば他の皆が困ることはない。
洗濯は大倶利伽羅が引き受けてくれたし、掃除は堀川君が兄弟とやると申し出てくれた。
あの二人なら問題ないだろうし、明日は近侍に集中できる。
うん、と頷いてから厨の電気をパチリと消して、浮足立つ心をなだめながら自室に向かった。

―――主のいなくなったそこに侵入者の影が見えたのは、それからしばらく後のこと。






予定通りに起きて、朝食を食べ、江雪さんとの勉強会を終わらせて、少し遊んだ後の昼食。
心地よい疲労感とともに食卓に腰を下ろし、自分が動かずとも出てくる食事に心から感謝する。
そんな、平和でいつも通りな一日は、べにの一言で雲行きを怪しくさせた。


「・・・あれ、どうしたの?ご飯食べれない?」

「うんー。いやない!」


上手く使えるようになってきていた補助箸の進みが嫌に悪くて、好みそうなものをお皿に乗せてあげても首をかしげるばかり。
食欲がない、ということで真っ先に思いついたのは、体調不良だった。
できるだけ落ち着いて額と首筋に手をやって、普段のそれと特に変わらないことにほっと安堵の息をつく。


「熱はなさそうだし・・・元気そうだけどね・・・」

「勉強のときも・・・特に、変わりはありませんでしたが・・・むしろその時は、おなかがすいたと言っていましたし・・・」

「んー・・・まぁ、無理して食べなくていいよ」


江雪さんの証言もあってますます首を傾げたものの、お許しがでて早々に「ごちそーさま・・・た!」と箸を置いて遊びに行くべにの体調が悪そうには全く見えない。
心に少し留めつつも、少し急いで目の前の食事を片付けにかかった。




「おなかすいた!」


願ったその言葉が聞けたのは、15時を少し回ったころだった。
ほんの少し残った雪で遊びたがるべにをなだめて部屋で遊ばせて、本格的に不安になってきた頃だったから、声はきっと弾んでいただろう。


「あ、ほんと?よかった、じゃあ夕飯もそろそろだから、ちょっとだけお昼の残りを・・・」


けれど、続いた言葉に返した声はきっと、地を這うようなものだった。


「や!じいじのとこ、いく!」

「・・・え?」






「じいじ、おなかすいた!」

「おお、来たかべによ。よしよし。今出してやるからな」


戦場では遺憾なく発揮する偵察力も、本丸内、特にべにが絡んでいるときは見る影もない。
べにを追いかけてたどりついた部屋の前で足を止めると、機嫌よさげに腰を上げる衣擦れの音。
ガラガラと、引き戸を開ける音。続いて、少し間を開けてから閉める音。
振り返ったのか衣擦れの音にかぶるように、べにの歓声。
姿は見えなくても、何をしているかくらい、簡単に予想がついた。


「わぁ・・・っ!」

「これこれ、そうはしゃぐな」

「じいじ、いっぱい、ね!」

「はっはっは。そうだろうそうだろう。夕べ遅くまで燭台切が厨におったから、くすねるのに苦労・・・」

「・・・ああよかった。悪いことをしている自覚はあったんだね」


この無駄に狸なじじいをイチから育てなおすのは、大変そうだと思ったんだよ。
平静を装ってはみたものの、声にはどうにも感情を乗せられない。

・・・いや、乗せたら乗せたで、べにを怖がらせるか・・・―――いや。

空気の固まった部屋の中に侵入すれば、部屋の主は油の切れたブリキの人形のようにこわばった笑みをこちらに向けてきた。


「お・・・っ!?お、おお。燭台切ではないか。ど、どうした?こんなところに・・・」

「・・・江雪さんのところから戻ってくるのが、いつもより遅いとは思ったんだよね」

「い、いや、それは・・・」

「・・・三日月さん、ありがとう。ちょうど、悪いことをしたら叱られるってことを、教えなきゃって思ってたんだ」

「・・・・・・」

「・・・二人とも、そこに正座!!」


冷や汗をダラダラと流す三日月と、よくわかっていないが何かまずいことになっているらしいと察して黙り込むべに。
すぐさま姿勢を正した三日月の横にべにも座ったところで、燭台切もその前に腰を据えた。


