52、慮る


「いやー、君が来てくれて助かったよ」


ははは、と爽や かに笑う歌仙兼定に続いて歩きながら、本丸の中をぐるりと見渡す。
ここが、今世を過ごす土地。
爽やかに吹き込む風や遠くから聞こえる笑い声。
暖かく、心地よいというのが第一印象でした。


「ここはとても居心地のよい場所です。私が来たことで、何かが変わるでしょうか?」

「そう言ってくれるのは嬉しいのだけどね。実は意外と、そうでもないかもしれない・・・なんてね」

「何かお悩みですか?」


はっきりしない物言いについ聞いてしまい、新参者には言いにくいことかもしれない、と歌仙の顔色を伺う。
はは、と苦笑気味に笑う歌仙の表情は明るく、聞いても良い様子に小さく胸を撫で下ろした。


「本丸内は良好だよ。ただ政府と・・・ね。角が立たないように気をつけているのだけど、この前ちょっと無理を言ってしまって。早急に実績が必要だったんだ」


すまないね、と眉尻を下げる男に静かに頷いて、気にしていない意を伝える。
私は比較的古い方の刀であり、また顕現できる確率もどうやら低いようで。
この本丸に一振りも来ていなかったことも相まり、“実績”として数えるに値するものらしかった。
実績、と数値のように扱う事が気にかかったようだが、それよりも、強く思うことがある。


「これもまた、新たな縁。それが結ばれた時点で為になれたと言うのであれば、それは喜ばしいことです」

「・・・ありがとう」


静かな声に、こちらも小さく首を振って応えた。
そこからは会話と言えるほどのものもなく、時折すれ違う男士と挨拶を交わしながら本丸の随所の位置を知っていく。
皆で食事を摂ったり、大勢に話をするときに使う、広間。本来審神者のものだが、近侍や加州が書類整理を行う執務室。料理ができるものの聖地、厨。練度の近いもので手合せをしたり、逆に大きく実力の離れた相手を指導したりする、道場。
一つ一つ説明する度に「ここではこんなことがあってね、」と嬉しそうに、楽しそうに注釈をつける歌仙に、ついこちらまで口元が緩んだ。


「それで、ここが中庭だよ。よく短刀たちとべにが走り回っていて・・・どうした?」


不意に振り返った歌仙に首を傾げられて、慌てて表情を整えようとした、そのとき。


「・・・っ」


ゴウ、と。驚くほどの強風が吹き抜けた。
きゃあ!と楽しそうな悲鳴が聞こえる中、暴れ回る髪を抑えれば、歌仙も驚いたように風の吹いた方向を見ていて。


「・・・春になりますね」

「ああ、風流だねぇ」


あなたの事が微笑ましくて、とは言いづらく、つい、誤魔化すように話を変えてしまう。
けれどそれと同時に、事実思った事。
桜が咲くには、まだ早い。
けれど膨らんできたつぼみは、桜色の枝に彩を加え。
その隙間を、強い風が吹き抜ける。
歌仙の言うように、“風流”、なのでしょう。


「あれ、下りちゃうの?」

「流石にこの風では不安定が過ぎる」


不意に耳に届いた声に、歌仙と二人で振り返る。
庭を散歩していたのか、それとも二人で大切な話をしていたのか。
振り返った先では少し屈んだ加州と、その視線の先に肩から飛び降りた直後の小狐が並んでいた。
声をかけようか、逡巡。
けれどその一瞬で、小狐と目が合い、ピクリとその耳が動いたのが見えた。


「・・・お前か」


何か意味を含んだ声色に少し思うところはあれ、ここで真っ向から反発しても良いことなど一つもない。
彼がその愛くるしい見た目に応じず政府の者であること、そしてその彼に敵対する様子を見せることは得策ではないということは、審神者の紹介の後すぐ、丁寧に言い含められたことなのだ。
小さく会釈をしてみせれば、彼は少しこちらを見ていたがすぐに目をそらし、足早に隣を通り過ぎて行く。

