47、相手を想う


「ねえ!あれ何!?」


唐突に持ち上げられて、もはや慣れた視界から中途半端に高い視界まで急激に世界が下を向く。
ここまで急なのも珍しい、と軽いめまいを感じて目を瞬かせれば、「ほら紺野、あの二人!」と黄色い声が顎をつかんだ。
そのままぐい、と抵抗もできぬ間に顔を固定され、否応なく鼻を向けた先には演練会場。
先までとの違いといえば、上を向かずとも審神者の姿がよく見えるといったところか。


「・・・何をする・・・」

「あれ、すっごい何かある感じじゃない!?」


諦めながらも諸悪の根源に不満を言ってみたが、案の定どこ吹く風。
さっきよりは声を落としたものの、楽しそうな乱藤四郎の声が耳に響いた。
何かある、と言われて問題事を思い浮かべない立場ではない。
事件か、事故か、不手際か。
どれだ、と諸々の事情で感じるめまいに細めていた目を見開けば、そこでは二人の審神者が話しているようだった。
男と、女。女は若く、一言で言えば“可愛らしい”と印象を受ける。
それははにかむように笑う様子だったり、そわそわと落ち着かな気な様子だったり、少し離れたところから見る刀剣が幸せそうな顔でそれを眺めている様子だったりといった、顔立ち以外の要因が十分にある。
これで相手が同じ年頃の男で、同じような様子であれば、所謂“恋する乙女”だからか、と早々に興味をなくすことができるのだが。


「・・・事情があるんだろう」

「えーっ紺野ってばそれだけ!?つまんなーいもっと興味もとうよ!!」

「そういう意味での興味ならば、俺はただ男の審神者の方に憐憫の情がわく」


女は恋をしている。だが、男はそうではない。
ましてや、無精ひげを生やすような、恋愛にはとんと縁のなさそうな男が、困ったようにひげをこすっていれば。
・・・その恋の行方は、推して知るべしというやつだ。


「女の子に厳しい状況だよね」

「・・・それがわかっているのなら」

「あれ!?女の子、何か渡すつもりみたいだよ!?受け取ってもらえるのかなぁ・・・!」

「・・・おい、巻き込むな。別の者と」

「えぇっ!?受け取っちゃうの!そんなあっさり!?あぁっホラ!女の子嬉しそうじゃん!期待もたせちゃ駄目だよー!」

「・・・“義理”を受け取らないのは失礼になるからじゃないのか」


思わず口を出してから、はっとなる。
・・・しまった。つい男の方に感情移入してしまった・・・
私としたことが・・・と自責の念に駆られていると、ふと、先まではマシンガンのごとく話続けていた乱藤四郎が妙に静かなことに気付いた。
・・・失敗だ。


「おー。受付終わったぜぇ」

「同田貫!滞りなく手続きを済ませられたか。皆の調子は大丈夫だろうな。演練とはいえ、気を抜いていては・・・」

「ねーぇ?紺野」


ビクゥ!と、人の身であれば肩が跳ね上がっただろう。
こんのすけの身体を使うと、尾の毛が倍ほどに膨れ上がることを、今、知った。
訝し気にこちらを見ていた同田貫の表情が蒼白なものに変わっていき、汗腺などないはずの表皮からじわりと水が染み出るのを感じる。


「その話・・・演練の後でいいから、じ〜っくり教えてね?」

「う・・・お、わ、私は忙し・・・」

「もっちろん、五戦全部で誉取ったらでいいよォ、ねぇ?」

「お、おぉ・・・?」


ため息をつくこともできない空気の中、視線の先で同田貫がギシギシと頷く。
・・・今度の誉の時は、少し色を付けてやるからな・・・











「お疲れ様だったねぇ」

「・・・もう二度とごめんだ」


からからと笑う次郎太刀の手を払いのける力もなく、ぐったりと広間の床に寝そべる。
肉体的にはいいとして、疲れたのだ。精神的に。
望みの物をこの急場で手に入れるためには自分の足で走り回るしかなく、いかに最短経路を取ろうとも降り注ぐ視線にガリガリと精神が削られる音を聞いた。


「でもま、乱の気持ちもわかってあげなよ。アタシだって怒ってるんだからね?」


ひょいと膝の上に抱き上げられ、見上げればめ、と眉間にしわを寄せてみせる次郎太刀。
口元が緩んでいる様子から本気ではないことは読み取れるが、喜楽以外の感情をあまり見せない次郎太刀の“怒り”とやらに、少し考えてから大人しく頭を下げた。
先ほどまで同様ゆるりと頭から背中までを撫でる大きな手のひらに、身体の力が抜けていくのを感じる。


