48、覚え、忘れ、思い出す
静かな中に、遠くから響く賑やかな声。
いいものだ、と微かに微笑みながら、茶をすする。
此度顕現した主は幼子だったが、自身を振るえる身体をもらえたなら文句はない。
ましてや、こうして茶をすすり、それを美味いと感じることのできる味覚までもらえたとなれば、言うこともなかった。
庭を枝から枝へと飛び移る鳥に目を細めながら、もう一口。
ふぅ、と息をついたところで、パタパタと軽い足音が此方に近付いてきているのが聞こえた。
主か。では備えねばな。
そう思って湯飲みを置いて少し。「あ!」と明るい声が耳に響き、勢いよく走りだす音の後、一瞬その音を緩めてから、想像通りの衝撃が背中を襲った。
依然やられたときに茶をこぼしてしまったことを反省して、ちゃんと俺が手に何を持っていないことを確認してから飛びつくあたり、可愛いものだ。
「ちゃー!なにしてゆの?」
「茶を飲んでいる。べにも飲むか?」
「のむー!」
熱いからな、と中身が半分ほどになった自分の湯飲みを差し出す。
不遜と言われるかもしれないが、今新しく入れれば熱いし重いしで、べにに適していないだろう。
案の定程よくぬるまった茶でも眉をしかめ、指先だけで持とうと四苦八苦。
「ここなら熱くないぞ」
「?・・・ほんとだ!」
底に手を添えるように誘導すればぱっと表情を明るくさせる。
まったく、よくこんな素直に可愛く育てたものだ。
良いことだ、と持ち方の安定したべにから目を離し、自分の分を新たに注ぐ。
そうしてさて、とべにが見える位置まで顔を戻すのと、べにが思い切り顔をしかめたのは、ほぼ同時だった。
「・・・いやない!」
「・・・ん?」
「ごちそーさまでした!」
思い切り斜めにしながら湯飲みを床に置こうとするのを慌てて受け取れば、あっという間に立ち上がって走り出す。
残される、両手の茶。
「・・・・・・」
少し傷ついたが、まぁいいか。
「・・・思ったよりも腕が立つのですね・・・・・・あ、・・・すみません、失礼な言い方を」
「いや、俺も驚いている」
みっちりと鍛錬を積んだおかげともいえるだろうが、初めての戦場は一つのかすり傷も負うことなく終えることができた。
実戦刀として使われることのなかった俺が、だ。
まぁまだほんの数百年遡っただけ、敵の練度が低かったというのも大きいが。
いや、それだけじゃないか。初めての出陣である俺に合わせて、他の面々は熟練の者。
さらに少し申し訳なさそうに頭を下げる太郎太刀まで来てくれたおかげで、俺が打ち漏らした者の後始末まできっちりしてくれる。
準備を重ね、もしもに備え。
その上出陣者全員に御守を持たせるほどとなると、もはや過保護というか、肝が小さいというか。
この本丸のそういうところ、嫌いじゃない。
・・・嫌いじゃあ、ないんだが。
ヒュウ、と戦場に風が吹く。
血の気を孕んだそれはひどく鼻腔を刺激して、ぐ、と喉の奥が詰まるように感じる。
―――血の匂いは、好きになれない。
「・・・次が来たようです。状況を教えてください」
太郎太刀の言葉に合わせて、スラリと刀を引き抜く。
拭きとったとはいえ、テラテラと血脂を吸った刀身に美しさは感じられない。
決して、戦いが嫌いなわけではない。
だが、血は・・・殺すのは、好きになれない。
変だと思われるだろうか。刀に生まれたのに、戦いを好まないなんて。
けれど死んでしまったら、風の心地よさを感じられない。茶の旨みを感じられない。
折角こんな身体をもらえたのに、勿体ない、とだけ思う。
・・・だから。
「命が惜しいなら引け!」
お前もそう思うなら、引いてくれ。
また胸の奥まで通る風を吸いたいなら。また爽やかな緑に足を踏み入れたいのなら。
向かってくる短刀に自身を振り下ろしながらも、願わずにはいられない。
―――どうか、この戦いが一日でも早く終わるように。
静かな中に、遠くから響く賑やかな声。
昼前の戦いなどなかったかのような平和に、ほぅ、と息をついて茶をすする。
―――いや、実際なかったのだ。この本丸の中では。
誰も傷つかず、ただ成果だけを手に帰ってきて、湯を浴びてしまえば砂埃すらもなかったことに。
庭を枝から枝へと飛び移る鳥を目で追い、少し、自問。
けれど胸を掠めた違和感は形を成すには曖昧で、ふぅ、と一つ息をついてそれを流した。
もう一口、と湯飲みを掲げたところで、パタパタと軽い足音が耳に届く。
では、備えねばな。
少し前も似た状況があったな、と思い出してクスリと笑えば、角から顔を出したべにが「ちゃー!なにしてゆの?」と問いかけながら飛びついてきた。
どうやら確認することは忘れてしまったらしい。
「茶を飲んでいる。べにも飲むか?」
「のむー!」
おや、こちらも忘れてしまったか、と思いながら同じように湯飲みを差し出せば、流石に思い出したらしい。
熱くない持ち方を思い出して受け取ったはいいが、といった渋い表情で考え込むべにの、何と可愛らしいことか。
ふふ、と笑えば笑うなと言わんばかりに睨みつけるべにに、「まぁ飲んでみたらどうだ?」と促す。
「・・・やっぱやー!うそつき!」
「はっはっは!嘘などついていないぞ?」
一口舐めてすぐに顔をくしゃくしゃにし、湯飲みを突き返してまた逃げ出そうとするべに。
けれど受け取った反対の手で茶菓子の乗った皿を差し出せば、目を輝かせてそれを受け取った。
「茶だけを味わうのもいいが、茶菓子も共にあるのが“茶道”というのでな」
燭台切特製のずんだ餅を一口で食べようとするのを端を摘まんで阻止すれば、うまく一口分だけかじり取ってもちもちと頬を動かし。
「んまーい♪」
「あぁ。それが聞きたかった」
茶が美味い。
血の匂いなど知らぬようなこの本丸で、こうして茶の匂いを感じられることが俺にとってどれほど幸福なことか。
わからないだろう、わからなくていい。
だが、茶の美味さだけは、主もわかるようになると、いい。
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