離れたら、小さく息を吐きましょう。
一先ず今は、気を張って。


「あーこん!」


けれどその考えは、息をつけるほど離れもしないうちに打ち消された。
足元にある小さな背中がビクリと大きく飛び跳ね、それまでと一転してオロオロと後ろを振り返った様子まで、残念ながら視界に入ってしまいました。


「こん、どこいくの?おしごとー?」

「・・・ああ。お、っ・・・仕事だ」

「べにもおてちゅだい!」

「・・・お前にできるようなことは何もない」


突き放した言い方に、ピクリと反応したのは、三人。
―――口を出したのは、二人。


「あのねえ君、そんな言い方は・・・」

「それでよいのですか」


少し、感情が強く入ったのは―――私、でした。


「審神者であるべにさんは、この本丸で唯一の人間です。貴方が居ないとき、すべての決定権をもつのは彼女。貴方が正しき道を伝えなければ、彼女は進むべき道を見失ってしまいます」


まだ幼い、我らが主。大きくなったと聞いてはいても、それは飽くまで年相応の人としての形。
“主”として、すべての判断をゆだねるわけには、到底いきません。


「・・・正しく育たなければ、お前たちの責を問われるとは考えないのか」

「勿論、我々も最善を尽くして正しき道へと導かせていただきます。ですが我々は所詮武器。彼女の手足。“人として”と考えれば、未熟そのもの」


形を如何に真似たとて、基盤は所詮道具のそれ。勿論、人とて完璧とは言えないだろうが、それでも。


「べにさんの目の前で行う言動には気を付けたほうがよいですよ。成したことは、必ず誰かが見ていてくれるものです」


見本となるように。“大人”として正しき姿を。
そう、説教めいたことを。それでも間違ったことを言ったつもりは、ありませんでした。

しかし何かを、間違えたようで。


「・・・お前に何が判る・・・!」


ピリ、と肌が泡立つのを感じる。
それは、怒気。・・・いえ、若しくは。

シン・・・、と静まり返った庭には、先程まで響いていたさえずりもなく。
空気すべてが驚愕と緊張を露わにしている様子から、これが尋常な様子ではないと察しをつけた。

何か、彼の琴線に触れてしまったのでしょうか。
その理由を聞こうと黙り込んでも、あちらも先の一言以降、何かを口に出す様子はなく。
ただ、逆立っていた毛が、少しずつ萎れていくのがわかりました。


「こん・・・?だいじょーぶ・・・?」

「・・・あぁ、すまないな」


そんな緊張の空気の中、最初に口を開いたのは、べにさん。
子ども特有の純粋さがいい頃合いに働いた―――そう思った自分の浅はかさを、私は呪いたい。


「・・・べに、ここ、すきよ?みーんな、だいじだいじ、よ?」


それは、明らかに相手を慮った言葉。

“だから心配しないで。”と、“大丈夫だよ。”と。

子どもなどと―――侮っていたのは、私だったのかもしれません。

紺野もそれを感じ取ったのだろう。は、と息を止めたかと思うと、少し考えた後ゆっくりとそれを吐き出した。


「・・・お前は世界を知らない。井の中の蛙なんだ。だが・・・お前がそう言って、幸せを感じられるなら・・・それがいい」


それで、いい。
そう小さく呟いて柔らかそうな尾を動かし、スルリとべにさんの頬を撫でる。
そのまま去っていく背中に、どこか頼りないものを感じて。
何も言わずにべにさんの頭を撫で、紺野の後を追う加州の背中を見つめ。


「・・・一番の未熟者は、私ですね」


誰にも聞こえないように、口の中でそう呟いた。
誰もが、誰かのことを思いやっている。
私はただ、自分の思いを押し付けただけにすぎない。


「精進します。―――この本丸の、一員として」


早く、皆と同じ悩みを分かち合いたい、ですからね。


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