「いい?普段僕らが作ってるご飯は、栄養バランスを考えて作ったものなんだよ。お菓子を食べることが悪いとは言わないけれど、ご飯が食べられなくなるほど食べるなんて言語道断!下手したら栄養失調で体調悪くしたりするんだからね。健やかに育ってもらうためにこだわってるんだから、ちゃんと食べてもらわなきゃ」


「・・・燭台切、話が難しすぎて、べににはわからないと思うが・・・」

「これは三日月さんにも言ってるんだよ!」

「はい!」


そもそもの原因は、腹の減っているべにの目の前にお菓子をちらつかせた三日月だ。
お菓子をもらって嬉しくなったべにから大好きとでも言われたか、嬉しそうな顔に絆されでもしたか。ともかく三日月に悪気なんて一欠けらもあるはずはないが、行為は決して褒められたことではない。

―――そしてべににも、“お菓子を食べてご飯が食べられないのは悪いことだ”と、知ってもらわなければ。

それから、“怒っている人”の空気というものを察することができるように。
三日月さんを手本に、怒られているときの態度とか、どう対応すればいいかとか。
叱られるということにだって、学べることは山のようにあるのだ。


「さっきも言ったけど、お菓子の食べすぎは肥満・老化・栄養不足と病気の原因になるんだ。少しぐらい太ってたほうがかわいいとか、そういうレベルじゃないからね。糖尿病っていう、目がかすんだり手足が痺れたり・・・僕も詳しいわけじゃないけど、一生治らない病気と付き合っていかなくちゃならなくなるんだよ。老化・栄養不足は食事からしか摂れない栄養をお菓子では摂れないから。ビタミンだとかが入っていない割に甘くしたり保存したりするための添加物は山盛りなんだから、当然だよね。そんな―――そんな人生を、べにに歩ませたい?」

「・・・ごめんなさい」


説明するうちに三日月の顔色が悪くなっていき、謝罪の言葉とともに首を垂れる。
本当は謝るべきはべににだが、今はそこは言及しないでおこう。
反省もしているようだし、と留飲を下げ、笑顔で三日月の肩に手を置いた。


「今すぐ一人で奥州合戦の遠征を三回回すのと、一か月べにと接触禁止と、どっちがいい」

「加州ーっ!遠征の編成の見直しを頼む!今すぐだーっ!!」


即座に部屋を飛び出した三日月を見送って、ふぅ、と一つため息をつく。
一度区切りがついたのを感じたのか、べにがこちらの表情をうかがいながら、恐る恐るといった風に声をかけてきた。


「・・・ままぁ、おなかすいた・・・」

「それはお昼ご飯を食べなかったからです。そして、今こんなにお菓子を食べたら、夕飯が食べられなくなるから駄目」

「ふぇ・・・まま・・・!」


流れ込んでくる霊力と感情に、久々だな、と思いながらも表情は緩めない。
厳しいとは思う。でも、ここで許せばこの子は成長しない。
泣いたらなんでも思い通りなんて、そんな我儘娘になんか絶対にさせない!


「あと一時間もしたらご飯だから。それまで待ちなさい」

「ぅえぇ・・・!ふぇっ・・・!」


泣き声を背中に部屋を出て、泣き声と霊力に何事かと集まってきた男士たちに簡単な説明をする。
渋い顔をしながらも納得してくれたみんなに感謝して、「ちょっと頭を冷やしてくるね」と厩の方に足を向けた。


・・・少し、感情的になってしまった自覚はある。
だから、短刀たちがこっそりと厨の方に向かったことには、そっと目をつぶった。


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