「何で教えてくれなかったのさ、そんな楽しそうな行事」

「必要ないと思ったからだ。製菓業界の策略にわざわざ乗ってやる義理もない」

「そんなことないだろ?“愛してる”や“感謝してる”の気持ちを伝える、いい機会だ」

「・・・あれだけ普段から表現しておいて、よく言う」

「どれだけ想いを込めても、慣れちまうもんだからねぇ」


言うほうも、言われるほうもね、とさみしそうに言う次郎太刀に、今日は珍しいものがよく見れる、とその表情を盗み見る。
眉根は下げつつもやはり笑みを浮かべたままの口元に、こいつの表情は嘘つきだな、と鼻を鳴らした。


「年に数回くらいがちょうどいいのさ。毎日本気で愛を伝えるなんて、言うほうも言われるほうも疲れちまう」


ちょうどいいくらいのペースでいい行事があるんだから、使わない手はないって。
そう言って笑う次郎太刀に、刀剣としての生きた年数を感じる。
何を見てきたのか、具体的には知らないが。その言葉には、確かな重みを感じた。


「・・・男にとっては厄介な行事にもなり得るがな」

「おや、贅沢な悩みだねぇ」


自分と手たった数十年生きただけの人生ではあるが、中・高生くらいの頃は、本命だ義理だ、いくつだと言い合い、同時に来る一か月後に備えて額を突き合せたものだ。
大したものでもないくせに大きな見返りを求めたり、逆にこれに見合う“お返し”をすると妙な噂が立つのではと危惧したり。
振り返ってみればあれはあれで楽しい思い出だと思えるが、その頃はただ必死で。


「できたよー!」

「でいたよー!」


ガラリと厨と繋がる戸が開いた音に顔を上げ、その幸せそうな笑顔に、一瞬。

―――彼女の笑顔を、見た、気がした。


「待ちかねたよ!」

「べにね、ころころするの、がんばったの!」


そう言って差し出された皿には、大小様々な茶色い塊。カラフルなチョコで包まれてはいるが、丸いようでいびつなものも多い。
成程これならべににも手伝うことができたのだろう、と感心していると、「こんちゃ、あー!」と不意に頭上から声を掛けられた。
「は?」と見上げた先にはべにの大きく開けられた口。釣られるようにしてわずかに開けた口に、突如べにの指先がずぼりと入り込んできた。


「んぐっ!?」

「おいしー?」


その目は期待に満ちてキラキラと輝いていて、口の中に突如叩きつけられた甘さと相まってくらくらとした眩暈が襲ってきた。


「じっくり味わってよね!僕たちが心を込めて作ったチョコ、一番に食べたんだから!」


後ろでは乱藤四郎が自慢げに胸を張っていて、ようやく口の中の塊をコロリと転がす。
到底丸く思えないそれを頬袋に追いやったところで、一番、という言葉への疑問をようやく口に出すことができた。


「・・・そいつが一番じゃなくてよかったのか」

「だってべには女の子でしょ?」


当然のように首を傾げられ、はい、次郎ちゃんもどうぞと頭上に皿が掲げられ、そういうものなのか、と思ったよりも柔らかい塊を咀嚼する。
「うんまーい!」と喜ぶ次郎太刀の声を聞きながら、甘い、と口の中に残ったチョコを舐めとり喉の奥に流し込む。
その間にこちらに興味をなくして他の刀剣男士にも配って回るのだろうと思っていたべにが、目の前から立ち去る気配がない。
まさか全部食えというわけもあるまい、と乱藤四郎の持つ皿の上を一瞥して、それでも動かないべにに眉根を寄せた。


「・・・次のところにいかないのか」

「こんちゃ、おいしー?」


先ほどと同じ問い。
そういえば答えてなかったか、と思いながらもyes以外を許さない期待に満ちた目はじっとこちらの様子をうかがっていて、脅されるようにコクリと一つ頷く。
それを確認したべには「えへー」と嬉しそうに笑うと、パッと立ち上がってあっという間に廊下に飛び出して行ってしまった。


「光栄だよ?べに、“こえ、こんちゃの!”って言いながら、一生懸命狐の形にしようとしてたんだからね」


べにに続いて出ていこうとした乱藤四郎が、立ち止まって悪戯っぽく片目を瞑る。
とうに口の中から姿を消したチョコの形を思い出そうにも、あるのはただ喪失感だけで。
それは口に入れる前に言ってくれ、と情けないことを言いそうになる舌を、ぐっと噛み締めた。


「こりゃあホワイトデーがあわただしくなりそうだねぇ。厄介なことに、三倍でも足りないくらいじゃないか」


するりと廊下へ出て行った乱藤四郎を見送って、次郎太刀が撫でるのを再開しながら笑う。
先の言葉を揶揄するように、くすくすと笑いながら。


「頑張らないとね。適当な返ししかできないようじゃあ、男が廃るってモンだろ?」

「・・・恐れ入る」


そりゃ光栄なこった、と笑う次郎太刀に、ため息をついて頭を下げる。
どうせまた一か月後には走り回ることになるのだ。
だったらせめて今だけでも、休憩を取らせてもらうことにする。


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