44、身支度を整える


寒い、冬らしい冬が訪れている。
昨日の暖かさが嘘のように冷え込んで、今朝は着替えに起きるのがひどく億劫だった。
昨夜どこかで呑んできたらしい次郎は殊更で、「んむぁ〜・・・」と悶えながら布団にくるまる姿はまるでタカラガイのようだ。
一応起きなければならないことはわかっているようだし、「先に行きますよ」とだけ声をかけて、自分はなるべく手早く着替えを済ませる。
肌が外気に触れるから寒いのであって、寝巻から普段着へ、そしてその上から袢纏を羽織れば、それなりに暖かくはなるのだ。
・・・まぁ、体温が移るまではその服すらもが冷たくて、一度震えずにはいられないのだが。


「・・・少し、眠気を覚ましますか」


次郎が帰ってこないことが少し気になって中々眠りにつけなかったせいで、人のことを笑っていられない。
大方最近できた呑み仲間といつものところだろうとわかってはいても、断酒を始めたばかりのころの様子を思うと・・・どうにも。
もう心配するほどでもない、と自分に言い聞かせつつ、欠伸をかみ殺して冷たい廊下を歩く。
早い者は何人か動き始めてはいるものの、まだ早朝と言われる時間帯。
時折通りがかった部屋からわずかな物音がする以外は静かな本丸の中で向かった先には、そのどこよりも音がなかった。


「・・・やはり、溶けてしまいましたか・・・」


庭の地面は茶色く地肌を見せていて、べに様が残念がりそうだ、とその様子を想像して少し残念な気持ちになる。
どこかで氷が張っていればまだ目新しいだろうに、池にはその様子がなく、地面は見事に水分を吸い取ってしまっているようで気配がない。
はぁ、と小さく息を吐けば、白い煙が大きく空へと昇っていった。

・・・それにしても、今朝は本当によく冷える。
次郎が居れば、すぐさま部屋へと引き返すだろう。そしてそこから顔だけのぞかせて、「また兄貴は」と苦笑するのだ。
次郎の気持ちもわからなくはない。暖かい部屋は心地いいし、そのまま微睡んでいたい気もする。
だがこうして眠気を一気に吹き飛ばし、身を引き締まらせてくれるのも心地いいのだ。
もう一度ほぅ、と大きく煙をたゆらせてから、庭へと足を下ろす。
外の様子が気になっていたこともあったが、本来の目的は眠気覚ましなのだ。
廊下に居るだけでその目的は十分果たされはするものの、折角ならば軽く散歩と洒落込みたい。
サクサクと歩いていけば、頬を刺す空気の冷たさも心地いいものに変わっていくのだから不思議なものだ。






本丸を一周、とまではいかずとも、気の向くままにあちらこちらと足を向けてしばらく。
温まってきた身体に、そろそろ朝食の支度を手伝いに行きますか、と廊下に足を向けた瞬間。


「たろー!」

「!!」


・・・不覚にも、大変驚かされてしまった。
これは、日々近侍でないときでも一緒に走り回ている、鶴丸さんの影響でしょうかね・・・


「早いですね。おひとりですか?」

「じろちゃんねー、ねんねなの!」

「・・・・・・」


やはり、しっかり起こしておくべきだったろうか。
しかし、誰も起こしに来なかったからか、それとも単純に早く目が覚めてしまったからか。
自分で身支度をしようと努力したのか、トレーナーは前後逆、ズボンも前後ろ反対と、むしろそうしようと思ったのかというくらいな間違え具合。
髪もボサボサで、普段の・・・特に加州さんにやってもらったときとは雲泥の差。
これは部屋の散らかりようも想像できるというものだが、そこは目を瞑り。


「もしや、ご自分でご準備されたのですか?」

「うん!」

「素晴らしいですね、頑張りましたね」

「えへへー」


微笑みながら賛辞を述べれば、嬉しそうに大輪の笑顔を見せてくれる。
それにこちらも嬉しくなって頭を撫でようと近付けば、その笑みはしかしたちどころに消えてしまった。


「なんのおとー?」

「え?」

「おと!」

「え・・・あぁ、これは、霜柱と言いまして・・・踏むと鳴るのですが・・・」


地中に入った水分が冷えて氷になることで膨張し、地面の表層を持ち上げる現象。
そしてそこを踏めば霜柱が折れ、サク、と心地よい音が鳴る。

―――・・・べに様にわかるように伝えるには、どう
したらいいのでしょう・・・―――

確かに珍しい音かもしれない、と自分の足元に目をやっても、その音の説明をする言葉が見つからない。
どうしたものかと言いあぐねていると、答えが返ってこないことを待ちかねたのか、べに様は素早く草履を履いてこちらへと走り寄ってきた。


「べにもやる!」

「そうですね・・・できるといいのですが」


走ってくる間、望む音は一度も聞こえなかった。
単純に足を付けたところが悪かっただけならいいのだけれど、と霜柱のできていそうな場所に辺りを付け、つま先で軽く地面を押した。

サク。


「・・・!べにもべにも!」

「ええ、どうぞ」


縋りつくべに様に譲ろうと一歩引けば、その先でもサクリと霜柱が折れる。
べに様の踏んだ音と重なり、二重に音が聞こえたのだろうか。思い切り目を輝かせたべに様が地団太を踏むかのように足を動かし始めたのは、その直後だった。


「きゃー♪」


音か、感触か、はたまた物珍しさか。何が楽しいのか、正確に理解することはできない。
けれど、べに様がこの行為を非常に楽しんでいるということだけは、如実に伝わってくる。
それだけでこんなにも幸福になれるのだから、安いものだ、と今度は自然に頬が緩むのを感じた。





次郎がバタバタと化粧もせずに飛び込んでくるのは、もう朝食も食べ終わるころで。
・・・こちらの教育も少し、見直さなければなりませんね。

一つ、託された仕事はきちんとやる。
一つ、酒盛りは節度をもって。

一つ、・・・あまり心配を、かけないように、と。


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