5、人見知りをする


「―――そこでおじいさんは言った。『わしは小さいほうでいい。大きいものを持って帰るには、荷が重い』」


どうしてこうなったのか、と、絵本の文字を機械的に読み上げながらそう思う。
隣には、布団に入ってはいるがまるで寝る気配のない、目を見開いて話に聞き入る主。
寝物語ではなかったのか、と、つい聞きたくなるのを、ただ堪えてページを一枚めくった。










―――思えば最初。顕現されるときに、主への挨拶が最後まで決められなかったのが失敗だった。
俺にはそう・・・記憶が無い。それでいいと思っていた。
だから、主への挨拶も、それでいいと。
まずは、ただ一つはっきりと覚えている、名を名乗ろうと。


「骨喰藤四郎」


そこでピタリと言葉を失ったのが、二つ目の失敗か。
目の前に立ったのは、加州清光。
その足元からこちらを伺い見る、霊力の持ち主。
「ほらべに、練習したでしょ?」と加州に背中を押され、おず、と一歩踏み出した小さな姿。


「・・・べにですっ・・・んっと・・・」

「あるじ」

「あぅじ、ですっ」


ペコ、と頭を下げた小さな主に、何と返事をすれば正解だったのか。
主から生を受けて、言葉数が少ないことを、最初に苦に思った瞬間だった。
言葉が出てこない、その、戸惑っている様子を敏感に感じ取った主は、緊張のためか引き結んでいた唇をへの字に曲げ、助けを求めるように加州を見上げる。
その加州は、返事をしないことを訝しむように、細眉を跳ね上げる。
その視線に貫かれても、俺には言葉を見つけられなくて。


「・・・・・・・・・・・」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・」

「・・・あーあ」


結果、べには加州の足に再び隠れてしまった。
今度はこちらを伺うこともなく、ぎゅっと足に顔を押し付けるように。










―――そこからは、廊下ですれ違うたびに逃げるように隠れられる日々が始まった。
一日のうちで、遠くに姿を見つけられれば上々。
思わぬところで不意に出会ってしまうと、蛙のように跳ね上がって、脱兎のごとく踵を返して走り出す。
目が合っても逃げないと思えば、近くの者の服の裾をすがるように握っていて。
仕方ない、と思っても、その目に怯えたような色を見てしまっては、俺とて何も感じないわけもなく。


「骨喰殿、そこはせめて返事をするべきだったのでしょう・・・」

「・・・そうだね」

「・・・・・・そうか」


鳴狐に相談してみたら、やはり最初が悪かったのだと言われてしまった。
ではもう、この関係は覆らないのだろうか。
短刀たちと遊ぶときの、太陽のような笑顔をこちらに向けてくれることはないのだろうか。
少し落ち込んでいると、何かを察したらしい鳴狐が、少し考えるように小首を傾げる。
そしてひとつ、ふたつとお供の狐の頭を撫でると、「・・・なら、」と珍しく自分から口を開いた。


「本を、読んでみたら?」

「本・・・?」

「あぁ、それはいい考えですねぇ!べに殿は絵本が大好きですし、夜のお供をされてはいかがでしょう?」

「・・・・・・おすすめ」


そう言って渡された、日本の昔話がいくつも載っている冊子。
これで解決するのなら、と、有り難く受け取った。










―――そして、今に至る。


「―――けれどその瞬間。部屋の明かりは消え、おじいさんはどことも知れぬ暗がりの中、一人取り残されたのだった」


パタン、と本を閉じ、そっと隣を盗み見る。
もう、四半刻(30分)は読んだ。鳴狐の言葉を信じるなら、もうそろそろ寝ていても可笑しくない頃だ。
さっきまで目を爛々とさせていたが、もしかしたらプツリと糸が切れるように寝るのかも・・・


「・・・・・・・・・」

「・・・・・・・・・」


だが、そんな願いも虚しく。ばちりと合った目に、思わず気圧されてしまった。


「・・・寝ない、のか」

「・・・・・・・・・」

「・・・寝る時間だと、聞いている」

「・・・・・・・・・」

「・・・・・・・・・・・・」


どうしろと、言うんだ。










―――一方、その頃。


「よかったのですか?鳴狐。あの本はべに殿が本当に好きで、中々寝られないものでしょう」

「・・・お互い緊張してるだけ。・・・多分すぐ、仲良くなれる」

「はぁ・・・」


そうですかねぇ、と小さく呟くお供の頭を軽く撫でて、自分も布団を被りなおす。
多分、骨喰が気付くのには少し時間がかかる。彼も結構、人見知りをするようだから。
本を持つ骨喰を見たべにの目に、怯えの色はもうなかったことを、彼はいつ、気付くだろうか。
もう少し様子を見ておこう、と、明日の二人の様子を考えながら目を閉じる。
せっかく相談を受けたのだ。少しくらい、叔父らしく頼れるところを見せてやりたい。
きっかけさえあれば、お互いを知る機会さえあれば。
心優しい彼が、ただ人見知りをしているだけのべにに、嫌われるわけがないのだ。


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