3、イヤイヤ期


「おはな!」

「うん、お花だね。これは桜というんだよ」

「んー?」

「さくら。昔から日本に伝わる、春を伝える花だね。こうして散り始めたころが、私は一番好きかな」


庭の桜は、先週からの温かさですでに終わりを迎えている。
緑の葉が花弁の隙間から顔を出しているが、それもまた見事な色合いを奏でていて美しい。
庭先では先日共に顕現された次郎太刀を中心に何名かがメンバーを変えながらも一週間酒盛りを続けていて、花弁が散り始めても「これまたオツだねぇ!」と機嫌よく盃を傾けていた。


「いく!いくっ!」

「お外にかい?・・・うーん。今日は風が強いから・・・」

「やっ!」

「まだ何も言ってないだろう?」


笑いながらべにをひょいと抱き上げる。
高くなった視界に喜ぶ様子を見ていると、ついつい抱き上げる回数も多くなってしまうというものだ。
いつものようにそのまま肩車をして、「だからね、」と話を続けた。


「上着を取りに行こう。確かこの間、風を通しにくい素材の服を鳴狐が買ってくれていたはずだから」

「しゃかしゃか!」

「そう、シャカシャカのあれ」


機嫌のよくなった様子にこっそりとほっとして、肩車のままで歩き始める。
欄間などに頭を打たないように気を付けながら部屋に入り、箪笥の前でしゃがみ込んで目当ての服を取り出した。


「はい、べに。これを着てみんなのところに行こうか」

「・・・ん」


上から聞こえてくる声は、さっきまでと打って変わって低い。
不満げな様子におや、と思いつつもべにを降ろそうと、べにの脇に手を伸ばせば。


「・・・やっ!」

「えぇ?」


これだ。
そう言って頭にしがみつくべにに、驚くのと同時にまたか、とひどく悲しい気持ちになってしまった。
最近とみに口にする、「いや」。
他の男士たちにはそこまででもないのに、こと石切丸に関しては何事もなくことが進むことの方が珍しい。
何をするにも「いや」で、困り果てたところに他の男士が来て上手くやるのがいつもの流れのようになってしまった。
間の悪いことに、他の男士は近くに居ないようで。


「べに、これじゃ嫌なのかい?じゃあ他の上着を・・・」

「いーやっ!」

「べに・・・」

「やっ!やーぃや!」

「でも、このまま外に出るのかい?外はまだ寒いから、風邪を引いてしまうかもしれないよ?」

「いーのっ!」

「べに・・・」


こうなってしまったら、自分ではどうにもべにの意見を変えられない。
他の面子だったらどうしたろうか、と考えあぐねていると、「早く!」と言わんばかりの勢いで「いしまぁ!」と怒られてしまった。


「わかったわかった。それじゃあせめて、これだけでも羽織ってくれるかい?」


そう言って渡したタオルはぺいっと床に投げ捨てられてしまって、悲しい気分で小さくため息をつき、仕方なくそのまま庭に向かって歩き出した。
どうして自分にだけはこうなのだろう。
笑顔を向けてくれるし、走り寄ってもきてくれる。加州達は「嫌いなわけない」と言ってくれるが、思うようにいかない関係に、どうしても気分は沈みがちになってしまう。
重たい足取りで花見の面々の元へ近寄れば、二人に気付いた次郎太刀がこちらを見上げて酒瓶を掲げた。


「おや、べにちゃんとパパさんも来たんだねぇ。どうだい、一杯?」

「・・・もらおうかな」


普段なら昼間は、と遠慮するところだが、今の気分は酒でも入れておかないと何ともならない。
敷いてある茣蓙に腰を降ろせば、べには肩から降りようと身動きをしたため今度こそ脇に手を回す。
抵抗もなく降りて、そのまま何事もなかったかのように持ってきた靴を履いて庭を走り出す背中を、複雑な気分で見送った。


「はぁ・・・」

「おやおや、重いため息だねぇ。お疲れかい?」

「うん・・・いや、どうしたものかと思ってね・・・」


思わず同意してしまってから、はたと我に返って慌てて訂正する。
けれどこの本丸で、べにに関するあれこれは筒抜けも同然。当然、石切丸とべにの関係も「あー」と納得されるくらいには知れ渡っていた。


「石切丸は見事に第一次反抗期の対象になってしまったようだからねぇ」


悩みも一入だろうさ、と歌を詠む歌仙に言われ、受け取った盃を口に運ぶ手が止まってしまった。


「反抗期?」


一つ頷いた歌仙は、書物からの受け売りだけど、と前置きをしつつも、確信的な口ぶりで続ける。


「“イヤイヤ期”というのがあるらしい。受け身だったこれまでと違って、拒否することで自己主張をするんだそうだ。まぁそれも、わがままを言っても許してもらえるという信頼があるからこそのものなのだから、そうしょげずともいいさ」

「信頼・・・ぅっ!?」


思案しつつ再び盃を口に運ぼうとした瞬間に背中に衝撃を受けて、零れた酒が服の裾を濡らす。
衝撃の正体は走り回っていたはずのべにで、見上げてくる期待のこもった瞳に怒ることも忘れてしまった。


「いしまぁ!おかた!」

「か、肩車かい?」

「はいはい、ちょっとお待ちよ」


次郎太刀が立ち上がって、ひょいとべにを石切丸の肩の上に乗せる。
「たって!」とぺしぺしと頭を叩かれるのに急き立てられて、やれやれ、と結局酒を口に付けることなく立ち上がった。


「おはな!ひらひら!」

「そうだねぇ、綺麗だね」

「うんっ!」


弾んだ声で、舞い散る花弁を掴もうと手を動かす。
「いしまぁ、あっち!」と指さす方に言われるままに向かえば、「きれー!」と言いながら頭に抱き着いてくる。
こうして可愛いところも見せるのだから、多少の悲しさなどあっという間に吹き飛ばされてしまうのだけど。









「・・・あたしからしてみたら、贅沢な悩みなんだけどねぇ。まだ声もかけてもらえてないんだよ?あたしは」

「石切丸に懐くのは、本当に早かったからね。何か感じるものでもあったんじゃないかな?」


その分他に気が回らないのは、間が悪かったと諦めるんだね、と歌仙は笑う。
実際、最近一番名前を呼ばれているのは石切丸だ。次郎太刀はおそらく、名前を確認するときにしか呼ばれていない。
似たような身長なのにさ、とぶつぶつ言いながら酒を煽る次郎太刀に、枝を掴んで振るべにと、慌てる石切丸に目を移す。
理由はわからなくても、本人が多少辛そうにしていても。
べにが石切丸を非常に気に入っているという事実は、きっともうしばらく続くのだろう。


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